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出禁のマナー

BARのマスターが指南する、逆マナー教室。
深夜の街にはびこる愛すべき酔っぱらいたち。
彼らへの愛憎〜まさかのエピソードから学びたい、
僕らのグラスの角度と去り際。

出禁のマナー05 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:かわらいポメット / 2017.2.28 大井町「春の日」

カラオケ・スナックからの叫換も飛び交う大井町きっての飲み屋街「平和小路」の奥に位置する「春の日」は、今やこの界隈の最古参。粋な呑ん兵衛御用達の隠れ家である。
「人に教えたくない」とはこのこと。ふらりひとりで立ち寄るにはこれ以上ないほどにしっぽりと落ち着くカウンター。そこを満たすおでんの誘惑。ましてや冬でも露出度高し! の美人ママがひとりで切り盛りしているとなれば、さぞや厄介な酔客の溜まり場になっていそうなものの、この店には過度な「ごらんこう」や「おたわむれ」を許さない、心地よく張り詰めた空気が漂っている。
「それでもここは大井町。単身赴任や〈流れ〉のお客さんも多いし、うちも大変な酔っ払いに揉まれてきました。わたしが認める〈いい常連さん〉というのは本当に限られれていますね」と笑う福田絵美さんに、これまでの苦楽や来し方、学ぶべき夜のマナーを聞いてきました。

「春の日」の外観。「うちはそんなに高い店じゃないですけど、見た目は小料理屋ふう。このぐらいにはしておかないと、あらゆる呑ん兵衛が入ってきちゃうんですよ」

「出禁予備軍」をつくらない方法。「興味がないんです」という言葉は効きますよ

福田絵美さん。「わたしは本当に写真嫌いなんですけど、今日は遺影の撮影だと思うことにします(笑)。自分の写真なんかまったく残していないので、これから犯罪を犯したときに、セーラー服の写真が出ちゃうのも嫌ですしね(笑)」 ウーロン割りもしっかりと濃い!

 大井町というのは特殊な街で、昼から飲めるお店も多いし、わたしも面倒なお客さんを出禁にする方法というのはずいぶん研究してきましたね。はっきりと「出禁!」と通告すると余計なトラブルになるので、「もうあそこにはいけないな」と悟らせるのが最善の策なんです。それには「興味がないんです」という言葉が効きますね。
 たとえば初めて入ってきて、自分の話ばかりを延々とする人。そういうときはとにかく目を逸らして無言を決め込む。すると「なんだ、俺の話はつまらないのか」となる。そこで目を見て、「つまらないとかじゃなくて、興味がないんです」と突き放しちゃう。これは効果的ですよ。やっぱり飲み屋の店主と客というのは、時間をかけて徐々に知り合っていくものじゃないですか。わたしもお客さんのプライベートにはなるべく踏み込まないようにしてますし、年齢や仕事や苗字を知るのは5~6回目に来てくれたとき。そんなふうに一定の距離を置いてドライに接することが、「出禁予備軍」をつくらない方法だと気づいたんです。
 ただ、この界隈のお客さんは一筋縄じゃいきませんからね。「興味がない」なんて言われたら、ふつうの人はもう来ないじゃないですか。ただ稀に、「こんなにハッキリ言うママは面白い!」って、友だちまで連れてきちゃう人がいるんですよね。完全に逆効果です(笑)。
 あと、競艇帰りのちょっとした酔っ払いだったら、「お父さんごめんね、いっしょに飲みたいけど、酔っ払ってないときにまたきて」と言えますけど、ほかの店でも出禁になって、最後にうちに辿り着いたような人だと、ちょっとやそっとじゃ引き下がらない。本当はそんなことないのに「うちは高いですよ」と脅しても、「どのぐらい?」って(笑)。そう言われるとなんて返していいのかわからないし、撃退法の正解や100%の対処法というのはいつまでも見つからないままですね。

「春の日」のメニュー。ちなみに「すじ」は白身魚のすり身にサメの軟骨を加えた関東炊(かんとだき)ならではのもの。関西の「牛すじ」のことではない。

「30秒おじさん」と「出禁の派遣サービス」怖いのはだんだんと暗くなってきた夕方の客なんです

ヴィンテージ・ジーンズで仕込み中の絵美さん。「この店のBGMはジャズですけど、仕込み中はストーンズやスプリングスティーンをかけながらテンションを上げてます。両手を使いながら冷蔵庫を足で閉めたり、まるで千手観音なさがらですよ(笑)」 取材は1月の上旬。「まだまだお正月モードです」と、お通しは「山芋短冊」と「数の子」が出された。

 これは開店当初の話ですけど、流れの宮大工さんは大変でしたね。友だちを連れてきて、さんざん飲むんですけど、会計の段になってその友だちが「お前が気に入ったママなんだからお前が払え!」と怒り始めて、店内で取っ組み合いになってね。男同士で見栄を張って高いウイスキーなんか入れちゃうからいけない。店内で揉めて喧嘩みたなことはわたしがさせないし、そういうことになりそうなお客さんは離れて座ってもらうようにしてますけど、いっしょに入ってきての仲違いというのは防ぎようがないですから。
 あとは「30秒おじさん」。ベロベロに酔っ払ってるもんだから「もうこのへんでやめときましょう」と帰ってもらったんです。その場に居合わせた常連さんたちに「ヘンなお客さん入れちゃって悪かったね。飲み直そうよ」と話してたら、ものの30秒で「初めてなんだけどいいかな」と戻ってくる(笑)。ベロベロだからなんにも覚えてないんです。あんな酒の飲み方をしたら死んじゃいますよね。
 少し前まで隣で営業していたカラオケ・スナックとの事件もすごかったですね。ここは壁が薄いので、隣の歌が漏れてくるんですけど、うちで飲んでいた酔っ払いがそれを聴いて、「ヘタクソー!」と叫んだ。そしたらその瞬間に曲が終わっちゃって(笑)、シーンとした沈黙の後、隣のドアがバーン!と開く音が聞こえて、歌ってた人が「表に出ろ!」みたいに殴り込んできたんです。わたしたちはすぐに鍵を閉めて、知らんぷりするしかなくて(笑)。
 このあたりでは80歳手前のママさんがやっていた某「S」という店が濃ゆい出禁客だらけの名物店でしたね。カウンターでは競輪とか競艇の話ばかりで、客がボトルをテレビ画面にぶつけて割ったり、それでおまわりさんがきたり。ママさんも負けず劣らずに荒っぽい人だったから、すぐ「外に出ろ!」と一喝して、自分のチャリンコを客に向けてぶん投げてた(笑)。
 もともとわたしは旗の台でおうどんとおにぎりを出す昼の店を3年間ぐらいやっていて、「ツユもの」は得意だったのでこの店を出したんですけど、開店当初、わたしもそのママさんにはちょっとイジめられましたね。生意気なのが参入してきたと思ったんでしょうね。ずいぶんやられたのが、出禁客の派遣サービス(笑)。土曜日とか、ちょっと早い時間から開けていると、外から「ここだここだ!」と騒ぎ声が聞こえてくるんですよ。見ると、社会の窓を全開にしたオジサンたちがフラフラで立ってる。わたしはすぐに危険を察知して、「予約でいっぱいです」と断るんだけど、「そんなことはない! さっき〈S〉のママからあそこなら呑ませてくれるって聞いた!」と騒ぎ始めて(笑)。クソ~、あのママは嫌な客を全員うちに送り込む気なんだな、と(笑)。
 Sはママさんが病気して去年の6月に閉まっちゃったんですけど、そうなると怖いのが、居場所を失った酔っ払いたち。お客さんにこんなこと言うのは失礼かもしれないけど、彼らは明るくて温かそうな場所に集まってくる「蛾」みたいなもので、本当に怖いのは、だんだんと暗くなってきた夕方の「昼飲み派」。暗闇に目が慣れた夜中の客じゃないんですね。

絵美さんは大の猫好きであり、「暑がり」でもある。「年間通して袖のある服を着ることはないですし、キャミソール1枚で営業することも多いので、ぼったくりだと思われたのか、扉を開けるなり〈またにします!〉なんてお客さんもいましたね(笑)。家でも暖房なんてつけないから、この時期は猫ですらベッドカバーの中でジッとしてるんですよ(笑)」

生粋の酒好きが辿り着いたひとつの真理、「日はまた昇る」

店内奥の天井にひっそりと鎮座する招き猫。「これは開店祝いにいただいたものです。わたしはあえてこの位置でお客さんたちを見守らせるのがいいなって。この子は3.11にも揺るぎませんでしたよ」 店内に飾られた絵美さんの刺繍アート。「これは前々からの趣味なんです。だいたい1枚で4ヶ月か5ヶ月、1日6時間ぐらい。どれだけヒマよって感じですよね(笑)」

 結局のところ、どこまで出禁を徹底するのかというのは店主の裁量であり自己責任ですよね。売り上げが欲しければ誰でも入れてしまえばいいけど、店のイメージやいい常連さんのことを考えると、日銭よりも大切なものがある。
 わたしはそういう気持ちを嫌というほどわかっているから、定休日に飲みに出ても、模範的で優等生な客にしかなれなかったりしますね。本当は日本酒を頼んで、「いっしょにお水もちょうだい」って言えればいいんだけど、どうしてもそこを緑茶割りにしてしまう。「うん、これで600円の売り上げに貢献したな」って。たまの休みに飲んでいるのに、部屋に戻ると「あー疲れた!」って(笑)。もう、こうなると職業病ですよね……。
 わたしは本当に酒好きなんですよ。小さな頃からお正月のお屠蘇なんかは大好物で、うちの親も面白がって、「もう一杯飲んだらお年玉1000円増し」みたいな人だったんです。二十歳を過ぎてからは自分の部屋の押し入れに一升瓶を隠してましたね。ある日、偶然それを見つけた母が、瓶に手紙をつけてきましたから。「ひとりで飲むのは寂しいからリビングで飲みましょう」って(笑)。
 だから酔っ払いの気持ちはすごくわかりますし、だからこそ言えることというのがあるんです。「日はまた昇る」って言葉がありますよね。どうしても飲みすぎてしまうという人、往生際が悪くなりがちな人は、この言葉を頭のどこかに置いておくといいですよ。わたしもこの店の営業が終わったあと、「至福の1杯」を飲んで帰ろうと思うんですけど、最近はカウンターに置いただけで、「いいや。やっぱり帰って寝よう」と思うことが多い。どうせまた日は昇るんだし、どうしても飲みたければ明日の朝7時にここにきて、なんならワインをラッパ呑みすればいいんだって思うようにしてるんです。元気でいれさえすれば、そこまで焦って飲む必要はないんです。

大根、玉子、たこ串、昆布、ちくわぶ。飲み疲れの胃袋にもホコホコと収まるおでん各種は、どれもが冬の味覚の王道をゆく「これぞ!」な味わい。「こんな小さな店なのに大鍋で煮込み続けようものなら、あっという間に真っ黒になっちゃいますから、うちは注文に応じて5分ほど温め直したものを出しています。そういえば、中国のセブンイレブンは、おでんにラー油をつけてくるらしいですね(笑)」
こちらはウインナー、はんぺん、しらたき。「わたし、何が食べたくないっていったら毎日顔を突き合わせてるおでんなんですけど(笑)、最近は日本酒のおでん出汁割りを出す店がありますよね。わたしも出汁の仕込みのときにドボドボドボっと日本酒を入れて、まだアルコールが飛び切らないうちに味見するんですけど、あれは確かに美味しいと思いますね」
「カラシは研ぎたてなんで結構効くはずですよ。チューブの練りガラシはイジワルに辛いので使いたくないんです」
「この〈タコさん〉にはこだわりがあって、決して女性ウケを狙ってるわけじゃないんです。むしろ目当ては一見さんで入ってきたコワモテの男性客。渋く決めてる人が恥ずかしそうな顔をするのを見るのが楽しくてやってるんです(笑)」 。写真右は香ばしく網焼きにされた「たたみいわし」

大切なのは、お店との距離感。スマートな酒飲みには美学があるんです

 さっきも話しましたけど、やっぱり面倒なのは、自分の立ち位置であったり、バランスが取れていない人たちですね。この言葉はカッコ悪いけど、やっぱり飲み屋での会話って「キャッチボール」ですから、「嫌な上司がいる」「孫がかわいい」みたいな引き出しひとつで延々と喋る人というのは、うちの店には残らないんですよ。人に話を聞いてほしかったら、愛され上手になるというのが条件ですし、そりゃあ愚痴や自慢話を言いたいだけ言うのは気持ちいいのかもしれないけど、トータルで見たら絶対に損しちゃいますよね。わたしが山芋にいくらを乗せるのは、好きなお客さんだけですから(笑)。
 そういう人を反面教師に、若い人にはカッコいい飲み方をしてもらいたいですね。70を過ぎた人の性格の歪みはもう直しようがありませんけど(笑)、まだ20代なのに「おれはワガママだから」みたいに愚痴るお客さんには、「ワガママを直す時間ならまだまだあるじゃない」と説教しちゃいます(笑)。
 だって、大人の呑ん兵衛は携帯なんかなくしませんよ。ストレスや惰性で飲んでる若い人ほどその場限りの暴走を繰り返すし、お酒が日常にうまく溶け込んでいない人ほど、よく忘れ物をするんです。

絹豆腐。「これだけはイチから煮込みますので30分ほどかかります。柚子胡椒で食べてもらうと日本酒がすすみますよ」
日本酒は絵美さんオススメの「澤乃井」を常温で。「わたしはド定番が好きなんです。これって決めたら浮気はしないタイプです。東京の酒ってわけだからじゃないんだけど、本当に〈澤乃井〉はリスペクト。新酒はとくに美味しいですね」

 あと、男の人で気をつけたほうがいいのは、「ママ痩せたんじゃないの?」「ちょっとふっくらしたんじゃないの?」みたいに話しかけることで、自分がその場所に溶け込んでいると勘違いしちゃう人。「おれママのことわかってるよ」みたいな態度は大間違いですね。
 そもそも「常連だと認められてうれしい」みたいな考え方にも問題があるんですよ。むしろわたしが好きなのは、常連なのに常連だと認められたくない、みたいな人たちですね。週に5日も顔を出してくれるのに、ほかのお客さんに「よくくるんですか?」と話しかけれたら、「たまたま気が向いたから」と受け流すような人。そういうお客さんには美学があるんですよ。あるお客さんは黒革の手帳にこの界隈のお店の開店記念日とママの誕生日をメモしていて……となると、その日に花束とか差し入れなんかを持っていくと思うでしょう? 実はその逆で、その日には絶対にいかないんです。それは無駄なお金を使いたくないとかそういうことではなくて、自分とお店との距離感というのをきちんとわかっているからなんですね。
 そんなふうにスマートに飲んでくれる人というのは、たとえ1年に1回きてくれるだけでも、わたしにとっては「常連」です。この10年間で本当の常連といえるのは25人ぐらいですかね。ここはわたしの王国ですから、わたしがお客さまを選んでもいいわけです。

古今和歌集に学ぶ、「孤独」のふるまい。飲み屋に「思い入れ」みたいなものは必要ないんです

 わたしはもともと敵も味方もなくて、ひとりで生きているんで、誰かを頼りたいというのもないんです。わたしのことを好きじゃない人はいるかもしれないけど、憎んでる人はひとりもいないと思います。たぶん、飲み屋にそういう人間関係や思い入れみたいなものって、あまり必要ないと思うんですよ。みんながみんな、傷つかない準備をして、思い思いに楽しめば、重くはならない。古今和歌集に「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし(編注:世の中に桜というものがなかったら、春をのどかな気持ちで過ごせるだろう)」という歌がありますけど、まさにあの気持ち。あまりひとつの物事に固執しすぎると、裏切られたり思い通りにいかなかったりしたときにストレスを感じてしまうし、そのストレスが悪い酒につながる。わたしもお客さんに対しての思い入れを持ちすぎると、その人がこなくなったときに寂しくなっちゃう。自分の部屋ではその人のことなんて思い出しもしないし、そこまで愛したり尽くしたりもしていないのに、都合のいいときだけ「明日もきてね」というのは虫のいい話だと思ってます。

絵美さんの愛猫「恋太郎」くん。

 たぶんこういう考え方というのは、若い頃からの飲み歩きに培われたものだと思うんですけど、4年間のペットロスの影響もあるのかな……。だから今の猫には毎日「そろそろ死ね~!  このやろーっ!」と言って笑ってますし、もし今の子が死んだら年に3ヶ月は海外旅行できる、新しい人生が待ってる、そんなふうに自分に言い聞かせてるようなところがありますね。
 こう言っちゃなんですけど、わたしは人間よりも動物のほうが好きなのかな(笑)。だから女性ひとりの営業にも関わらず、こういうお店を維持できているのかもしれない。あー、この界隈の猫たちが首に1万円札をブラ下げてくるお店とか、できないかなぁ(笑)。ペットフードなら面倒な仕込みもないしなぁ(笑)。

春の日 東京都品川区東大井5-6-10
電話:03-3472-9537
営業時間:18:00~24:00
定休日:日曜日

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