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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ26 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 2015.12.25 文京区千駄木「三忠」佐藤由之さんの「明石焼」

蛸、鮹、章魚。すべて「たこ」と読む。大きな頭部に見える部分が腹であり、8本の足は筋肉の塊。古来からミステリアスな海の門番として知られてきたこの食材に早くから注目し、色とりどりのヒトサラを供するようになった店が、三忠だ。
半透明の「たこ刺し」を包む、海のベール。「たこしゃぶ」にて活性化する、繊細な旨み。そして大トリ、「明石焼」のサプライズ。
生粋の江戸っ子である店長・佐藤由之さんの包丁は、すべての食いしん坊にとっての「ひっぱりだこ」であり、彼らの胃をガッツリと卍固め=オクトパス・ホールドにする。
まな板から逃げ出そうとする横綱級の真ダコを熟練の技で押さえつける佐藤さんに、さまざまな逸話を語っていただいた。

すべてはイチからやってみたいという気持ち。タコを武器にしたら、それが可能になるだろうなって

 タコに注目するようになったのは、自分が若いときに任されてやっていた日本料理店でのこと。うちの店が今年で28年になるから、もう30年以上も前のことです。当時の東京では高級なお寿司屋さんぐらいしか生のタコって扱わなかったんですけど、試しに仕入れてみたものの評判がよくて、自分なりに(調理法を)勉強していったんです。買ってきたものは売らなきゃいけないし、タコ刺しで1匹丸ごとを使い切るなんてことも難しいですからね。もともと自分は凝り性だし、自分で店をやるんだったら、イチからやりたかったというのもあります。たとえば車が好きな人だったら、車を売るんじゃなく、車をつくりたいし、デザインしてみたいという職人志向の人もいるじゃないですか。要はすべてを自分でコントロールしてみたいという気持ち。タコを武器にしたらそれが可能になるだろうと思ったし、自分なりの店ができるんじゃないかっていうのが始まりなんです。

佐藤由之さん。「あ、撮影するの?  だったらヅラつけなくちゃ!」と鉢巻きを装着。含蓄のある笑顔と江戸っ子特有の気持ちのいい語り口は、まさにリアル梅さん!(ど根性ガエル)といった風情。

 タコの仕入れは築地です。毎朝通ってハードだねっていう人もいるけど、辛いと思ったことはないし、それをしないことには始まらない。サボったこと1日もないですね。むしろ自分は止まっていられない性分なんですよ。朝一番に築地にいって、6時過ぎに店に帰ってきて、ランチの準備をして、それが終わったらその日のメニューを書いて、自分のごはんを食べてたりしてたらもう夜の営業時間になっちゃう。店が終わったら必ず飲みにいくんですけど、それも張り詰めたテンションを下げにいってるようなもの。誰にも邪魔されずに飲む時間を大事にしながらも、明日の自分のコンディションをセッティングしているような状態なんで。
 だからこそ、自分の時間は大切にしてますよ。草野球だったり、マラソンだったり、体操教室に通ったり。マラソンは2時間でも時間ができたら走るようにしてます。

 訊けば現在58歳だという佐藤さん。なんというバイタリティ。そして僕らが心底見習いたい、自己管理能力。

 いやいや、そんなにいいもんじゃないですよ。自分は東京の荒川区で育って、周りがみんなそうだったせいもあるのか、せっかちなだけじゃないですかね。この仕事だと連休とかもないし、そのぶん欲が多いだけ。お酒だって、まずビールから始めて、お湯割りを飲んで、珈琲焼酎なんかも好きだし、1時間ぐらいでバンバン浮気してね。……あとは、きっちり予定を組み立てながらも、そうできなかったときの自分も好きなんで(笑)。寝坊して、1時間しか走れないから、じゃあ店でラジオでも聞きながらメニューでも書き替えるか、みたいな。でも、この業界の人はみんなそうなんじゃないですかね。無駄な時間は全然ないですよ。

30席ほどの店内を遊ぶ、大小さまざまなタコ、タコ、タコ。

 そんな言葉の通り、定休日にお邪魔したというのに「たぶん写真に撮りたいかと思ってね」と、活きた真ダコを用意してくだっていた佐藤さん。

葛飾北斎の艶本『喜能会之故真通(きのえのこまつ)』のハイライトとしても知られる、こやつの生命力。確かに「最初に食べた人は偉い!」という気持ちにもなる。
「たこ焼酎」。「やっぱりデカいボトルで飲む酒は美味いですよね」という佐藤さんの好みから、宮崎県の麦焼酎「中々」が特注の陶器に注がれ運ばれる。野武士の腰元にも似合いそうな、荒々しくもカワイイ1本。

 前は水槽で飼っていたんですけど、こいつが墨を吐くと底に黒いのが沈殿しまって、その掃除が本当に大変。だから今はスチロールの中に活かしてます。この吸盤がかなり凶暴で、全然離してくれないんですよ。手にくっきりと跡がついちゃいます。今日はひとりなんで冷静にやってますけど、バイトがいるときは自分も気が緩むのか、「逃げちゃった!  出ちゃった!」と大騒ぎすることもありますね(笑)。
 うちで使うのは真ダコ。あとは三陸から上にしかいない水ダコ。季節によってはイイダコとか手長ダコも使ってます。タコの急所は眉間にあるので、そこを突いて黙らせてから切っていきます。水ダコは足1本が1メートルぐらいになるんですけど、うちはその付け根、人間でいうショルダーの部分を刺身にしてます。よく動いているぶん、歯ごたえがいいので。

 こんな解説とともに味わった、「真たこ VS 水たこ2点盛り」。食感も香りもまったく異なるふたつの個性が美しい重箱に盛られた贅沢な逸品だ。

まずはこれにて山忠の本意気を! という「真たこ VS 水たこ2点盛り」。どちらにも鮮烈な美味さがあるが、酒呑みにはやはり下段か。隣で眠る赤子も目を覚ましてしまいそうなほどにポリポリと音を立てる吸盤の瑞々しさよ!

 やっぱりタコの魅力は食感。タコの足は長くてだんだんと細くなっていくし、吸盤もあるから、切った1枚1枚でも全然食感が変わる。たとえば披露宴に出される鯛であれば、なるべく同じサイズのものを集めますよね? でもタコだとそうはいかない。同じグラム数でも味が変わるし、そこを調整するのもおもしろいんです。すごく新鮮なタコでもあんまり厚く切ると噛み切れなくて美味しくないし、柔らかくて甘いというのがいいとされる反面、噛んでるうちに出てくる旨味もある。本当に奥の深い食材なんですよ。まぁ、こういうのはプロから人に言うことじゃないし、お客さんがどう感じるかだけなんだけどね。

 華やかな苦味を伴った旨味、とでもいえばいいのか、三忠のタコは、海の恵みそのままの印象だ。そこに添えられるのは、出汁と卵白のメレンゲをベースにした、泡のお醤油。これもまた、一般的な醤油がタコの繊細な香りを損なわせてしまうことのないようにという、佐藤さんならの配慮である。

 活きたタコはまったく香りが違いますよね。同じ海のものでも貝に近いんじゃないかな。赤貝なら赤貝、アワビならアワビ独特の香りがあるのといっしょで、いい寿司職人はそれを逃さないために剥きたてのものを出すでしょ? 僕のタコもそういう考え方でやってます。もちろんタコだけじゃなく他の魚も同じ力でやってますし、野菜でもなんでも、「これ甘いね」っていう旬の味を大事にしてます。

「タコうに和え」。このままメシにぶっかけて醤油を回しがけて……という欲求を飲み込みつつひと口食べれば、振りかけられた大粒の岩塩が2大巨頭両方の甘みを引き立てる。

タコは意地でも切らしません。たとえ1匹3万円になっても買わなきゃならない

 山忠のもうひとつの看板メニューが、「たこしゃぶ」である。

 新鮮なタコのお刺身が美味しいのは当たり前で、それ以外にどう楽しんでもらうのか。それを考えていたときに、ある業者さんに「北海道ではこういうのが流行ってるんですよ」と紹介してもらったんです。ただ、その業者さんが持ってきたものは……まっずいなコレって感じで、まったく売り物にならなかったんです。そこから自分なりに研究して、試しに活きた水ダコを使ってみたら、これがすごく評判になってくれた。要は、冷凍もののスライスというのは大切な旨味がぜんぶ外に出てしまった状態のものだったので、それをどんな出汁にくぐらせてもダメだったわけです。
 たこしゃぶはほとんどのお客さんがオーダーしてくれますね。だから意地でも切らしません。今年みたいに台風が続くと、仕入れ先の水槽のストックも終わってしまって、日本中にタコがいなくなって、1匹3万円とか、とんでもない値段になってしまうんですけど、タコに関しては責任感がついてしまっていますから、それでも買わなきゃいけないところが悲しくってね(笑)。遠くからこれを食べにくる方もいらっしゃるし、その人にとっては年1回の楽しみかもしれない。そのときに「ありません」とは言えないですよ。

 そんな内情に頷いているうちに、ユラユラと踊り始める鍋の中。昆布の香りが腹を鳴らす。まずは野菜を少し。沸騰する直前に火を弱め、表面をかきまぜ温度を下げる。当然に生でも食べられるタコをほんの少し温めると……うぬぬぬぬ……

 美味しいですよね(笑)。「しゃぶしゃぶ」の美味しさというのは、具を入れた部分の出汁のほんの少し温度が下がったぶん、鍋の中の適温を探しながら箸を動かしてもらうということ。それが「泳がす」ということであって、完全に沸騰してる湯に入れるというのは、「茹でる」ということ。でも、食べ方はお客さんの好みですよ。自分も軽く泳がす程度で食べるのが好きだけど、しっかり熱を通すと旨味が凝縮するのも確かなので、いろいろ試してみてください。

たこしゃぶ。フグ刺しにも勝るとも劣らない、乳白色の大輪にテーブルが華やぐ。「きれいでしょう? でも、タコに関してはフグみたいに特別な包丁というのはないんですよ。そもそも生のままだと柔らかすぎて切れないので、活きたまんまを凍らせて、半解凍の状態で切り分けていくんです。
「野菜は香りのあるものがいいと思うので、ネギや三つ葉を使います。出汁が動物性のものだと、どうしてもタコの香りが味わえなくなってしまうので、うちは昆布だけを使ってますけど、そこにタコの旨味が出るので、残りのスープを雑炊にしてもいいと思います。本当にナチュラルな旨味だけで勝負してますよ」

プロに教わる一品料理。スーパーのタコを美味しく食べる!

 さすがはタコのエキスパート。自ら最前線をゆく王将の言葉に間違いはないのだ。今回はオーダーできなかったが、メニューには、「タコめし(黒を頼めば墨入り!」、「タコライス(メキシコ生まれの山忠着!)」、「吸盤ガーリック焼き(エスカルゴ風に!)」などなどあらゆるバリエーションが、「次回はぜひ食べてくれ!」という威風にて出揃っている。
 そんな佐藤さんに訊いてみた。一般家庭のキッチンではなかなかにハードルの高いこの食材を、美味しく調理するレシピを教えてくれませんか? 僕らは築地に通える時間も腕もないわけで、できればスーパーの茹でダコで……


(笑)なんですかね。僕が思うに、市販の茹でダコというのは、そのままで美味しすぎるんですよ。アメリカとかモーリタニアで獲れたものに、しっかりと塩味をつけて売っているので、ポン酢が好きな人はポン酢、わさび醤油が好きな人はわさび醤油で食べてもらえればいいと思います。ただ、それだと噛んでいるうちにすぐタコの塩気だけに戻ってしまうというのが惜しいところでもあります。調味料の味が最初にきて、タコの味と混ざらないままになってしまう。もしそれがつまらないという人は、刻んだネギといっしょに食べるといいですよ。長ネギを斜めに切って、胡麻油で炒める。フライパンのヘリから醤油を垂らしてやると、ネギが醤油味の薬味になってくれる。これにタコを絡めて食べれば、食感もよくなるし、最後まで醤油の味も残るんで、ちょっとした一品料理になるかと思います。
 天婦羅とか唐揚げにしたいという人は、衣をつける前に、薄く片栗粉をつけてみてください。そうすると、タコが衣からベロンと剥がれづらくなるし、それをカレー塩とか抹茶塩なんかで食べてもらうのもいいと思います。

タコの天婦羅にいくらがたっぷりと乗った人気メニュー、「タレ天」。「やっぱり天丼って美味しいじゃないですか。でも1人前を食べるとタレが甘くて飽きてきちゃうので、自分はしらすとかいくらを乗せることで、海の塩気を足すことにしました。夜はこれを締めの天丼としても出してます」
お客さんからプレゼントされたという山忠のキャラクター、たこめしくん。「といってもキャラクターのデザインは自分なんですけどね。30年近く前、〈なめ猫〉が流行っていたんでタコにサングラスをかけさせたイラストを箸袋に印刷していて、たまたまそれを見た人が看板にしてくれたんです。ランチのときにはこうして呼び込みをしてもらってます(笑)」

 食材の値段に関わらず、長所も短所も受け止めた上での優しき指南──そんな佐藤さんのタコ料理歴において、究極の創作系として紹介したいのが、今回のヒトサラ、「明石焼」だ。いったん頼めば必ず誰かに食べさせたくなってしまう、タコと卵の活火山。誕生日にやってきては「ここに花火を立ててくれ」という常連客もいるのだという。佐藤さんは「客寄せパンダ的なものですかね」と笑うが、明石焼と謳われながらも明石焼ではなく、茶碗蒸しのようでもあり、出し巻き玉子のようでもあり、頭の中にはさまざまな料理が過るのだが、そのどれでないという、山忠だけの愉しみなのだ。

「明石焼」。山の頂上から掘り進めていくと、出るわ出るわの金塊。シュワシュワと消えてなくなる泡状の生地と、小気味よいタコの歯ごたえ。鉄板の熱で薄焼き卵状になった最下層までが、とにかく楽しい。
「いろいろ試しているうちに、自分には明石焼っぽく感じる瞬間があったので、じゃあ紅生姜を刻んだおつゆつけて出してみようかなって。これで全卵4個ぶん。たまたま見つけたすごく柔らかいはんぺんを黄身といっしょに潰して混ぜることで、酒のつまみにもなるようにしてます」

 この30年、料理は自分ひとりでやってきているので、誰かに教わったことというのがなくて、最初は家庭用のフライパンでパンケーキみたいなものを出していたんですけど、メレンゲのオムレツをつくっている同業者の知り合いがいて、この料理のヒントになりそうなものを出しているお店を何軒か紹介してもらったんです。でも、そこはみんなスフレの店だった(笑)。こんなおっちゃんがひとりで甘いものを食べてるのが恥ずかしくてしょうがなくてね。でも、そういう経験が自分の料理の糧になるのであれば、僕は行動しないと気が済まないんですよ。失敗の蓄積も大切なんです。僕はもんじゃ焼きも好きなんですけど、「めんたいチーズ」ってすごく人気でしょう? あの味を自分のメニューにも活かせないかと思ったときに、乾燥させて粉末状にした明太子があればいけると思いついて、大崎のほうに売っているというから買いに出たんですけど、実際に使ってみたら、あれ?  想像と全然違うぞ、と(笑)。まったく使い物にならなかったんですね。でも、その明太子だって、これからの料理への準備になると思えば無駄じゃないし、いつかそれが新しいメニューにつながってくることもあると思うんで。

にんじん、きゅうり、大根、そしてタコと柿を、胡麻のソースでまとめた「柿とタコの胡麻和え」。柿は熟しているのに甘さが前にくることがなく、やはりこれも酒が進む。女性スタッフも感涙の美味しさと盛りつけ。「こういうのは秋らしくていいですよね。この料理のヒントはお正月に食べるなますです。あそこにも干し柿を入れたりしますよね」

 長年の試行錯誤と実験精神から磨かれていった山忠の料理。そこには前述の「止まってることができない」という佐藤さんの性分とともに、「自分にできることはお客さんを喜ばせることだけ」という気骨のようなものが感じられる。そしてそれこそが、この店を訪れる万人の満足に結びついている。

 こうやって取材を受けるのも、お客さんが(自分の料理を)どう感じてくれてるのかな、っていうのがわかるからですね。正直宣伝には興味がないです。営業中は頼まれたメニューを正しい順番に出していればいいわけで、あの人は美味しそうに食べてるな、とか、ちゃんと会話が弾んでいるかな、とか、そのへんのことしか見ていませんね。
 僕、料理人を始める前はスナックでバイトしてたんですよ。客として通うよりは働いちゃったほうが安いでしょ?(笑)。でも、そこでの大人の「変わりよう」に、今の仕事の基本、つまりはお客さんに喜んでもらうことの楽しさを教えてもらった気がします。若い頃って、自分で自分のカラーをつくって、そこに染まることで自分をキープするようなところがあるじゃないですか。そんな時代に、自分よりもずっと歳上のお客さんが、最初は険しい顔をしていたのに、カラオケを歌って、お姉ちゃんと話して、店を出るときはすごいゴキゲンで帰っていく。サービス業ってこういうことかと。料理うんぬん以前に、そういう当時の体験がこの店の根本にある気がしますね。
 うちにきてくれる人は、たぶんここの料理が美味しいからきてくれてるんだと思うんだけど、もっと言えば、心を気持ちよくしたいからきてくれていると思うんです。僕が心がけているのは、そういうお客さんの機嫌を損ねないように、楽しい気持ちのまま帰ってもらうこと。だから僕は動き続ける。できることはやる。こう見えて、意外と小心者なんですよ(笑)。

三忠 東京都文京区千駄木3-1-17
03-3824-2300
営業時間:18:00~23:30(月~金曜日)/
17:00~23:30(土・日・祝日)
定休日:水曜日

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