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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ37 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 2016.07.29 目黒区自由が丘「なんた浜」前浜親娘の「山羊汁! スッポン! 大宴会!」

自由が丘の南口から徒歩10秒。商業ビルの4階に吹き抜ける、石垣の風。「なんた浜」は創業まもなく半世紀、東京に沖縄家庭料理の精髄を伝え続ける老舗中の老舗である。
せっかく取材/紹介させていただけるのならアレも食べたいコレも食べたい、できれば山羊汁だってスッポンだってお願いしたい! という取材班のお願いに、大女将の前浜敏さんと女将(にして娘さま)の知子さんは、「だったらうちの常連さんたちのテーブルに参加してみてはどうですか?」と、至上の御提案!
超満員の店内、心の唄が飛び交う小上がりで、じっくりお話を伺ってきました。

「東京じゃ沖縄料理なんて通用しませんよ」当時はまだまだそんな時代だったんです「東京じゃ沖縄料理なんて通用しませんよ」当時はまだまだそんな時代だったんです

敏さん このお店を始めたのは昭和46年です。わたしは竹富島で産まれて、もう90歳になるんですよ。かれこれ50年以上前、石垣島で「蓬莱閣」という料亭の雇われママをやっていた時代もありました。冬は猪、夏は鮎を出して頑張ってましたね。

前浜敏さん。「目線ください~」の声には沖縄舞踊で応えます!

 東京に出てきたのは娘の希望なんです。ある日、うちの長女が小学校の先生に「これからの教育は東京が中心になる」という話を聞いてきたみたいで、「わたしも東京がいい! すぐいこう!」と泣きつかれたんですね。まだ1年生だったし、子どもだからすぐに忘れてくれるだろうと思って、そのときは「5年生になったらね」となだめて、彼女も2年…3年…4年生は大人しく勉強していたんですけど、5年になった途端、「さぁ行くよ!」って、全然忘れてなかったんです(笑)。わたしも子どもに嘘はつけないから、急いでお店を整理してね。
 その頃の自由が丘はまったくの田舎でしたよ。通りにお茶屋さんなんかがポツポツあるだけの寂しい土地だったんですけど、あっというまにビルが建ち始めて。当時はこのビルがいちばんの高層でしたね。でも、ここの大家さんからは「東京じゃ沖縄料理なんて通用しませんよ」と反対されて、わたしは「蓬莱閣」でいただいた東京のお客さんの名刺をたくさん並べたりしながら、なんとか説得したんです。当時はまだまだそういう時代でしたね…… 。

午後7時、取材スタート直後の様子。すでに常連さんはこの盛り上がり!
奥のテーブルにて三味線の稽古中。奥の方は異能の米SSW=ダニエル・ジョンストンのTシャツ着用で、まさに真なる自由空間を演出!

知子さん わたしはまだ高校生だったんですけど、沖縄料理を出すお店自体、東京に3軒ぐらいしかなかった時代ですから。母は先駆者なんですよ(笑)。当時の母は食材の確保に苦労していたのをよく覚えてますね。沖縄料理にはなくてはならないゴーヤにも、瓜蝿(ウリハムシ)がついていて使えないことが多かったですし、ミミガー(豚の耳皮)の料理をつくるにしても、今みたいにスライスしたものなんて流通していない。丸ごとのものを取り寄せて、毛を焼いて茹でるところから始めていましたね。

知子さんもフワリフワリと踊りつつ、なんともキップのいい大口!

 これが「なんた浜」の美味しさの理由である。沖縄の家庭料理元来の味に、「ならざるをえなかった」という歴史。そんな背骨に支えられた、たまらなくふくよかな味。
 これはあくまで私感だが、東京の沖縄料理は味が強すぎる嫌いがあり、たとえば「◯◯チャンプルー」を数種類取り分けたとしても、まずは調味料の味が舌を覆い、それを追いかけるように素材の味がくるように思うのだ。それに比べ、前浜親娘の料理は、楚々とした立体構造。素材そのもの本意気を、大鍋でじっくりと取られた出汁の風味が包み込んでいる。

敏さん わたしはこれしか知らないからよくわかりませんけどねぇ。ほかのお店を食べ歩くということもしていませんし、お客さんの「美味しい」という声を聞いて喜んでいるだけなんですよ。

知子さん そうですね。自分たちにできることをやっているだけです。味つけはほとんどがお出汁と塩。少し醤油を加えるぐらいのものですね。お出汁は厚く削った鰹節と豚で取ったものです。うちは若いお客さんも多くて、ときどき「濃い味に慣れている人たちにはちょっと物足りないんじゃないのかな」って思うんですけど、みなさんあれこれよく頼んでくださるので、自信がつきます。自分たちが美味しいと思うもの、沖縄で食べていたものをそのまま出せばいいんだなって。

お年玉を貰ったら、スクガラスの大瓶が欲しい。わたしが酒飲みになるのは当たり前ですよね(笑)

 そんな話とともに、さらに活気づく厨房。店内に鳴り響く「カリー!(沖縄弁で「乾杯!」の意)」の声を皮切りに、海ぶどうやジーマミ豆腐、スクガラス、ゴーヤ・チャンプルーやラフティといった定番家庭料理が次々と並べられる。それらの相棒となるのは、やはり泡盛。この日は「白百合」「請福」「八重泉」の3本攻めである。

八重山(石垣島)ブランドを中心とした泡盛のラインナップ。とくに「白百合」の土臭さはクセになり、千鳥足を覚悟。泡盛割りは「ゴーヤ&ヤーコン」などの変わり種も。「あとはうちでブレンドしたものをカメに寝かせたものもあります。どうしてもお高くなってしまうんですが、〈それでもいい!〉とハマってくれている若いお客さんもいるんですよ」と知子さん。写真右は常時10種以上を揃える肴から3品を選んで650円の「おつまみ三種セレクト」。「スクガラス」はカツオの内臓の塩辛が乗った「ワタガラス」と迷いつつ(←ちなみに「ガラス」は「塩辛」の意)。中央はジーマミ豆腐。上品な落花生の香りと驚きのババロア感に感激。奥の「パパイヤ漬」もポリポリと最高のアテである。

知子さん スクガラスは「アイゴ」というすごくグロテスクなトゲトゲの魚の稚魚を塩辛にしたものですね。わたしは小学校2年生まで石垣の公設市場にほど近い場所で育ったので、お小遣いをもらってはこれを食べてました。この小さな魚を瓶の内側にキレイに立てながら詰めていくおばあちゃんの手元を見つめながら、「お年玉をもらったらアレを買ってやる!」なんて思ってましたね。わたしはなぜだか小さな頃からしょっぱいものが大好きで、2歳の頃に、醤油を飲んでしまって身体中に発疹ができちゃったこともあるんですよ(笑)。お姉ちゃんが「バレるとマズい」と思ったのか、お母さんのファンデーションをわたしに塗りたくって、余計にひどいことになったり…… そんなわたしが酒飲みになるのは当たり前ですよね(笑)。

海ぶどう。「宝箱の〈箱〉だけが足りないやつ」という常連さんの言葉通り、目にも舌にも鮮烈そのもの。写真右は敏さんのポートレイト。

「海ぶどう」は苦労知らずの食材なんですよ。とにかく温室育ちというか、暖かいところが大好きで、夏場でもホカロンといっしょに輸送されてきます。冷蔵庫に入れたりするとすぐにプシュッとしぼんでしまうし、このきれいな色もプチプチとした食感もなくなってしまう。宮古島産の天然モノはわたしたちにとっても贅沢品です。

美しい緑のグラデーションが鮮やかなゴーヤ・チャンプルー。シャキシャキの苦味にドッシリとした満足感を与えてくれる島豆腐の底力よ!

敏さん ゴーヤも保存が効きにくい野菜で、ほっておくとすぐにトロトロになってしまうので、鮮度には特別こだわるようにしています。ナーベラはヘチマのことですね。九州あたりでもよく食べられています。とても柔らかくて、お味噌汁なんかにしても美味しいんですよ。

茄子の柔らかな果肉と、透明に煮込まれた冬瓜の、ちょうど中間のような味わいが素晴らしいナーベラ。素材を活かす沖縄料理、ここにその奥深さを知る。
ラフティ。ほどよい歯ごたえを残したピンクの豚肉、その細かな繊維を、トロッと透明化した皮の脂がまとめる。肉も脂もすこぶる甘い、三枚肉の芸術!

 続いては揚げ物ざんまいだ。沖縄の天婦羅はあらかじめ衣に味つけがなされたフリッター・スタイルが主流。天つゆにしぼんでしまうことのないサクサクフワフワの食感に、うーん、ビールも泡盛も止まらない! つくづく贅肉のない料理は旨いなぁ!……という舌の根も乾かぬうちに、現地で人気のファストフードを再現したという「カーリーフライ」の「Bな味」にも手が伸びる。
 結局のところ、「なんた浜」にはルールがないのだ。「好きなものを好きなように食べてもらって、ピースな南征を楽しんでほしい」。親娘のそんな優しさに溺れながら、好き好きに楽しむというのがこの店のマナーなのである。

えび天。ブツン!と噛めばわかる素材の鮮度はもちろんのこと、むっちりと厚みのある衣の旨さが決め手!
ラッキョウ天。薄皮ごと揚げるからこその香ばしさ。「もずく天」と人気を二分する、沖縄料理店ならではのヒトサラ。

敏さん うちの海老は食感も楽しいように大ぶりのものを使っていますけど、八重山では小さな川海老でつくっていましたね。朝早く、近所の漁師さんがバッテリー(電気)をつかってドバッと捕ってきたものをすぐに天婦羅にしてね。本当は手で獲らなきゃいけないから、見つかったら大変に罰せられたと思うんですけど、もう時効ですかね(笑)。

知子さん カーリーフライはお客さんから「あっちで流行ってるから出さない?」と提案してもらったものです。那覇の米軍基地の近くに「A&W」という沖縄ローカルのファストフード店があって──1号店のオープンは63年ですからマクドナルドよりもずっと早かったのかな──そこの名物なんですよ。ちょっとお菓子みたいでビールがすすみますよね。

敏さん自ら運んだくださったカーリーフライ。螺旋状にカットされたジャガイモのスパイス感は子ども客にも大人気!
子ども客といえば、この日特別に出された「鶏の唐揚げ」も。「メニューにはありませんけど、今日はお父さんたちのリクエストにお応えして。食べたいものを事前に言ってくだされば、臨機応変に対応しますよ」と知子さん。

山羊汁の妙味をスッポンの血で流し込む!これぞ大人の大宴会!

 大宴会はまだまだ中盤。えび天やカーリーフライに夢中の子どもたちを横目に、ここからはオトナの時間。沖縄料理の大奥とでもいうべき山羊汁、そして飲み助にとってのラスボスであるスッポンの登場である。

知子さん 山羊汁は本当に独特ですよね。嫌いな人は絶対に食べられないし、うちは生姜をたくさん入れて匂いを抑えていますけど、本場のものはこんな生易しいものじゃないです。滋養強壮の意味もあって、なにかお祝いがあると(山羊を)丸ごと潰して、肉から内臓からどんどん鍋に入れていくので、その前を通るだけでも臭い臭い(笑)! わたしも最初に食べたときは「うっ!」となって、そのあとの機会にふた口、つぎは4口……みたいに時間をかけて食べれるようになったんです。……でも、「いったん好きになってしまえばこんなに美味しいものはない」というお客さんも多いですね。風邪をひいても病気をしても、わざわざこれを食べにくるという常連さんがいるので、うちでは年中置くようにしています。

山羊汁。しっとりと細かな肉質にうっとりの「山羊刺し」もありマス!

 ウォッシュ・タイプのチーズ(それこそ山羊乳が原料の「シェーブル」)やマトン、はたまた「なれ寿司」にも匹敵する中毒性~鼻腔の全域で味わう獣臭を、生姜と特製出汁がソフィスティケイト。しかしそれでもまだ臭い! 旨いけど臭い! 臭いから旨い! 好き者にとってこのヒトサラに代わるものはないのである。お椀の底にコロコロと骨だけ残す頃、くっきりと見えてくる、味と香りの蜃気楼。そこにすぐさまスッポンの生き血を流し込めば、もう現世には戻れない──。

知子さん スッポンの血も、飲みやすいようにワインで割っています。肝は1人前なので喧嘩しないようにしてくださいね(笑)。

敏さん スッポンは創業当時からの名物なんですよ。もちろん前の料亭でも出していました。あの頃はよく生け簀からスッポンが逃げ出して、隣から「おたくのスッポンが遊びにきてるわよ!」なんて言われたり、かと思えば隣のイラブー(ウミヘビ)がうちの炊事場に入ってきたり(笑)。「ヘビとマングース」というのはよく聞きますけどねぇ…… 。
知子さん (スッポンも)いい勝負ですよね(笑)。だって、スッポンが生け簀の底で卵を産んで、それが外まで流れていって、側溝で孵っちゃったこともあったんですよ! 赤ちゃんだったから大事には至らなかったですけど(笑)。
 スッポンといえばコークスの高火力で炊き上げる「丸鍋」という料理方法が有名ですけど、こういう家庭的なお鍋にしても美味しいと思いますね。ある専門店はとても上品に炊いていて、それはそれですごく美味しい。でも、とにかく高級なんですよね。うちは居酒屋ですし、5~6人集まってもらえれば、「たまの贅沢」として食べられるぐらいの値段に抑えて、すっぽんから染み出る美味しいコラーゲンやお出汁といっしょに野菜なんかもたっぷり食べてもらえるようにしているんです。あ、きょうのスッポンはメスだから卵もついてますよ!

厨房に待機中のスッポン鍋(要予約)。写真の甲羅は撮影用に乗せていただいたもの。ここに張りついたゼラチン質も、じっくりと炊くうちペロリと剥がれ、鍋の中へ。
薄切りのニンジンやくたくたのネギなど、具材すべてに染み込んだスッポンの旨味。部位によりまったく味や食感を変える身の美味しさもさることながら、唇をテカテカにしながらすするスープこそが主役!

敏さん スッポンといえば、林発(リンパツ)さんの話をしないとね。彼は石垣島でパイナップルの栽培を始めた台湾人で、女優の上戸彩さんのおじいさんに当たる人。もう亡くなられてますけど、八重山では知らない人がいないぐらいの名士でした。料亭のスッポンも、彼が養殖を始めてくれたから出せていたようなものなんです。沖縄に住む台湾人のために、缶詰工場や食用蛙などいろんな事業を始めるなど大変に苦労された方でしてね、パイン農場がダメになって困っている人たちが、うちの料亭に「頼むからお正月をさせてくれ」と押し寄せて、そのまま大宴会になったこともありました(笑)。

まこもチャンプル。とうもろこしのような甘みに山芋のような歯触り。これを嫌いな酒飲みなどいるものか!

 まこもチャンプルも林発さんなくしてはできなかった料理なんですよ。当時、沖縄ではほとんど知られていなかったこの野菜を、稲を刈り取った後の水田に植えることで、紹介してくださった。それがうちの料亭の名物になったんです。あの頃の想い出は尽きませんね。

知子さん そんなこと言ってますけど、基本的に母は都会好きなんですよ(笑)。当時から新しいものが大好きで、「沖縄(本島)まで買い出しにいく」という理由をつけてはアメリカ人にプロペラ機に乗せてもらったり、すごくハイカラな母でした。いっぽう娘のわたしはずっと沖縄が恋しくてしょうがない。今でも年に1回は帰っています。……沖縄の魅力ですか? やっぱり「なにもないところ」じゃないかなぁ。今はだいぶ便利になりましたけど、昔は街灯すらなくて、夜は真っ暗。ガラスが焦げちゃったランプを磨くのはわたしの仕事で、それすらもすごく楽しかったんですよ。

それにしてもよく飲む常連さん多し! 「あそこで踊ってる方は竹富の地元がいっしょでね、お向かいの家に住んでいたんですよ。わたしが小学校6年生のとき、彼は1年生。その縁がここまで続いているというのはうれしいことですね」と敏さん。

 もし旅行するならやっぱり離島がおすすめですよ~。最南端の波照間島(はてるまじま)の星空はすごくきれいだし、西表(いりおもて)のジャングルも体験してみてほしい。あと、わたしは竹富島で毎年開催されている種子取祭(タナドゥイ)という豊年祭が大好きなんです。BEGINの歌にも「♪種をまきましょう 胸の中~」という曲がありますよね (「竹富島で会いましょう」)。朝5時ぐらいから奉納のお祈りがあって、そこから「庭の芸能」と呼ばれる歌や踊りが始まって、それが夜中の2時とか3時まで続くんです。みんなで各家庭を回ってね。すごくきれいで神聖でお祭りなんですよ。

締めはもちろん沖縄そば! 本島の麺は断面が丸いが八重山のものは平べったい。ここでも自慢の出汁がたっぷりと味わえ、「こんなに食べたのにまだ入る!」という歓喜の叫びがあちこちから。
お土産は自家製のサータアンダギー(とレジ前で手渡される黒砂糖のひと粒)!

 泡盛のどっしりとした酔いに、なんとも楽しい親娘の逸話。「なんた浜」の味は、沖縄と東京を同じ年だけ生きている、敏さんの目線や心意気、それをしっかりと受け継ぐ知子さんのひたむきさそのものだ。杯を重ねるたびに、見えざるハンモックのような安堵感が身体を優しく包み込む。

知子さん 仕事に関しては、母はとても厳しいんですよ。わたしがいちばんすごいな、わたしもそうしなきゃな、と思って見習っているのは、人が見ていないところで、人を喜ばせようと頑張るという部分ですね。お客さんがいないときはのんびり休んでというんじゃなくて、今やれることをやっておけば、あとでもっともっと喜んでもらえる。そういう母の精神がうちの味の基盤になっている気がします。母はこの店のどの従業員よりもお客さんのことを見ていますし、おひとりのお客さまには声をかけたり、最後まで楽しんで帰ってもらうということを、常に念頭に置いているんです。母が三線を弾いて歌ったり踊ったりというのも、そうすることでお客さんの気持ちが少しでもほぐれればと思ってのことなんですね。

 そう、大宴会の大団円は敏さんの喉と三線の調べである。70歳からの手習い(!)というのがにわかに信じがたい豊かな音色。ひと節ひと節を語りかけるようなその歌声に癒されつつも、店内全員がここぞとばかりに踊り出す! 拍手喝采ののち、おのおのが自分のグラスに戻るところ、ふと1本の電話を受け取る敏さん。その笑い声に興味を惹かれ、なにかと尋ねれば……

「ありがとうございます。またいらしてください」の文字に見送られつつのお会計。えぇ、また必ず寄りますとも!

敏さん たいしたことじゃないです。こないだうちでたくさん食べてもらった息子さんの代金を、沖縄のお母さんが払おうとしてるんですね。そのお母さんは前にうちでも働いていてくれたこともある大変いい方で、息子さんは息子さんで、お連れさんに親を自慢するような気持ちもあったんじゃないですかね。でもそのお母さん、「すぐにでも振り込みたいんだけど、うちから郵便局まで2時間かかる」っていうんですよ。

知子さん (笑)うちは沖縄出身のお客さんもすごく多いですし、新しい常連さんも増えるいっぽうで、年賀状は毎年1000枚にもなります。たくさんのお客さんや、食材を提供してくださる農家や市場の方に支えられて、なんとかここまでやってきましたね。

敏さん わたしも昔は夜の10時に寝れたんですけど、今では昼の10時に起きて、夜中の2時までですから。えぇ、それを毎日です。でも、その昔にわたしがお世話させてもらった人が、今のわたしを助けてくれている。それを思うと、なんにも手抜きなんてできませんよ。

 繰り返すが、敏さんは90歳であり、「好きなことをやり続けるのが長寿の秘訣」を実証するように、まだまだお元気(「サーカディアン(概日)リズム」などという現代の言葉が、突然陳腐なものに思えてくる!)。今からでも遅くはない、東京の真ん中に、いつでも帰れる「沖縄の故郷」を構えてみてはどうだろうか。

なんた浜 目黒区自由が丘1-8-20 自由が丘第一ビル 4F
03-3723-2933
営業時間:17:00~23:30
定休日:月曜日

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