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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ30 / TEXT:小林のびる PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 2016.02.29 豊島区池袋「チャーミング食堂」中村美保さんの「チャーミングBOX」

ケータリングカー。いわゆる「移動販売」というやつ。昼の鐘を合図にオフィス街に現れ、アンテナの鋭い会社員やOLたちを集めては、限られたランチタイムの幸せと、午後への活力を与えてくれる、ありがたい存在。
そんな世界で熱烈な人気を誇ること早10年のアジア料理店、「チャーミング食堂」が、ついに実店舗をオープンさせた。昼間はハンドルを握り、夜はカウンターに立つ店主=中村美保さんの決め技は、そのほんわかとしたキュートさに支えられた、我流エスニック。
さまざまな舌と長年の雨風に鍛えられた味の広がりに、ゆるゆると打ちのめされてきました。

中村美保さん

旅行、バイト、旅行。その繰り返しだった青春時代。店を持つことになるなんて思いもしませんでした

 もともと料理人をめざしていたというわけではないんです。この世界に入ったきっかけは、偶然「アルバイト募集」の張り紙を見つけて入った曙橋のアジア料理屋さんで、タイ、インド、ベトナムなどエスニック全般を出す日本人オーナーのお店でした。最初は「ここ時給いいな!  エスニックも好きだし!」みたいな軽いノリで飛び込んだんですね。わたしは旅行が大好きで、1ヶ月くらいインドを旅して、帰ってきたらバイトして、貯まったお金でまた旅行に……という生活を長く続けてきたので、そのときは自分の店を持つことになるなんて思いもしませんでした。でも、そのお店はわたしを含めて3人ぐらいで回しているようなところだったので、最初から本格的な料理を仕込んでもらって、毎日が新鮮な修行の連続! タイ料理の奥深さとか、インド料理のスパイスの面白さなんかを教わるうちに、「あ、もしかしてわたしに向いているかも」と思えてきて、気づいたときには料理人になってました(笑)。
 ケータリングカーでの移動販売を始めたのも、もともとはそのお店なんです。わたしが車を任されることになって、最初は戸惑うことばかりでしたけど、そこでもやっぱり毎日が本番ですから、だんだんと「これも楽しいなぁ! 向いてるかもなぁ!」と思えてきた。たぶん、あまり後先を考えない楽観的な性格なんでしょうね(笑)。

まずは思い思いの1杯目をオーダー。もちろんビールはシンハーだ。タイ料理店のお通しの定番「えびせん」は塩気を抑えた優しい軽さで、後に続く料理への期待を膨らませてくれる。

 ただ、そこからしばらくして、ある事情からそのお店が閉店することになってしまったんですね。そのことを知らされたときは、「あぁ、路頭に迷った……また振り出しだ……」と絶望したんですけど、それが悪いニュースばかりでもなくて、わたしは退職金がわりにそのケータリングカーをタダで譲り受けてしまったんですよ。そのときは「もしかしてついてる? エスニックの神様に好かれてる?」って(笑)。そうなったらもう、前に進むしかないですよね。

「チャーミング食堂」の誕生である。

 変わった店名ですよね。実は西荻窪に「ハンサム食堂」というタイ料理屋さんがあるんですけど、すっごく美味しいし、名前も1回聞いたら忘れないじゃないですか。そこは店員さんが男性だけなので、「ハンサム」。その女の子バージョンを考えてみようと思ったら、「あ、チャーミングだ」って。まぁ、パクリですよね。許可は……とくにもらってないです(笑)。

「メニューや看板もわたしの手描きです。なぜか〈ャ〉だけがひらがなになっちゃってるんですよね(笑)」と美保さん。右は「パクチーサラダ」。ホロホロに蒸し上げられた鶏肉とパクチー、どちらも爆盛りである。
押し寄せるオーダーに大忙しの細腕繁盛記。手前は「僕の写真、なるべくボカしてもらえますか?」とシャイなご主人のコータさん。美保さんが昼間移動販売に出ている間は、ここでランチの店番を担当している。

 料理の道へ入ったのも、移動販売を始めたのも、見えざるパワーのおぼしめし? どうやら美保さん、人生の流れに逆らうことなく、しかし常に最良の道をゆくことのできる天性の才能の持ち主のようだ。無論そこには「縁」や「運」もあるだろう。しかし彼女の底抜けに明るい笑顔を見ていると、自らそれを引き寄せてきたことが見て取れる。

 こういう性格なので、心労で体調を崩すみたいなことはなかったですね。ただ、女手ならではの苦労というのはありました。移動販売を始めた頃に住んでいた自宅というのが、下北沢の古ビルの5階。エレベーターがなかったので、毎日部屋で仕込んだ大量の食材を何往復もしながら車まで運んでいて、それは本当にキツかったです。泣きそうになりながら最初の2ヶ月は頑張ったんですが、さすがにめげて引越しましたね。

ひと口では頬張りきれないビッグサイズの「生春巻き」。レタスやパクチーの青々とした香りと、鮮やかなエビの歯ごたえが、豪快にして爽快。
こちらは「揚げ春巻き」。粗めに編まれた米粉を使ったサクサクの衣。そこに閉じ込められた、海の風味。

 かくして移動販売を軌道に乗せていった美保さんだが、店舗を構える飲食店とは違い、街から街へと移動するケータリングカーでの仕事は、我々一般人には想像しづらい。具体的にはどのような世界なのだろう?

 わたしの場合は同業者たちのネットワークというのが大切でした。いくつかの駐車場をみんなでお金を出し合ってシェアすることで、月曜日から金曜日までを5店舗・5台のケータリングカーが順番に出店できるようなローテーションを組んでいます。具体的には、月曜日は神泉のアロマ屋さんのビルの前。火曜日は千駄ヶ谷。水曜日は新宿御苑。木曜日は表参道。毎週金曜日だけは、わたしが登録している「ネオ屋台村」という団体があって、そこが管理しているスペース(東京国際フォーラム前)に出させてもらってます。

「タイ風オムレツ」。ここにもナンプラーがたっぷり。優しくも個性的な味の奥ゆき。

 もちろん客層は曜日ごとに違いますね。セルリアンタワーが近い神泉や新宿御苑は、OLさんやサラリーマンの方が多いです。小さな事務所が集まっている表参道だとクリエイター系のオシャレな人が多かったり、千駄ヶ谷もアパレルの卸しの会社が多いので、若い服飾関係の方がたくさん。販売場所のローテーションも長年変わっていないので、常連さんはすごく多いですよ。もうみんな顔見知りです。あるタクシーの運転手さんなんか、本当にうれしいことに、わたしが何曜日にどこにいるのかを完璧に把握してくれてます。今となっては2週間くらいその人の顔を見ないと「なにかあったのかな?」って心配になっちゃうぐらいで。
 逆にわたしがお客さんに心配されることもあります。この仕事を始めてからも旅行だけはやめられないので、無理にでも休みをつくっていて、こないだも夫婦でキューバまで行ってきたんですけど、そのときは2週間もお休みしてしまって。だから営業再開のときは「ようやく帰ってきたよ」とブーブー言われましたね(笑)。移動販売とはいえ、同じ曜日、同じ時間にその場所にいるというのがお客さんの信頼に繋がるので、バイト時代のように年に何カ国も旅するようなことはできなくなりましたね。

日替わりメニューの「豚肉とにんにくの芽のコチュジャン炒め」は、韓国風の甘辛味。「夜はアジア料理にこだわりすぎず、気分で沖縄料理や和食もつくります。厚揚げは万能ですよね!」
間違いなくここでしか食べられない、マーボー豆腐ならぬ「トムヤム豆腐」。トムヤムクンの華やかな酸味に、ココナッツ・ペーストでとろみとコクをプラス。この濃厚な味わいは白米にも酒にもぴったりで、「この味に辿り着くまでは相当な研究を?」と訊ねたところ、「はい、そうですね……いや、実は2~3回でできちゃったかも(笑)」と美保さん。天賦の才とは恐ろしい。

ゴチャゴチャしていてガラも悪い。大嫌いだった池袋が、実は自分にぴったりの街で

 そんな美保さんがつくり上げた小さな小さな「船着場」が、今回の取材場所である実店舗版「チャーミング食堂」だ。

池袋西口繁華街のはずれの地下1階。約7席のオアシス。「狭い店ですけど、夜はパーティーや女子会用のコースも用意してます。メニューにないものでも〈こういうものが食べたい〉〈こういうお酒が飲みたい〉っていう要望があれば、できる限り対応しますよ」

 この物件を借りた理由はふたつあって、まずは移動販売のための仕込みの場所。あとは移動販売が終わった後にオープンする飲み屋さんのための場所。最初は仕込みにしか使えてなかったんですけど、昨年ようやく夜の営業を始めることができました。
 そこからは大忙しです。毎朝7時に起きてその日の仕込みをスタート。10時半には家を出て、11時半から14時くらいまではお弁当の移動販売。家に帰ってくるのが16時ぐらいで、ケータリングカーの掃除をしたら今度はこのお店に入って、夜の営業が23時まで。こうして考えると、よく働いてますよね、わたし(笑)。以前は夜の仕事がなかったので、自分の時間を楽しむ余裕もありました。ジムに通ったり、DVDを観たり、韓国語を勉強したり。今はてんやわんやで、夕ご飯も食べられないくらいなんですよ。

店内には、旅行関連の本や旅行先で集められたインテリアがたくさん。テレビにはお気に入りの映画がかけられ、この日は若かりしデ・ニーロと目が合った。

 池袋のイメージですか? 正直、悪い印象しかなかったですね…… 。狙っていた東新宿の物件をちょっとの差で他の方に取られてしまって、不動産屋さんから「池袋ならあるんだけどね」と言われたときは……「うん、ないな!」って思ってました(笑)。駅の構造も複雑だし、ゴチャゴチャしていて、ガラの悪い人が多そうってイメージを勝手に抱いていて、「もう、一番苦手かも!」ってくらいだったんです。でも、そんなわたしがこの物件に惚れ込んでしまった。以前はスナックだったみたいで、つくりや雰囲気が独特でかわいい。ほぼ居抜きのままで使っているので、厨房からテーブルまで料理を運ぶときは、すっごく屈まないとカウンターから出られなかったりするんですけどね(笑)。この建物のお店は全店舗が同じつくりになっていて、お隣で飲み屋さんをやっていたおじいちゃんのマスターは、腰を痛めないようにスケボーに座って出入りしていたようです(笑)。
 今となっては池袋も大好きな街になりました。西口のこのあたりって旅行者が多いんですよ。近くの「Sakura Hotel」さんなんか、バックパッカーっぽい人たちがたくさんいて、あまり日本語が聞こえてこないし、毎日旅行してるみたい気分。「なんだ、わたしにぴったりじゃん!」って(笑)。アジア系の食材や調味料を扱っているお店も多くて、たいていのものは近所で手に入っちゃいますしね。あとはいい飲み屋さんがたくさんあるのもポイント! わたし、酒場なら大衆系が好きなんですけど、とくに注目しているのが(ビールの)大瓶の値段で、中には500円台のお店とかもあるんですよね。うちも自分たちが納得できる値段として600円で頑張っているんですけど、いつも「負けた!」って思います(笑)。

欲張りのための決定的ヒトサラ、「チャーミングBOX」とは?

「チャーミング食堂」の成り立ちはこのぐらいに、そろそろ料理のことを訊いていこう。美保さんのポジティブな人間力と旅行中毒ならではの好奇心、そこに日本人特有の繊細さを加えたオリジナル・エスニックは、どれも不思議な魔法がかかっているかのように旨いのだ。

 今晩いろいろと食べてもらった一品料理もわたしの自信作ですけど、なんといってもうちの看板メニューは「タイの鶏ごはん」、「ガパオ」、「ベトナムごはん」の3つ。どれも移動販売の経験がなければ生まれなかったメニューですね。
 一番人気の「タイの鶏ごはん」は、現地のカオマンガイがベース。ただし上にかける特製ダレは、タイのお味噌と「シーズニングソース」──これはお醤油に似たタイの定番調味料ですが、大豆が原料なのでナンプラーとはまた違った風味なんです──を使っていて、そのぶんクセが少なくて、優しい味に仕上がってると思います。鶏肉を柔らかく仕上げるコツですか? う~ん、毎日愛情を込めて煮込むだけですね(笑)。

「タイの鶏ごはん」。これも堂々の大盛り。「うちはひと皿の量が多いので、よく驚かれるんですけど、それもわたしの性格。家で普通にご飯を食べるときも、旦那さんからは〈また多すぎる!〉って(笑)」

 一般的には挽き肉を使う「ガパオ」にも、わたしなりのアレンジを加えています。鶏モモ肉を大きめに切って使っているので、ゴロゴロとした具材の歯応えがよくて、そのぶん満足感もあると好評ですね。

「ちょっと形が悪いですけど味はいいですよ」と出されたサービスの苺。

「ベトナムごはん」も現地のお醤油などを使って味つけしてるんですが、これも完全なわたしの創作で、実はベトナムにこういう料理はないんです(笑)。同じお醤油で漬け込んだ「ベトナム煮玉子」のトッピングもやってますし、とくに女性には人気がありますね。
 わたしのアジア料理は、本場の味に「似せる」ということをしていないんですよ。それはわたしの性格上、ストイックに味を研究することができないというのもあるかもしれませんが(笑)、自分の店の味は自分の舌でつくりたいという気持ちもあります。そのぶんエスニックが苦手な人にも「これなら食べられる!」って言ってもらえることが多いですし、それこそがうちのこだわりだったりもします。こだわらないことが一番のこだわりなんですね(笑)。

この夜の二次会用にと、チャーミング食堂の本領ともいえるテイクアウトを──。

 昼間のケータリングカーに、そして夜の池袋にファンを引きつける、ガッツリと頼もしい定番メニュー。そこに加え「グリーンカレー」や「ゴーヤーチャンプルー」などの週替わりメニューも2種を常備。そして、それら5種から3品を選び、ライスとスープといっしょに詰め込んでもらうという、欲張りのための幕の内的ヒトサラが、「チャーミングBOX」だ。本来はテイクアウト専用のメニューなのだが、今回は特別に用意していただき、美保さんの前史に敬意を表しつつ、夜の公園へと持ち出してみた。

 アジア的な猥雑さを失わない池袋の街で、アジア各国のエッセンスが入り混じる弁当をつまみに、ビールをゴクゴク。ひとときのバックパッカー気分に夜が更けてゆく。バックパッカーといえば、店を出る前に話してもらった、美保さんのこんな言葉も忘れられない。

 今日は本当にありがとうございました。空の下のお弁当って最高ですよね。わたしもゆくゆくはもっと広い空の下に出たいと思ってますし、最終的な野望は海外移住なんですよ。アジアのどこかの国で悠々自適に、今度はわたしが海外の人をお世話しながら、自分なりのゲストハウスを運営したいと思っているんです。たぶんわたしは一生放浪者。いつか「チャーミング食堂」が海の向こうに移っても、ぜひ食べにいらしてくださいね(笑)。

チャーミング食堂 豊島区池袋2-56-8 ホワイトbl b1c号
090-8772-9370
営業時間:19:00~23:00
(ランチ/ケータリングは11:30~14:00目安)
定休日:土・日曜日/祝日は不定休

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