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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ33 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 2016.05.27 世田谷区北沢「sunaga」須永祐司さんの「豚足・豚耳・豚ほほ肉のメンチカツ」

「たとえば人間だって、見た目と中身がいっしょの人よりも、ギャップがある人のほうが魅力的でしょ? ひ弱そうに見えて合気道の達人とかさ、路上生活者のふりして実は社長とかさ、そういう人がいちばんカッコいい、みたいなね」
こんな言葉に須永祐司さんの料理哲学は凝縮されている。90~00年代にかけ東京の名店を渡り歩き、ついにオープンさせた自らのダイニング・バー「sunaga」は、居酒屋という仮面をかぶったフレンチの名店、もしくはフレンチの薄衣をまとった居酒屋の銘店だ。
都市開発に変わりゆく下北沢、街頭もまばらな東の住宅街へと抜ければ、そこには我々の好奇を満タンにしてくれる、淑女にして暴れ馬のようなヒトサラが待ち受けている。

小さな頃から見ていた親父の料理。男が台所に立つのは当然のことだと思ってました

 この道に入ったのは19歳……いや、正確にカウントすると16歳のことかな。まず、うちの父親が寿司屋とか串焼き屋の飲食業をやっていたんですよ。小さな頃だったので、いっぺんに経営していたのか順番にやっていたのかは覚えていないんだけど、いい時代の歌舞伎町で腕をふるっていたんです。家の料理も親父がつくってくれていて、そこらのお母さんなんかより全然上手だった。だから男が台所に立つということに抵抗がなかった。それが当たり前のことだと思っていたんです。
 たとえば遠足なんかにいくと、今から50年前の弁当にもかかわらず、僕のだけものすごく絢爛豪華でね。「すごい!」って同級生たちがたくさん群がってくるような2段重ね(笑)。だから友だちの家で「須永くんごはん食べてく?」なんて誘われても、「早く帰らないと怒られるんで!」と逃げるように帰ってました。
 親父のおにぎりは本当に優しくほぐれるんだけど、友だちのはゴムみたいに固くてね。『大脱走』って映画で、スティーヴ・マックイーンが独房の壁にボールをぶつけるシーンがあるでしょ? テレビあれを観たときに、「あ、あのおにぎりだ……」って思い出したぐらいで。

須永祐司さん

 このエピソードは豊かな少年時代の自慢話ではない。禍福は糾える縄の如し。話は突然に急降下する。

 いいことばかり話しても嫌味になるので「2段重ね」の裏事情も話しちゃうと、うちの両親は僕が小学校3年生のときに離婚してるんです。新宿の幼稚園~小学校から、いきなり仙台に転校させられて……で、ここからがさらに悲しい。親父に連れられて東京まで高校受験に出てきたとき、いなくなったはずのお母さんと再会させられるんだけど、ここでまた家族がいっしょになるかと思いきや、今度はお父さんだけが仙台に帰っちゃった。
 そこからですね、僕の料理人人生は。結局は16歳からひとり暮らしをすることになって、とにかく腹が減るもんだから、やむなく自炊を始めたってことなんです。
 当時はバリバリの成長期。定食屋さんの1人前じゃとても足りないし、金もない。ただ、小さな頃から見ていた親父の料理というのが不思議な財産になっていて、火を使うことにも抵抗がなかったし、僕は最初から料理ができたんです。
 まずはお米だけを2合炊いて、豚肉を1枚買ってきて、バター醤油でポークソテーにする。味噌汁もつくったし、レタスが安ければサラダもつくった。たいていはあっという間に食べ終えちゃうんだけど、ごはんが余ればオムライスとか炒飯にしてね。

 英会話スクールの1年間よりも、海外生活の1ヶ月。どんな種類の学びであれ、必要に迫られたものは身につくということ。そして、血は争えないということ。須永さんは「僕は親父しか見ていなかったから、サラリーマンの生活というのも想像できなくてね」と、若くして料理の道へと飛び込み、数多の修羅場を体験。そののち、東京屈指のレストランであった「恵比寿ロビンズクラブ」の総料理長へと登り詰めることになる。

 最初は喫茶店でのアルバイトですね。そこでナポリタンとかフルーツパフェなんかを担当していたら、だんだんと料理に夢中になっていって、今度は調理師学校に通い始めた。そのあと銀座にある老舗の洋食屋で働いたのをきっかけに、いくつかの人脈ができて、赤坂や西麻布のフレンチやイタリアンでも働いて。「流れ板」じゃないんだけど、片手じゃきかないぐらいのお店で修行しましたね。
 あの頃の厨房はものすごい縦社会だったから、熱いフライパンを腕に押しつけられたり、オーブンの料理を見ようと屈んだら、うしろから「邪魔だ!」と蹴り飛ばされて頭を突っ込んじゃったり(笑)、毎日がそんな感じの戦場でしたね。でも自分にはこれしかないと思っていたし、なんとかお店にしがみついていたら、「あいつはなにをされても辞めない」という評判が立って、そこでまた、新しいお店に引き抜かれたりしてね。

前菜の盛り合わせと自家製パン。炙りチャーシューにはレンズ豆のサラダが、自家製ピクルスにはテリーヌが隠れている。きくらげのマスタード和えや鴨の生ハムなど、端から端まで絶品のプラチナム・プレート。
イサキのカルパッチョ

1日に4人前・16個をつくるのが限界。こんな料理、思いつかなければよかった

 ここで厨房から声がかかり、須永さんは退席。鮮魚の湖にシャキシャキのチョモランマがそびえる「イサキのカルパッチョ」の豊かな酸味、ピタリと決まった塩加減に歓喜しつつ、話の顛末に興味深々。
 まもなく須永さんが「無事に飲んでますかー」と笑顔を見せてくれる。sunagaの看板メニューのひとつ、「フォアグラ餃子」を手に。

フォアグラ餃子

 これは箸で挟んでレンゲに立てるようにして食べてください。横にしたり、いったんお皿で休ませてしまうと中の汁がこぼれてしまって美味しくないんですよ。猫舌の人は最初に少しかじってもらうと熱さもわかると思います。こういうことはお客さんみんなに話しているんですけど、ときどき無視されて、そんなときは後頭部をブン殴ってやろうかと思います。……いや、冗談ですよ(笑)。
 というのも、この料理は本当に手間がかかるんです。1日に4人前、16個をつくるのが限界で、それだけでも1時間以上かかる。まずは餃子の皮を敷いて、そこに具材、豚の煮こごり、フォアグラの順番に置いてから包んでいくんですけど、もうそれだけでパンパンの分量。これを綴じていくのがすごく難しい。柔らかいから力を入れすぎると破れてしまうし、軽く包むと空気が入って、焼きの段階で破れてしまう。こんな料理、いっそ思いつかなきゃよかったのになって(笑)。

 ポルト酒を煮詰めたソースの妙味とフォアグラの存在感を、しっとりとした柔肌がひとつにまとめる。これはもはや、餃子とは名ばかりの「独創」であり、その味には中毒性すら感じられる。
 続いて運ばれた「カリカリおこげリゾット」も、目の前で鮮やかに進化する宝箱的なヒトサラ。爪で叩けばコンコンと音が鳴るほどに香ばしく焼き固められた「チーズの殻」にナイフを入れると、その亀裂から、さらなるチーズの香りが噴出。見た目の厚みは1センチほどだが、味の厚みは想像を軽々と超えてくる。

カリカリおこげリゾット

 これにもちょっとしたコツが必要。まずはテフロンのフライパンにチーズを敷いて、そこにリゾットを乗せる。そのまま動かさずにギリギリ剥がれるようになるところを見極めて、皿へと返す。このタイミングを少しでも間違うと、チーズの表面にシワが寄って美しくないんですよ。

磨き上げられたオープンキッチン。
「この店は11年目になりますね。最初は原宿の裏のほうで探していたんだけど、あの頃すでに原宿に〈裏〉はなくなっていて(笑)、家賃もデタラメに高かったんですね。店の屋号? ただ考えるのがめんどくさかっただけですよ。アルファベットを漢字にするほど自分をさらけ出すことはできなかったけどね(笑)」
「映画美術にも携わるテニス仲間の友人が自作してくれた」という世界でひとつのジオラマ。sunagaブランドのベンチにドネー社のラケットなどが置かれている。「テニスは35歳から始めて、今では古庄エドワルド大二郎という選手にプライベート・レッスンを受けるぐらいにハマってます。1時間ぶんのお金を払って、1時間ぶん怒られにいってるんですけど(笑)、仕事の疲れを完全に放電するにはもってこいの時間です」

 で、なんの話だっけ? あ、修行時代ね。僕がすごく影響を受けたのは、京橋にあった「ロアンヌ」出身の佐藤維哲シェフ。「ロアンヌ」はミシュラン3ツ星の有名店「トロワグロ」の流れを汲んだ料理で、当時の最高峰の店。まだまだ洋食っぽい見た目のフレンチが多かった時代に、佐藤シェフは少しでもズレたら料理の顔が台無しになるような繊細なものを出していて、僕はそんな佐藤さんのもと、スーシェフ/ソース担当で働き始めたんです。
 佐藤さんのソースはすごい完成度で、それまで自分がつくっていたものとさほど材料は変わらないはずなのに、煮詰め方であったりお酒を加えるタイミングの積み重ねで、まったく違う味になっていましたね。フレンチのソースというのはすごくデリケートで、佐藤さんの体調もあるし、僕の体調もあるので、たいていは薄めにつくって指示を待つんだけど、僕はなんとか佐藤さんの味に近づけるために倍の量のノイリー酒を使ったりしてました。今でも佐藤さんがあのコクをどうやって出していたのか不思議でしかたがないんですよ。
 ずいぶん駆け足で話しちゃったかもしれないけど、そんな経緯で「ロビンズクラブ」の総料理長になったのが42歳のとき。それまでのお店もすごかったけど、今度は食材の豪華さに驚かされるわけです。海鮮も野菜もすべてが最高級。『ぐるナイ』の「(グルメチキンレース・)ゴチになります!」の料理を担当したときは、50万円の白トリュフのカタマリを空輸したりね。  もちろんうちの店でそんなものを使ったら大変ですよ。すぐにひと皿が7000円とか10000円の料理に跳ね上がって、僕の理想とはかけ離れた店になってしまう。

 須永さんの理想の店、それは意外にも、「居酒屋」であった。

 独立するなら居酒屋と決めてました。親父の味を頼りに自炊ができたのといっしょで、これまで最高の料理を食べてきたし、ひと握りの富裕層しか味わえないような食材を使わなくても、どうすれば高級店の味に近づけるかというのを自分の舌で考えられる自信があったんです。
 だってここがオープンしたての頃は、最後に日本茶を出すような店だったんですよ。美味しくて良質な素材をなるべく安く、僕がいちばん得意なソースづくりもある程度は封印して、複雑な工程を簡素化したものを出すことで値段を抑えてね。でもやっぱりどこかでフレンチの血が出ちゃうんだろうね。だんだんと「これが食べたい、だったらあれも食べたい、最後はデザートも」みたいなリクエストが増えていって、結局は僕のお里に傾いてしまった。
 ただ、フレンチといってもなんでもありなんですよ。アメリカでインド人がやってるフレンチに入ったことがあるんだけど、そこはニンニクとアボカドをペースト状にしたものをバターとして出していて、パンのかわりにナンを出してきた。それでも料理の構成はしっかりとフレンチ。南米の人のお店は豆料理がたくさん出てきたりね。だから僕のフレンチだって、決して間違ってはいないと思うんですよ。

万寿貝の香草バター焼き。「万寿貝は〈白貝〉ともいう能登の名物。ツブ貝よりも味が強くて美味しいんですよ。ガーリック・バターも昔ながらのルセットで、アーモンドや胡桃、人参なんかも入ってます。貝殻に余ったらスプーンでパンに落として食べてください」

「こだわりがないことがこだわりなんですよ」と話しながらも、須永さんの料理には、心難いばかりのサービス精神、そして大人の遊び心が交錯している。それらがふてぶてしいまでにドッシリとした楕円体へと結晶した「豚足・豚耳・豚ほほ肉のメンチカツ」、これこそが今回のヒトサラだ。

豚足・豚耳・豚ほほ肉のメンチカツ

 これも面白いでしょ? 見た目は和風のメンチカツなんだけど、手はかかってます。ほほ肉は30分、耳は2時間、足は3時間を別々の鍋で煮込んで、一般的なメンチカツの主役である挽き肉はあくまでつなぎの役割。1日冷蔵庫で寝かさないとパン粉がつけられないほどに柔らかなものを揚げています。ただのコールスローに見えるキャベツは軽くバターでソテーした温製、業務用の辛子に見えるのはフランス産のマスタード、スーパーで買ってきたウスターソースに見えるのはバルサミコ酢とバターを煮詰めたもの。風貌はチープに見えるけど、味は……ね?(にっこり)

 ナイフの先端にザクザクと音を立てる表皮のすぐ下には、豚足……いや、ピエ・ド・コションの透明な脂。食感の楽しさを生み出す根菜が、黄緑のマットに前転したり、後転したり。マスタードとキャベツで自分好みに色づけし、慎重に口に運ぶも、この料理をゆっくり上品に味わうことなどできるわけもなし。「確かにここは居酒屋なのだ!」という証明のようなものを、料理の本質が語ってくる。

本日のパスタ~スルメイカのミートソース(ワタ風味)。(写真は1人前を4人に取り分けていただいたもの)

 そしてこの日の締めにお願いしたのは「本日のパスタ~スルメイカのミートソース(ワタ風味)」。これもまた、フレンチの巧緻と漁師料理のようなダイナミズムがくんずほぐれつの会心作。内臓のこってりとした旨みにあふれたソースを高く掲げ、「これだけでも一升は飲めるね!」と、すぐさま日本酒を追加オーダー!

新潟・阿部酒造の6代目が手がけるニュー・ブランド「あべ」の純米吟醸生原酒。sunagaの料理にもピッタリと寄り添うブライトな吟醸香。

 そうやって自由にわいわい食べてもらっているのを見ると、余計に居酒屋に戻したくなっちゃいますね。いつもは厨房に入りっぱなしだし、なおかつこの風貌なので、怖い人に思われることも多くてね。来年こそはさらに気軽な店にリニューアルしちゃおうかな(笑)。
 こんなことを話すと意外に思われるかもしれないけど、僕、小さな頃はすごく引っ込み思案で、人前に出るのも苦手なほうだったんです。料理人になってからもそれは直らなくて、「シェフ、あのテーブルに呼ばれてますよ」なんて言われても、どうやって挨拶していいのかわからなかった。でも、それじゃあこの世界はやっていけない。だからいろんなお客さんと少しずつ話しながら、自分で自分をつくっていったようなところがあるんです。強気に見えるとか、よく喋るとか、そういう自分を演じていたら、いつのまにか演技が演技じゃなくなっていたんです。
 今ではできる限りお客さんをドアの外まで見送って、少しでもしゃべりたいと思ってますし、いろんな人と関わりたい。そんな自分を発見して、驚いたりもする。そんなとき、親父の料理、修行時代の料理、これまでの料理のすべてが自分に与えてくれたものの大きさを感じて、やっぱりこれしかなかったんだなぁって、そんなことを思うんですよ。

sunaga(スナガ) 東京都世田谷区北沢3-19-8 マウントハウスビル1F
03-3467-0220
営業時間:18:00~24:00
定休日:日曜日

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