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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ14 / TEXT:前田慎二 PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 / 2015.3.24 豊島区東池袋「稲水器 あまてらす」古賀哲郎さんの「春巻きコロッケ」

池袋の東口、喧騒の中を10分ほど歩いて、もう飲食店など見当たらなくなった場所に、「稲水器 あまてらす」は現れる。
「稲水器」は「いなみずき」と読む。稲は食べ物、水は飲み物を指し、そこには「蔵元にはしっかりとした酒を仕込んでいただいているので、こちらはそれを引き立てる器を用意します」という意味が込められている。店主の古賀哲郎さんはまだ33歳だが、その若さにも関わらず、全国72もの蔵元へと足を運び、自らの感覚で確かめた酒だけを取り揃えているのだ。
そんな古賀さんのルーツは豊島区大塚。日本酒の世界ではパイオニア的な名店である「串駒」の門を叩き、故・大林禎店主のもと、7年半の修行を経験。日本酒に対する情熱を受け継ぎ、珠玉のヒトサラとともに提供しながら、「飲食店の現状に憤っている」という本音も明かしてくれた。
酒の場を愛するがゆえの、真摯な憤慨。まずはその気持ちから聞いてみたい。

稲水器で供される日本酒の数々を保管する冷蔵庫。初春の午後、開店前の淡い光に、すべての酒が神々しい。

自分のところで扱っている酒について知らないのは、詐欺に近い商売だと思う

古賀哲郎さん。 1杯目は「にごり」をおすすめすることが多いという古賀さん。この日は「而今 特別純米にごりざけ」(木屋正酒造・三重県名張市)からスタート。而今は古賀さんが店を開く前から「日本でいちばん売りたい」と惚れ込んだ酒だ。 稲水器のお通しは一汁一菜。「お客さんが最初に食べるものだからいちばん気を遣います」と古賀さん。季節感を込め、2週間ごとに違った組み合わせになるそうで、この日も旬の素材を使った「カブのお椀」が出された。 一菜は「きんぴら海苔巻」。新ごぼう、金時にんじん、ウドを海苔で巻いたもの。

 これは僕の飲食店観にもつながる話ですが、たとえば車のディーラーだったら、自分の扱っているメーカーの商品に関して、操作性、燃費、他社製品との違いなどの詳細を理解していますよね。たとえば保険の外交員なら、自分が販売している保険について、保証内容や特約だったりを詳しく説明できると思うんです。ところが飲食店では、従業員が、その店で扱っている酒について知らなくてもよしとする風潮があるんです。有名な懐石や割烹でも、日本酒の知識を持った従業員がいないというケースが多い。自分のところで扱っている商品について知識がないまま販売するということは、詐欺に等しい行為だと思うんです。
 でも、今の飲食業界では、僕のこうした考え方は主流ではない。僕にはそれがどうしても納得できなかったので、この店では自分が訪れたことのある蔵元の銘柄しか扱わないことにしたんです。

 古賀さんが日本酒に興味を持つようになったのは、大学時代の頃。当時アルバイトをしていたお店の御主人から大塚「串駒」を紹介され、働くようになった。古賀さんは独立した今も、串駒の店主だった故・大林禎(てい)さんのことを「マスター」と呼ぶ。大林さんは、日本各地に点在する「手造り」の蔵元による銘酒に脚光を当てた先達のひとりで、日本酒の世界ではその名を知らない者はいないというほどの存在だった。

 僕が最初にアルバイトしていた飲食店は、どこに出しても恥ずかしくないような日本酒が40種類。ワイン、焼酎、ウィスキー、ブランデーも質の高いものばかりで、カクテルも200種類を揃えているような店でした。ひとり暮らしだった自分は賄(まかない)目当てで飛び込んだんですけど(笑)、そこで働くうちに、とくに日本酒に興味を覚えて勉強するようになったんです。だから、若手であれば「日本でいちばん日本酒に詳しい」と自負していました。ところが串駒の面接で、冷蔵庫に保管されている日本酒を見せてもらって、ガツンと衝撃を受けました。ひとつも知っている銘柄がなかったんです。
 その日は驚きの連続でした。まずは2階に通されたんですけど、階段の途中に鍋とか皿がポンポンと置かれていて、壁には「関係者以外立ち入り禁止」と貼り紙がしてあるにも関わらず、そこでお客さんが飲んでるわけですよ(笑)。その一角でマスターは火鉢にあたっていて、「まぁ座れよ」と。……だから、面接というより、話ですよね。「日本酒好きなの。まぁ一杯飲んでいけよ」って。今から思うと単に飲み相手が欲しかっただけかもしれませんが……。

「刺身」は古賀さんがもっとも力を入れているメニューのひとつだ。旬と鮮度にこだわり、信頼する鮮魚店から仕入れる。わさびとともに添えられた藻塩がうれしい。

「酒を注ぐんじゃなく、風景を注げ」

刺身に合わせ選ばれたのは「磯自慢 純米吟醸 生酒原酒」(磯自慢酒造・静岡県・焼津市)。「基本的には生酒を出さない蔵の珍しい1本です。この時期の一瞬だけ、ひっそりと出荷されるんですよ」 「遊穂」は東京で畑違いのOL生活を送っていた藤田美穂さんが日本酒業界に飛び込み完成させた酒。瞬く間に注目される銘酒となった。ラベルからも女性らしい優しさが漂ってくる。 「篠峯」は蔵のある葛城山のかつての別称でもある。仕込み水はこの山の伏流水を蔵元の井戸から汲み出したものをそのまま使用しているという。まさに自然の化身のような酒だ。

 どの世界にも、上には上がいる。古賀さんは大林さんから「酒は単なる商品ではなく、造り手の想いの結晶だ」ということを教えられ、以来、全国の蔵元を訪ねて廻るようになる。

 たとえばここに「遊穂」というお酒があります。御祖酒造という石川県の羽咋市にある蔵のお酒ですが、そこは蔵元のお嬢さんである藤田美穂さんという方が頑張っていて、これは彼女が「遊び心のある酒をつくってみよう」と出したものなんです。それで「遊穂」という名前がついたんですね。しかも羽咋市にはUFOに関する逸話が残っていて、「宇宙科学展示室」などをつくって観光PRをしている。そうなんです、「遊穂」には「UFO」もかかっているんです(笑)。
 酒を注ぐのは誰にでもできるんです。でも、酒をつくる人々の暮らしを知った上で、それを自分なりの言葉で伝えながら注ぐというのは、僕にしかできないことだと思うんですね。

 それにしても古賀さんの言葉は滑らかだ。冷蔵庫から酒を取り出し、器に移すそのたびに、溢れる賛辞。単なるボキャブラリーを越えた魔法のようなものが、その言葉には漂っている。味への表現力を磨くコツのようなものはあるのだろうか。

 それもやっぱり、蔵元を訪ねて、水や米などの原料、そして酒造りに対する気持ちを直接お聞きしているという実績からくるものだと思います。たとえば奈良県の御所市櫛羅に「篠峯」(千代酒造)という酒があって、その蔵を訪ねたときのことです。まだ初夏だったんですが、蔵を見せていただいた後に、蔵元の堺哲也さんが、「うちは田んぼもやっています。最後にそれを見ましょう」と誘ってくださった。てっきりどこかべつの場所まで移動するのかと思っていたんですけど、薄暗い蔵の扉を開けていただいたら、葛城山の中腹に田んぼが広がっていたんです。カンカン照りの初夏の陽射しと、抜けるような青い空を背景に、山田錦が揺れていて、「あぁ、こんな場所で育ったお米で仕込んでいるからこそ、この酒は美味いんだ」と感激しましたね。人間、実際に見たものは、ありありとお話できると思うんです。

「酒を注ぐんじゃなく、風景を注げ」。これもマスターの教えであって、僕はそれを実践しているつもりです。今となっては、どこまでが串駒で教えられたことか、どこからが自分で考えたことなのか、もう区別がつかないですけど、結局僕の考えは大林の考えと捉えてもらって差し支えありません。
 みなさん「あの店の修行はすごく厳しかったんじゃないか」とおっしゃるんですが、マスターもスタッフもすごくフラットに接してくれて、そういうシゴキ的なことはまったくなかったですね。……ただ、自分で酒を選べて、料理も出せるようになるというのが串駒流の修行なので、その点では苦労しましたね。マスターは厨房未経験の僕にいきなり包丁を持たせて、「ひと品つくれ」ですからね。泣く泣くマカロニ・サラダをつくったことを思い出します(笑)。あと、いちばん大変なのは、マスターの閃きからくる新メニューの開発なんです。突然食材を取り寄せて、「今晩はこれを使え」と言われるんです。

カブと蓮根、ズッキーニ、長芋、パブリカ、アスパラ、ベビーコーンを素焼きして和えた「カブと焼き野菜のマリネ」。胡麻油、米酢、そして三温糖を使ったドレッシングがポイント。

 今回のヒトサラ「春巻きコロッケ」も、もともとは大林さんの閃きから生まれた料理のひとつだそうだが、古賀さんはそこに、驚きの風味を加えてみせた。コロッケといえば、やはりごはんのおかずであり、日本酒のつまみとしてはおよそ似つかわしくない。しかし稲水器のそれは、衣の食感と燻製肉の香ばしさが、たまらなく酒を誘うのだ。

カリッと揚げられた春巻きの皮のクリスピー感と、きめの細かなポテトの餡の食感。その落差も楽しい「春巻きコロッケ」。日本酒には野暮ったいはずのコロッケが、遊び心あるアイデアで、洒落れたつまみに生まれ変わった。

 マスターが突然「コロッケを春巻きの皮で巻いてみろ!」と言い出して、当時は何度も何度も納得するまでやり直しをさせられました。現在うちで出しているものは、さらにそれを工夫したもので、肉はこの店で燻製にしたものを使っています。このメニューはとにかく手間がかかるのですが、串駒の女将に出したところ、「これはもう稲水器のオリジナルね」と誉めていただき、報われましたね。串駒のエッセンスを自分なりに昇華して、この店ならではの味を確立したメニューとして、ぜひ試していただきたいです。……ただ、英字新聞でコロッケを巻くのは串駒流。その部分は受け継いでいます。マスターは服の裏地にこそこだわるようなところがあったので。

天婦羅の「油」と牛肉の「脂」。それぞれに合わせたい「酸」がある

馬刺しの質のよさも稲水器の魅力のひとつ。「フタエゴ」は肩からアバラにかけて広がる三層肉。コリッとした食感が楽しい希少部位だ。

 串駒から稲水器に受け継がれたのは、春巻きコロッケだけではない。「飲」と「食」とが高いレベルで調和するという、店の在り方そのものだ。目にも華やかなお通しから始まる一夜の食事としての満足度は、従来の居酒屋のレベルを遥かに超え、むしろフレンチやイタリアンの感覚にも近い。そしてその完成度に大きく貢献しているのが、料理人であると同時にソムリエ的な存在でもあるという、古賀さんならではの資質だろう。

 一般的に、肉の脂には酸の強いお酒を合わせるということになっています。脂は酸と相性がいいとされていますから。ただ、単に「あぶら」といっても、天婦羅の「油」と牛肉の「脂」は違いますよね。もちろん酸にもいろんな種類の酸があって、科学的には似ていても、味覚においてはまるで違う。つまり、動物系の脂と植物系の油では、そこに合わせたい酸というのは変わってくるんです。たとえば天婦羅だったらリンゴ酸や炭酸をもった酒。肉の脂には乳酸系の味わいをもった酒を合わせると、お互いをすごく引き立てます。いつまでも教科書的な情報を盲信していたのでは、進化はないと思うんです。

季節メニュー「合鴨のもも肉の甘辛焼き」。鴨の料理は余韻が長い。噛みごたえがあり、最初はソースの味、あとからは鴨自身の血の味まで、長い時間を味わうことになる。古賀さんは「そんな食材には味が切れるような酒ではなく、ボディがある酒がいい」と話す。そしてまた、「お酒単体で味わうと重くてキレの悪い酒でも、鴨と食べると実に伸びやかになるんです。逆にキレのある吟醸酒を飲みたいというお客さまには、鴨のほうのピース(大きさ)を調整することもあります」とも。残念ながらそこまで日本酒のことを考えられる調理人は少ないというのが日本の飲食店の現状だ。

今は日本酒という酒が生まれてから、いちばん美味しい時代なんです。

 近年は海外でも日本食ブームになり、それに伴い日本酒の評価も世界的なものになっている。ただ、そのいっぽうで日本酒の世界は難しいというイメージも強まり、敷居の高さを感じてしまう人もいるようだ。

「而今」と並ぶ稲水器の2枚看板、「東洋美人」(澄川酒造所・山口県)。蔵元はおととし7月の山口・島根豪雨で水害に見舞われ大きな被害を受けたが、全国から蔵元を支える同志たちが集まり、驚くほどのスピードで復旧作業が進んだという。この日は復活した蔵元が届けてくれたという「原点 直汲み生」をいただいた。 高い見識を持ち、日本酒のトップ・ブランドであり続ける「十四代」(高木酒造・山形県・村山市)の「中取り純米 無濾過」。古賀さんは「串駒と十四代の出会いは必然だったんでしょうね」と振り返る。大林さんとの最後の旅でも「十四代」を訪ねたという。

 僕がまず言いたいのは、「今、日本酒を飲まないのは損だぞ」ということです。蔵元の技術の向上もありますし、流通が整ってきたのも大きい。きのう蔵で搾ったものが、翌日東京で飲める。木にたとえれば、幹が太く育ち、枝葉が生い茂っている状態というのが現在の日本酒の姿だと思うんです。僕が勉強を始めた15年ほど前は、「無濾過生原酒」(濾過、火入れ、加水を行っていない生酒)の美味しさが認知されるようになった頃でした。その後、「夏吟」(夏向きのさっぱりとした吟醸酒)、「低アル酒」(アルコール度数が8%程度の酒)、「発泡日本酒」(炭酸ガスを含んだ日本酒)など新しいジャンルの日本酒が出揃って、それぞれが高いレベルに到達している。これだけ日本酒が美味しくなったんだから、その味を10にも20にも膨らませるのが、プロの「注ぎ手」の僕らに必要とされるテクニックなんです。

 たとえば初心者の女性には、「このグラスかわいい」と思っていただける器にお注ぎしたいと思っています。入り口やきっかけはどうあれ、心からこの場を楽しんでいただき、僕らをやる気にさせていただけるのであれば、たとえお酒の知識がなくても、その方は「飲み手」のプロだと思いますよ。

 なるほど。マニアックな知識や蘊蓄に固執するのではなく、場を楽しむ術を知る人こそがプロ。古賀さんは日本酒に携わる人を、「造り手」「売り手」「注ぎ手」「飲み手」に分け、そして、それぞれがそれぞれの役割に徹するプロであるべきだと考えているのだ。

「粕漬は日本酒に合わないんです。絞ってできたものと、残ってできたものなので」と意外な指摘。しかしこの「筋子の粕漬」は絶品。試行錯誤の末に「天明」(曙酒造・福島県会津坂下町)の粕を選び抜いたのだそう。そして天明といえば、絞りたての酒を自ら汲んでいるのだという。それは、酒をポンプで汲み上げ出荷する際、そこに含まれるガスが抜けてしまうのを避けるためだそうで、現地で飲む味をそのまま東京に持ち込みたいと考えた古賀さんは蔵元に直談判。「自分たちの手で汲むんだったらいいよ」と許しを得たのだという。 甘海老の酒盗和え。

 造り手は蔵元、売り手は酒屋、注ぎ手は僕らのような飲食店、飲み手はお客さんにあたります。その中でも、今は注ぎ手のプロが圧倒的に不足しているんです。注ぎ手は自分が売り手だと勘違いしている場合も多いし、飲み手の延長であることも少なくない。そういうお店は、えてして自分の店に置いている酒のレアリティ(希少性)に価値を置きがちですね。日本酒にマニアックなイメージがあるのは、マニアな客が集まって、マニアな話をして、「うちでしか飲めませんよ」的なことを売りにしている地酒屋や銘酒居酒屋の影響があるのかもしれません。日本酒に限らず、「出回っていない」ものをありがたがる文化はイビツだと思うんです。だって、少し考えさえすれば、極端に生産量の少ない酒というのはどこかおかしいとわかるはずなんですよ。裏を返せば「生産者はそれだけで生計を立てているわけではない」ということになるので、そのぶん片手間につくられていたり、なんらかの事情を抱えている商品も多かったりするんです。
 僕が蔵元さんに会っておきたいのは、そのラインを見極めるためでもありますね。小さくともしっかりとした考えをもっている蔵元は、たとえ今は有名でなくても、5年、10年すれば、必ずすごい酒をつくってくれるんです。確かに串駒やうちでしか飲めない酒があるのは事実です。でもそれはレアリティを求めたわけではなくて、長いつきあいや信頼関係から、結果的にそうなっているだけのことなんです。

日本酒を注ぎながらも、「現在はワインを勉強中」だと語る古賀さん。「どちらが優れていて、どちらが劣っているということではなくて、ワインの側から、日本酒のよさを学んでみたいんです。ワインが持っていて、日本酒が持っていないものというのを知りたいんですね」

 日本酒の文化を紐解き、深く愛するからこその信念。稲水器の今後が楽しみでならない。

 

 僕はずっとマスターの下で働いて、串駒の跡を継ぐつもりでいました。独立しようという気持ちに変わったのは、串駒創業以来のお客さまの会に立ち会ったのがきっかけなんです。みなさん創業の頃は新入社員だったりフリーターだったりしたはずなんですけど、30年の遍歴を重ねて、会社で役職をもたれていたり、起業されていたり、中には外交大使を歴任されてる方もいるわけです。ところがその会では、仕事のことはいっさい関係なく、みなさん本当に楽しそうに盛り上がってるんです。その様子を目の当たりにしたときに、こんな場の店主であることほど痛快なことはないだろうなって思ったんです。その場はお客さまといっしょにつくりあげてきた成果であって、二代目にはできないことだと気づいてしまったんですね。僕はその翌日、マスターに「俺、上がらせてください。自分の店やります」と言いました。それ以来、僕の目標は「お客さんの人生に残る店」をつくることになったんです。
 一般的な人間にとって、この世の中で過ごしている日の99%というのは、いつもと同じ日の繰り返しだと思うんです。それでもたまの休みにディズニーランドに行けるとしたら、それを楽しみに頑張れますよね。それと同じように、稲水器を予約したその日から、楽しみで、待ち遠しくて、そしてその当日が、お客さんにとっての記念日になる。そういう店ができたら最高だと思うんです。

稲水器 あまてらす 東京都豊島区東池袋2-62-10 池袋5thビル1F
03-6912-9191
営業時間:18:00~24:00(月~木・土・日)
18:00~27:00(金)
不定休

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