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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ04 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 / 2014.07.16 川崎市高津区溝の口「ぜん」吉田正矢さんの「餃子」

餃子は南にいくほど小さくなる。これは佐賀県出身の店主・吉田正矢さんの持論。事実、ぜんの餃子はとても小さい。カリッと揚げ焼きにされ、4センチほどにくるまった焼餃子は、華奢な女性の口にも、10、20、30…と消えてなくなる。もうひとつの看板メニュー、水餃子は、その滑らかさも手伝い、鯨のような酔客の喉をもうっとりとさせる。
皮から自家製なのはもちろんのこと、餡にはにんにくを使用せず、とことん実直。…かと思えば、特製の出汁醤油に山盛りの小ねぎを混ぜ、それを「餃子のスプーン」で掬うようにして食べさせるそのスタイルは、全国的にも稀なはずで、店主の颯爽とした佇まいにも通じるものがある。
東急田園都市線・溝の口駅の南口を出て、わずか10秒の好立地。閉店間際のカウンターに滑り込んできました。

いい皮はそのまま齧ったって旨い

取材前日に鷺沼店での仕込みを見学させて頂いた。まずは練り込んだ生地に粉をふり…… 麺棒で薄く伸ばしてゆく。「皮は1日寝かせてから出します」。とはいえ毎日の作業には変わりがない。 1ミリ弱に薄くしたものを巻物状に丸める。 巻物をカット。むっちりとした生地に、音もなく沈み込むナイフ。 それをほぐすと「ひもかわうどん」(群馬県桐生地方の郷土料理)のようになる。 小さくカットし、皮が完成。「うちのは正方形なんです」 のし台から厨房へ移動。餡を包んでゆく。 当然ながら… …スピードが命。 整列する生餃子。ぜんは冷凍のテイクアウトにも対応。「家焼き派」のファンも多いという。 「今晩売るぶんは包み終わったので、そろそろ溝の口店に向かいます」

 この店の本店は佐賀なんですよ。30年前に親父が始めた店をこっちに出店するかたちで引き継いだものなんです。うちの家庭はものすごい放任主義でね、親父は餃子屋、母親はクラブのママという水商売一家だった。近所のスナックに餃子を配達しにいかされもしたし、いま考えると、結構むちゃくちゃな家庭だったと思いますね。こっちに上京してきたときも仕送りなんかまったくくれないから、新聞奨学生から始めて、居酒屋のバイト、ラーメン屋の店長、ある程度金が溜まったらなんにも考えずにオーストラリアに遊学して、向こうで金が尽きたらケバブ屋でバイトしたりもしてね。
 自分の店をもつ前はS.E.(システム・エンジニア)をやってました。たくさんの同僚や部下に恵まれて、楽しい時期もあったんですけど、すぐに「私生活ゼロ!」ってぐらいに忙しくなってしまって、ようやくうちの親父に相談しにいった。そこで改めて「自分が飲食のバイトばかりを選んできたこと」に気づいたんですね。小さな頃は嫌な部分もあったけど、どこかに「親父カッコいいな」みたいな意識があったんでしょうね。この店が5年続いた時点で、ここから急行でひとついった場所(鷺沼)にも支店を出したんですけど、そこは兄貴が切り盛りしているし、兄弟そろって餃子屋の血には抗えなかったのかなって。

 二代目、といっても佐賀の常連が贔屓にしてくれる距離ではない。定職を捨てての開業には、それなりの覚悟があったと思うが、「大変だったのは不動産。なかなかいい場所がなくてね。都内を含めて30件ぐらいはあたったんじゃないかな」と吉田さん。意外にも、餃子屋という商売自体は「安牌」。不安はなかったという。

 餃子屋って、お金がかからないんですよ。もしこれがラーメンだったら寸胴やらなんだを揃えなきゃいけないし、火はつけっぱなしだからガス代が月10万かかるとか、トンコツや鶏ガラの廃棄代がキツいとか、いろいろあるわけですけど、極端な話、餃子はフライパンひとつがあればできてしまう。皮だって小麦粉と塩と熱湯があればいい。ただ、だからこそ、それをどうつくるかというのは大切で、まずは皮が美味しくできないと、家庭でやるのとたいして変わらなくなっちゃう。カメラだってそうですよね? フィルムの時代はプロの特権だったけど、デジタルになってからは誰でもそれなりのものが撮れる。そこで突出するというのが難しいわけですよね。
 うちの皮は白~い高級パンをつくるときに使う「スーパーカメリア」と、よく中華麺に使われている北海道産の準強力粉「飛龍」というのを、こうやってバラしちゃっても問題ないぐらいの(笑)加水率で使ってます。ほかの餃子屋ではまず出ない銘柄なんじゃないかな。いい皮はそのまま齧ったって旨いんですよ。皮が旨ければ、羽根つきだなんだって見た目のテクニックに走らなくてもいい。そういうことばかり繰り返しているから餃子が軽視されちゃうんですよね。駅前でラーメン屋のチラシをもらったら、餃子無料のサービス券だったとかね。専門店から見たらゾッとする発想ですよ。

 確かにぜんの皮は甘い。にんにくの刺激にごまかされることなく、まさに、さっきまでオーブンで出番を待っていたパンのような、ほっこりとした香りが広がる。「醤油なしでそのまま食べてもいけますよ」の声にも納得。和がらしや柚子胡椒、塩でも試してみたくなる、地力を感じる旨さなのだ。
 さて、ここまで教わったからには餡についても訊いてしまおう。

 餃子屋やるの? オススメですよ(笑)。うちは外人のお客さんに「トルコに出店して。絶対売れるから」って言われたこともあります(笑)。もし誰かが出資してくれるんだったら銀座でやりたいですね。ただしひと坪の出前専門店。いろんなホステスさんから「ここの美味しいのよ~」って慕われるっていうのは相当にカッコいいですよね(笑)……あ、餡ですね。佐賀の田舎では「あんこ」って呼んでますけどね。うちは豚肉と玉葱がメイン。キャベツや白菜は使ってません。豚は岩手の岩中豚。玉葱は季節に応じて、夏は佐賀産、冬は北海道産が多いかな。餃子の本なんかを見ると「徹底的に混ぜて混ぜて粘りを出せ」って書いてあるけど、うちはそこまで混ぜてません。これも親父からの直伝で、あるとき一生懸命(餡を)混ぜてくれているはずのバイトのおばちゃんが、全然混ぜてないのを見ちゃったんだって(笑)。

 話を聞いていた常連客が、ビールを吹き出し取材中断。なんとも大らかというか、偉大なるマイペースというか。佐賀という土地の温暖な気候、そして「親父」の温厚な人柄が垣間見えるエピソードだ。

「これまで気づかなかったんだからそれでいいか」って(笑)。豚肉の部位にしてもずっと肩ロースにこだわっていたんですけど、ある日、安いバラ肉を混ぜられてることに気づいて。でも、そこで怒らないのがうちの親父。やっぱり「味は変わらないし安くなるならこのままでいいか」って(笑)。いや、親父の舌は抜群なんですよ。料理のツボというのも本当によく心得ていて、クラブに何日も煮込んだビーフシチューを差し入れたり、「トンカツでも食うか」って言っては車でわざわざ30分ぐらい飛ばした場所にある店を選んだりするような人でね。刺身が好きなんだけど「ひと切れ食べたらもう満足。あとは食え」とか、若い頃は相当に旨いものを食ってたんだろうな。そんな親父だから、たぶん、こだわるべきところとそうでないところっていうのを、完全にわけていたんだと思うんですよ。

お客さんの笑顔が見たいから。…ってのは正直わからない

「それじゃ、そろそろ焼餃子をお願いします」「餃子はたくさん盛られてたほうが旨そうに見えますからね。30個ぐらい焼いちゃいましょうか」
多めの油で揚げ焼きに。「油は純正ラードを使ってます」

「うちの親父のコンセプトは〈適当〉だから」と笑う吉田さん。しかしその「適当」は、決して「テキトー」ではない。本来の意味での「うまくあてはめること」なのだ。

 自分も城の主(あるじ)になるからには味を進化させたくて、ありとあらゆるブランド豚を試しましたけど、こと餃子という料理に関しては、そこまで差が出るものではないと思うんですよね。もしかして自分の舌がバカなのかっていう危機感もあったけど、兄貴も同じ意見だから、それはそれでひとつの結論だと思うし、あえてこういうことを声に出して言ってしまうというのもこだわりといえばこだわりで(笑)。油だって、最初は100%ピーナッツ油でやりたかった。でも、ひと缶1万円以上もするんですよ。そうなると、餃子も10個500円では出せなくなる。たかだか駅前のスタンド店ですよ。どっちがいいのかって話ですよ。うちのやってることというのは、お金のかわりに手間をかけた「普段着の味」というものを、お客さんに提供すること。だから採算度外視の「無化調」とか「オーガニック」にこだわり抜いて、そのぶんの料金を負担してもらいながら、「お客さんの笑顔が見たいから」っていうのは正直わからない。「金ないから笑顔でいい?」って言われたらすぐ通報するよ(笑)。

壮観。裏おもて360度、どこからどう見ても焼餃子。ジクジクと泡立つキツネ色が食欲を揺さぶる。
たっぷりの小ねぎを餃子のカーブで掬い上げるように。カウンターには青森産にんにくのすりおろしや自家製ラー油も常備されている。

完全食ならぬ「完全酒」、偶然の梅トマトハイ

 ふとしたときにどうしても食べたくなる、「生活の味」。店主のめざすところはやはりそこなのだろう。カウンター9席を埋める常連客の中には、覚悟を決めたかのように何皿もの餃子を平らげ、無言という賞賛とともに会計を済ませる粋人も多いという。

 そもそもうちはこれしかできませんから、「ビールと焼き30個で15分1本勝負」みたいなお客さんは上客ですね。そういう人は、うちがチーズ餃子とか紫蘇餃子をやらない理由というのをよくわかってる。……自分がいつも思っているのは、居酒屋ダイニングみたいなところで出てくる「生春巻き」のつまらなさ(笑)。ついでに「自家製サングリア」ってのも危険(笑)。あれは地雷ですよね。や、もちろんきちんとしたものを出しているお店はあると思いますよ。でも、ベトナム料理屋で美味しいものを食べられるのにもかかわらず、わざわざ「うちだってできるんです」みたいな意思の入ったものを食べる気にはならないというかね。変化球は変化球だし、直球の強さはないですよ。

 ……と笑う吉田さんに、カウンターの女性から高らかなオーダー。「トムヤム水餃子お願いします」。……(失礼ながら)おい店主! 言ってることとやってることが違うではないか。

(笑)いや、これは例外。もともとは自分がパクチー大好きだから、仕事中に塩とレモンをふりかけてつまんだりしてたんです。あるときそれを乗せて食べたいという人がいて、だったらトムヤムクンのペーストもどうぞ、っていうのが始まりですから。ペーストはカルディで買ったやつね。そこにはなんの思い入れもない。そこにこだわり始めたら、それこそハンパな生春巻きを出すことになりそうだしね。……たぶん自分は料理人じゃないんですよ。どこかで修行したわけじゃないし。ただ、プロの「餃子職人」ではあります。たまにお客さんが連れてくるんですよ、「この人、中華の◯◯飯店オーナーです」って。恐縮しちゃいますよね。もちろんこんなマイペースで仕事をしている点心師なんてどこにもいないから、オーナーさんはすぐに察してくれて、こっちはこっちでいつも通りの餃子を焼くだけなんですけどね。

トム(煮る)でもヤム(混ぜる)でもないが、不思議と落ち着く味になっているのは、やはり餃子の旨さゆえ。パクチーの香りをしっかりと受け止め吸収。主役の座を譲らない。

 ……という吉田さんに、カウンターの男性からバリトン・ボイスのオーダー。「こっち梅トマトハイね」。近年、焼酎をトマト・ジュースや野菜ジュースで割った、いわば「レッドアイの焼酎版」は珍しくないが、これはそこに梅干しを沈めてしまうという裏メニュー。某人気グルメ漫画の主人公曰く、餃子が「肉、野菜、炭水化物の含まれる小麦粉を網羅した完全食」だとすると、これはつまみのいらない「完全酒」か。トマトと梅、2種類の酸味・塩気が複雑に絡みあう。

 これも常連さんとの合作なんですよ。カウンターがあまりにも忙しいときに、酎ハイの梅干し入りをおかわりした常連さんのジョッキに、間違ってトマトを注いでしまって。自分は捨てようとしたんだけど、「それでいい」というから出しちゃった。でも、これが意外と美味しくてね。間違いなく塩分過多になるし、あまり餃子も出なくなるから、こればっかりというのは勘弁してほしいんですけどね(笑)。
 酒はビールやホッピーがよく出ます。佐賀の日本酒(鍋島)も人気。強い人には白酒(ぱいちゅう/中国酒の蒸留酒。アルコール度数は40~50度)も試してみてほしいですね。あと、自分が酒好きだってこともあって、絶対に餃子にはあわないラフロイグとかカンパリ、リモンチェッロなんかも置いてます(笑)。もちろん頼まれれば喜んで出しますよ。それが美味いかマズいかはお客さんが決めることであって、そこは自己責任で楽しんでくれればいいと思うんです。僕だって毎週末、いろんな街のいろんな店を開拓してますけど、チャレンジで入って当たる確率というのは30%ぐらい。でも、いい店ばかりだといい店のありがたみなんてわからないでしょ? 酒には失敗も必要なんですよ。今は昔みたいにカッコよく奢ってくれる上司というのも少ないだろうから、若い人は大変そうだけど、できればガンガン失敗しながら飲み歩いてほしいと思いますけどね。あ、もちろんうちの店が失敗ってことじゃないですよ(笑)。

いっさいのツマミがいらなくなる、禁断の裏メニュー。「梅干しは蜂蜜も紫蘇も入ってない、塩だけのものを使ってます。焼酎に落とすなら断然このタイプですね」

自分が「いいな」って思うような店って、よくわからない店が多いんです

「スポーツ全般が好きですけど、サッカーは特別ですね。負ければ落ち込んで眠れないし、勝ったら興奮して眠れない。この時期は体力が持ちません(笑)」

 店主の「俺節」は続く。「白飯はどうしても大きなガス釜で炊きたいというのがあって、鷺沼店に託してしまったんです。この店は本当に狭いから」という理由から、カウンターの端に積まれているのは「サトウのごはん」。それが売り切れの場合は、「向かいのオリジン弁当のを持ち込んでもらってます(笑)」。しかし、それもこれも、ぜん渾身の「直球」の前では酒のすすむ笑い話として機能し、そこから生まれる飴色の空気が、また餃子を旨くする。
 こと国民的ファーストフードである餃子においては、「ころあいの温度」というのが身体の芯まで心地よいのである。

 自分が「いいな」って思うような店って、よくわからない店が多いんです。だいたいみんな、説明できない部分を抱えてる。「極めました」っていうのはたいしたことないですよね。飲食って長いじゃないですか。根を詰めちゃダメなんです。ひとつずつ問題をクリアしていったり、アップダウンを楽しむぐらいじゃないと続かないと思います。アカデミー賞での黒澤明だって、スピルバーグとルーカスに挟まれながら「まだ映画がよくわかっていない」って言ってましたよ(笑)。でも、あの人は努力してないわけではないじゃないですか。
 そもそも自分で小麦を収穫しているわけではない。豚を飼育しているわけでもない。S.E.の世界はゼロかイチだったけど、飲食に関しては小数点以下がほとんど。だったらゆっくり完成をめざせばいいんですよ。もちろん完成なんてないんだけどね。

ぜん 神奈川県川崎市高津区溝口2-3-7 サウスウイング溝口ビル 1F
044-857-3410
営業時間:18:00~24:00
定休日:日曜日

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