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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ13 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 / 2015.2.25 目黒区中根「LAST DROP」中山亜紀さんの「ハギス・ボール」

「ハギス」はスコットランドの伝統家庭料理。詳しくは本文参照だが、鶏よりも豚よりも牛よりも羊の肉が好きだ、という獣香フェチにはたまらない味わいの、瞬殺ヒトサラ。日本ではまだまだ珍しいこの料理を、「本場仕込みの変化球」で提供する店が、LAST DROPだ。
都立大学駅から東横線の線路沿いに2分ほど歩く。そこに現れる一軒家はカフェのようだが、しかし酒飲みを素通りさせない風格もあり、階段を昇り、木の押し戸を開ければ、やはりすぐさま喉が鳴る。長い長いBARカウンターに座り話を聞けば、連日昼の2時から銘酒を提供し、アイドルタイムもなし。つまりは別天地だということ。
シェフの中山亜紀さんは美大出身の直感派。オーナーのすえみさんは亜紀さんの母親であり、たおやかさの奥にただならぬ冒険精神を秘めた、生粋の趣味人。母娘は京都をルーツに世界各地の空気を吸収し、その経験のすべてをこの店に反映させている。
京都、東京、台湾、そしてスコットランドを結ぶ、亜麻色の動線。まずは若きシェフのバックボーンから。

「こんな世界の裏側まできてくれてありがとう」そんな言葉から始まった、エディンバラでの留学生活

中山亜紀さん。「エディンバラは世界遺産にもなっている石造りの城下町です。日本だと?  う~ん、金沢?……いや、やっぱり全然違いますね(笑)」

 わたしは幼少期の7年半を台湾で過ごしたんです。父の仕事の関係で、幼稚園の年長から13歳まで向こうのアメリカン・スクールに通っていました。そこから母の実家の京都に戻ってきたんですね。わたしは美術が好きで、彫金や彫刻の道に進みたかったので美大に進むんですけど、その前に通っていた予備校の先生が、「お前英語できるんだから留学してみないか?」と声をかけてくれて、スコットランドのエディンバラにいくことになるんです。それまでスコットランドに対する知識というのはほとんどなくて、「エディンバラ? アフリカですか?」みたいな(笑)。初めて空港に降り立ったときは、なんだか暗くて寒い街だなぁ、と不安になりましたけど、初めてひとりで乗ったタクシーの運転手さんに、どこから来たのか訊かれて、おそるおそる日本からだと答えたら、「こんな世界の裏側まできてくれてありがとう」と笑ってもらえたんですよ。それで、「あ、わたしこの土地好きだわ」と直感したんですね。

 冬場は極寒、夏場は白夜という環境のせいか、スコットランド人はとにかく酒を飲む。ウイスキーのチェイサーにビールを煽るなど日常茶飯事。しかしその赤ら顔には民族の誇りが感じられ、剛健な「スコッツ魂」が滲んでいるのだという。

 わたしもよく飲むほうですけど、彼らには負けますね(笑)。もちろん特徴はお酒の強さだけじゃないですよ。ガサツだけど心が優しくて、『ブレイブハート』という歴史映画があるじゃないですか? まさにあの世界に生きる男というのがたくさんいるんですね。
 ただ、やっぱり例外というのはいて、最初のシェアハウスのルームメイトが最悪だったんですよ。アメリカ人ふたりとスコティッシュひとりと暮らすことになって、女性はわたしひとりだけ。アメリカ人は朝まで政治の話をしているので害はなかったんですけど、スコティッシュは受験勉強が思うようにいかなくて、しょっちゅうパニックになっていて。いきなり叫び出したり、キッチンの床に生卵を叩きつけたり……で、その掃除というのを、なぜかわたしがやるんです(笑)。その子の症状というのもどんどん酷くなっていって、わたしは学校から帰ってきて、すぐに自分の部屋に避難するような生活。最後は近隣の人が警察を呼んで、わたしは保護されるんです。もう、完全なトラウマというか、外人恐怖症になりましたね。

 美女のトラブルは蜜の味。こちらはさらなる災難を聞き出そうと質問してみるが、「いやいやここでは言えないことばかりで…」と、笑顔で黙する亜紀さん。隣で頷いていたすえみさんが、穏やかな表情で話を引き継ぐ。

中山すえみさん。「この子の留学に関してはやっぱり心配でした。でも、わたしも娘に会いに何度も通ううち、本当にエディンバラという街が大好きになったんです。今では〈つぎに住むならここかな〉ってぐらいに思っていますよ」

 この子はそれでも「いったんきちゃったんだからしかたがない」と腹を据えて逃げ帰ってこなかったんですよ。だからこそ、この店があるんです。それは精神論みたいなことではなくて、実は、「LAST DROP」というのはこの子が通っていたエディンバラのパブの名前なんですよ。もちろん今も実在するお店で、わたしの「早く自分でもお店をやらなきゃ!」というエネルギーは、そこで出会ったケーキ、「スティッキー・トフィー・プディング」からきているんですね。
 家族が台湾から帰ったばかりの頃、わたしはその頃から自分のお店の構想を持ち始めていて、ずっと中国茶をやりたいと思っていたんです。でも、娘に会いにエディンバラまで旅行して、このケーキの味に出会ったことで、一気に目先が変わってしまったんです。そこからはもう、取り憑かれたようにこの味のことばかり考えるようになって、日本に帰ってすぐにレシピを調べたりもしたんですけど、どうしても同じ味にはならない。わたしは娘に会いにいくたびにLAST DROPに通って、なんとかつくり方を教えてもらえるように頼み込むんですけど、3回通ったぐらいじゃまだ教えてくれない。そうこうしていたら、娘の学校の先生が間に入ってくださって、わたしの地元(京都)とエディンバラが姉妹都市だということがわかるんです(笑)。さっきこの子が話したように、スコットランドの男性は本当に情に厚いので、最後は「レシピを教える以上は〈LAST DROP〉の名前をつかってくれてもいいよ」とまで言ってくださって。
(亜紀さんを見ながら)あのお店には本当に感謝しなくちゃね。

本家LAST DROPのレシピをベースに、デーツの自然な甘みを強調した、世界にここだけのスティッキー・トフィー・プディング。砂糖やバターはほとんど加えず、油分は胡桃。人参のすりおろしを加えるなどしてあっさりと仕上げている。
しっとり温かなプディング生地と、キンと冷えたアイス。ほろ苦いキャラメル・ソース。コーヒーにもワインにも、そしてスコッチにも。

(頷いて)スティッキー・トフィー・プディングは、スコットランドの家庭に伝わる伝統的なお菓子なので、たとえば自分の友だちの家にお邪魔して、レシピを教わったとしてもいいわけですよ。ただ、LAST DROPの味というのはやっぱり特別だったんですね。子どもが喜ぶ「ケーキ」ではまったくないというか、むしろスコッチやワインを並べてまだまだ飲みたい人が食べる「締めの料理」という印象ですね。甘さの決め手になるのはデーツ(ナツメヤシ)です。向こうではテスコ(イギリス最大のスーパーマーケット)なんかでもふつうに売ってましたね。干し柿みたいな感覚で日常的に食べられていて。

 エディンバラのLAST DROPは、誰もが頭に思い描くパブとほとんど変わらないと思います。セント・ジャイルズ大聖堂の広場から急な坂道を降りたところにあるグラス・マーケットという場所にあって、ちょっと小汚いというか、天井全面に昔の紙幣が貼ってあるようなお店です。パブの前の通りは17世紀に処刑場として使われていた場所で、今でも処刑台が残っているんです。「LAST DROP」には「ボトルの底の最後の一滴」という意味がありますけど、向こうのお店のロゴ・デザインは、「DROP」の「O」が首吊りのロープの輪っかになっているんですね。外観も石造りの建物に血の色のドアを埋め込んであるような店で、留学中は本当に鍛えられましたね(笑)。

長い長い楡(にれ)の一枚板。このカウンターに導かれるようにして物件を決めてしまった

 その類い稀なる探究心とバイタリティにてエディンバラLAST DROPの東京支店ならぬ姉妹店の称号を獲得した中山母娘は、実店舗の開店に向け奔走することになる。現在は調理場を取り仕切る亜紀さんだが、当時は調理師免許すら持っていなかった。

「レバーペーストはビストロでの修行中に習った味です。牛乳に漬け込んだ鶏レバーに、ナツメグを効かせています」 ゴロゴロと無骨なメイクイーンがインパクト大。ひとり飲みにもうれしいサイズのグラタン。ココットのフチに焦げたチーズがたまらなく香ばしい。

 朝はパン屋さんでバイトしながら、夜間学校に通ってなんとか取得しました。ただ、それだけじゃお店なんてできないから、あるビストロでも実践修行させてもらうんですね。母と見つけた京都のお店が東京にも支店を出していると知って、そこの店長さんに頼み込んで、1年間限定で働かせてもらうんです。わたしには「自分の店」というハッキリとした目的があったので、そこでは、バー、ホール、キッチンのすべてを体験させてもらいました。油缶はめちゃくちゃ重いし、筋肉もつきましたね(笑)……正直、あの頃は泣いてばかりいました。かなり厳しい職場でしたし、失敗するたびに「お前飲食向いてないんじゃねぇか?」と言われて、もう、毎晩ヤケ酒が美味しくて(笑)。でも、いちばん泣いたのは送別会ですね。その日だけは上司も優しくて「お前が頑張ってくれたからみんなも頑張れた」と言ってくれた。そもそも1年間で去るというのが決まっているのに迎え入れてくれたこと自体が最高の優しさなわけで、もう、大号泣ですよ。
 わたしは小さな頃から住む場所を点々としてきたせいもあって、ふつうの子どもよりもずいぶんといろんなものを食べさせてもらったと思うんです。そのせいもあるのか、もともと料理は大好きだったし、いちど食べた味は大抵自分で再現できたんですね。だから、今から思えばこれがわたしの天職だったのかなって思います。美大からの進路にも行き詰まって、いろんなことがうまくいかなくなっていた自分に、「いっしょにやらない?」と誘ってくれた母の期待を裏切るわけにはいかなかったし、当時は死にもの狂いで頑張りましたね。

 美術の道は諦めたという亜紀さんだが、店内を見渡してみれば、この店こそが、もっとも奥深く有機的な「作品」なのだという気もしてくる。それほどにLAST DROPの店内は洗練され、五感に楽しい。
 あえて入口すぐの天井に吊るされたシャンデリアと、中国の青磁器の不思議なマッチング。奥の小上がりには畳が敷かれているが、そこの主はヴィンテージのアップライト・ピアノ。壁を囲むヒーティング・システムはあえて剥き出しで設置され、重厚な光を反射する。そしてそれらいくつもの要素に美しい均衡を与えているのが、店内の中央を突き抜ける、長い長い楡の木のカウンターだ。
 亜紀さんが続ける。


「この木はわたりよりも数百歳は歳上。いつのまにか知らないお客さま同士が仲よくなっているというのも、このカウンターの力が関係しているんじゃないと思うんです」とすえみさん。

 前々から一枚板のカウンターというのに憧れていたんですけど、たまたまテレビを見ていたら、加山雄三の「若大将のゆうゆう散歩」がやっていて、この近所の家具屋さん(norsk)が紹介されていたんです。わたしはすぐに「あそこなら理想のものがあるはず!」と思って駆けつけて、この木に惚れ込んでしまったんですね。これは7メートル以上もあるので、ところどころ補強はしてあるんですけど、それもまた歳月を感じさせてくれていいんです。この状態に加工されてから40年も眠っていたらしいんですけど、それでもときどき若い木の香りがふわっとするんですよ。
 この物件に関しても、このカウンターが見つけてくれたようなものなんです。都立大学という街の知識なんてまるでないのに、カウンターに導かれるようにして、この場所に決めてしまったんですね。母が京都から住まいを移してきたのは、オープンの1週間前(笑)。しかも前日にぎっくり腰をやってしまって、大変な初日でしたね(笑)。

細いパイプに熱湯を循環させることで心地よい室温と空気を保つというヒーティング・システム。あえて裸のまま設置され、木の温もりと真鍮のノスタルジーを見事に調和させている。

本場の「ハギス」は、誰かの食べ残しみたいな……。わたしは大好物になるまで5年かかりました(笑)

 つまりはまたしても「飛び込み」。つくづく直感に正直な母娘の姿勢に脱帽しつつ、楡の木の香りに集中する。そこに運び込まれたのは、LAST DROP名物のハギス・ボール。すぐさま黒のスタウトをオーダーする。

 これもエディンバラの思い出の味です。「ハギス」はパブのつまみの定番なんですけど、わたしが初めて食べたときは、到底美味しいとは思えませんでしたね。ドロッとした状態で出てくるし、それをマッシュポテトやパースニップ(白ニンジンとも呼ばれるセリ科の根菜)のピューレと混ぜながら食べるものだから、見た目も酷い……最初から誰かの食べ残しみたいな……今、みなさんの頭にアレが浮かんでいると思うんですけど(笑)、まさにそんな感じの見た目で……。ただ、ハギスにも野菜をたっぷり使ったものとか、スパイスの効いたものなんかのバリエーションがあって、わたしはそこから入って、5年間食べ続けたら大好物になったんです。
 ハギスは羊の胃袋に詰めものをして煮込んだものを、オートミールと混ぜてつくるんですね。向こうだと加工品として売られているので、家でイチからつくるということはしないんですけど、もちろん日本にはそんなものは売っていない。うちの場合は山形にある羊専門のお肉屋さんから届いた胃袋を解凍して、塩漬けにして、そこに羊のハツやレバー、タン、挽肉などを詰めていくんですけど、とにかくこれが大変な男仕事なんですよ。羊の胃袋は広げると70センチぐらいあって、それ自体がすごく臭くて断念しそうになりましたね(笑)。
 ボール状に揚げたのはうちのオリジナル……と言いたいところですが、これもエディンバラのあるレストランで出会った調理法です。うちのお店がオープンする直前に、いちど味のルーツを確認しておこうと思ってエディンバラ巡りをしていたときに出会って、「これだ!」と感動して。お店がオープンしてしまったら当分旅行なんてできないわけだし、半分は遊びのつもりだったんですけど、行ってみてよかったですね。すべての行動には結果がついてくるんだなって。

ハギス・ボールにはごく少量のソースやスパイスがあらかじめかけられている。「ソースの味を強くすることで食べやすくしたとしても、それはハギスではないですから。複雑な肉の香りに〈スコッツ魂〉を感じてほしいと思いますね」

 ここまで本場を再現しながらも、LAST DROPはスコティッシュ・パブの範疇には留まらない。ワインセラーには妙妙たるヴィンテージが眠っているし、日本酒や焼酎で締めたければ、確かな審美眼にて選び抜かれた京都の「おばんざい」が味わえる。すえみさんが説明してくれた。

石垣焼きの「黒じょか」に注がれる日本酒と、お漬け物の盛り合わせ。 「赤こん」はもっちりとした食べ応えで、根菜ならではの風味も強い。市販のこんにゃくを想像していると、その不思議な弾力に驚かされる。

 お漬け物は大津から取り寄せたもので、やっぱりこっちのものとは味が違いますね。赤こん(赤こんにゃく)は近江八幡の特産品。天然のこんにゃく芋をつかったもので、凝固剤なんて入っていないから、とても食感がいいんです。お酒にあうように、大辛(おおから)ふうにしていますけど、辛いのが苦手なかたにはおかかを多めにしてお出ししています。このこんにゃくはふくめ煮にすることもありますし、聖護院大根や飛竜頭(ひろうす)なんかといっしょにおでんにする日もあります。京都は近くに海がないので、こうした「おばんざい」が家庭の味として定着しているんです。日本酒や焼酎を飲む方には、なるべく京都の食材の魅力をお伝えしたいと思っていますね。
 もちろん京都でお店をやろうとも思ったこともありますよ。知り合いもたくさんきてくださると思ったし、正直、そのほうが楽な面もあったかと思います。でも、それだと自分がおもしろくないんです。人生には、変化や刺激がないと。(亜紀さんを見て)この子の名前には、アジアの「亜」と、風紀の「紀」という文字を使って、日本古来の美意識みたいなものが身についてくれたらなって思っていたんですけど、そんな子に限ってエディンバラまで飛び出していって(笑)、でもその結果、このお店の名前までを持ち帰ってくれた。そんなこの子の逞しさを見るにつけ、わたしだってまだまだ負けていられないと思うんです。

 亜紀さんからも京都の思い出を聞きたいとも思ったが、この日は20時からミュージシャンを迎えてのJAZZライブを開催するとのことで、その準備にも忙しそうだ。増えゆく常連のためにも旬の食材~日替わりメニューは充実させていきたいし、すえみさんとともに中国茶の勉強もしたいと語るその目は、「まだまだこれから」という意欲に満ち、それがそのままLAST DROPという空間の明るさに繋がっている。

 そうですね。今のわたしはやりたいことだらけです。自分の中のルールとして、仕込みが終わったら飲んでもいいことにしてるんですけど(笑)、かといってこのお店の未来が頭から離れることはありませんね。これからもどんどん進化し続けていきたいと思っていますので、またすぐにでも遊びにきてくださいね。

LAST DROP 東京都目黒区中根1-9-3
03-6421-1422
営業時間:14:00~24:00(月~土)14:00~22:00(日)

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