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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ46 / TEXT:田尻彩子 PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 2017.1.31 新宿区神楽坂「離島キッチン」佐藤喬さんの「寒シマメ漬け丼」

ふだん意識することは少ないけれど、東京にいても「やっぱり日本って海に囲まれているんだな」と感じることがある。たとえば、街なかにいるのに潮の香りに気づく瞬間や、車窓から港湾の風景が見えたときなんかに。
日本は、海に浮かぶ6852もの島々から成り立っている島国。この中から北海道・本州・四国・九州・沖縄のいわゆる「本土」を抜いた6847がいわゆる「離島」であり、そのうち人が住んでいる島は418。
離島は海で隔てられているため、その土地独自の食文化が育つことが多い。そんな「離島の酒と食」、そして海を見ながらぼんやりと過ごしているような時間を、東京にいながらにして味わえるのが、今回紹介する「離島キッチン」だ。もしあなたが、年末年始どこにも出かけられずになんだかやり残したような気分を引きずっているのだとしたら、ぜひ神楽坂にあるこのお店を訪ねてほしい。

ふいに目の前に現れる、白壁と簾(すだれ)の外装。真冬の東京に「海辺」が見える。

海士町の岩ガキの「うまさ」と「エロさ」に、それはもう、震えるぐらいに感動したんです

「離島キッチン」のスタートは、島根県・隠岐島にある海士(あま)町という町の観光アピールのための「行商」なんです。僕は大学を卒業したあとに映像制作会社で働いていたんですけど、なんだか全然違う仕事がしたくなって、ふと転職サイトの「その他」にチェックを入れてみたんです。職種とか、勤務地とか、ぜんぶ。そしたら「海士町観光協会”行商人”募集」というのがヒットして。

「転職を決めたのは、ふたり目の子どもが生まれる直前。怖くてギリギリまで妻には言えませんでした(笑)。話した後? 雪の女王が目の前にいましたね(笑)」と、代表の佐藤喬さん。

 島根県・隠岐島諸島にある海士町は、コンビニもない、信号はひとつだけ、本土からは船で2~3時間かかる。まさに「おら東京さ行くだ」の世界を2017年の今も体現している離島の町。しかし「ないものはない」という、ある意味開き直りともとれるキャッチコピーを掲げて、20~40代の働き盛りの移住者をグンと増やすことに成功している稀有な土地だ。

木材や錆びたトタンでつくられた天井の高い店内は、「船小屋」をイメージしているという。

 それまで海士町の名前は聞いたことがなかったんですが、まず行商人というのにビックリして。いったい何時代だよと(笑)。とにかく興味を惹かれて島に面接に行って、そこで岩ガキを食べたんですが、それはもう震えるぐらいの、細胞がバーッと騒ぐような感動を覚えました。なんだかエロいというのもポイントで(笑)、とにかく最初はそれにノックアウトされたんですね。

左から、小豆島のシトラスジンジャーサワー、岩城島のレモンサワー、甑(こしき)島のアロエ酢サワー。島産のシロップを使った、軽く爽やかな飲み口が、いやがうえにも渡航気分を盛り上げる。

 面接は2泊3日だったんですけど、ふた晩とも大宴会です。応募者の間で「どうやら酒で勝てば合格になるらしい」という噂が流れて、宴会場が野戦病院みたいになっていく中、僕はどうにか10人ぐらいから生き残りました。そのとき潰れなかったふたりが合格だったので、噂は本当だったんですね(笑)。もうすぐ船が出るぞってときにカタチだけの面接をして。面接する方もされる方も当然みんな二日酔い(笑)。仕事の内容ですか? その段階では具体的にはなにも決まっていない(笑)。ただただ「好きにやっていいよ」と言われたんですけど……あの頃はもう……二日酔いの思い出しかないですね。
 僕が採用されたのが2009年頃のことなんですが、最初は予算もないので、キッチンカーを駆使した文字通りの「行商」だったんです。海士町から食材を仕入れて、東京で売る。当時は勝どきのあたりに車を出していたんですが、息苦しい空間にひとりぼっちという精神的な辛さと、全然売れないという現実が、もう辛くて辛くて……毎日逃げようと思ってました。ブログでは楽しい思い出を、盛って、というか偽造していましたけど、基本的に仕入れの3割は自分で購入して食べてましたね(笑)。そもそもモノを売るという経験もないし、とにかく無謀でした。町長も「大丈夫か、あいつは」と。

 そんな苦境を打破し、実店舗のオープンへと大きく舵を切れたのは、佐藤さんの心境の変化、そしてある「ハプニング」がきっかけになっているのだとか。

 モノを売るには恥じていちゃダメなんです。とにかく人の多いところ、赤坂サカスのイベントなんかに突っ込んでいって、ショップカードを全員に配るぐらいの勢いでやらなきゃいけない。そういうふうに心の壁を取っ払うことができれば結果もついてくる。ものすごーく当たり前のことですけど、やっぱり食べてくれるお客さんに「おいしい」って言ってもらうことがなによりも大事。そんな基本的なことに気づくまでに時間がかかっていたんですね。その頃の体験は、今につながるすごく貴重なものだと思います。もう1回は絶対にやりたくないですけど(笑)。

隠岐島から遠く離れた北海道・利尻島の名物「たちかま」は、スケソウダラの白子の練り物。噛むとグッと押し返してくる力強い弾力と濃厚な旨み、ほのかな塩味に箸が止まらない。

 キッチンカーで販売した商品の中では、いちばん売れたのがスルメイカの「漬け」を使った丼だったんですが、これにも苦い思い出がありますね。これは朝日新聞にも大きく取り上げてもらえた「ヒット商品」なんですが、掲載の翌日に、保健所から「生モノは販売しちゃダメでしょ」と電話がかかってきて、その場は「マイナス18℃に冷凍したものを2℃に〈加熱〉してます」と、温度差の表現でごまかしたんです(笑)。でも後日、やっぱり正式にダメ出しがきまして。それも東京の保健所から隠岐島の保健所に、直接。それで海士町がざわつきまして(笑)。「あいつをやめさせろ!」と。
 ただ、この事件が離島キッチンをつくったとも言えるんです。生ものの提供をするためデパートの催事なんかにも出店するようになって、だんだん実績も伸びていって、ついにはこうして実店舗に結びついた。僕の失敗は数えきれませんが、そこから学ぶこともある。なんとも七転び八起き的な行商人生でした(笑)。

ゴマサバを屋久島の軟水と広葉樹で燻製した上品な香りがたまらない酒の肴「屋久島の鯖スモーク」。五島列島の「矢堅目の塩」、対馬の「ひじき藻塩」、奄美大島の「ましゅの塩」、もしくはオリーブオイルで。
「離島で飲んでいるとよく絡まれるんですよね。この間も隣のおっちゃんが〈よし、飲み比べしよう!〉って(笑)」。こんな佐藤さんの親しみやすい人柄が、そのまま離島キッチンの居心地のよさにつながっている。

418の有人離島、全制覇をめざします!

 海士町観光協会が運営する「離島キッチン」だが、実は海士町を含む隠岐島だけではなく、屋久島や小豆島、淡路島、久米島、徳之島、利尻島、佐渡島などさまざまな地域の離島の食材を使った食文化が楽しめる。それはたとえるなら「離島の食の一大テーマパーク」だ。海士町の観光アピールから、全国の離島へと守備範囲が広がっていったのはなぜなのだろう。

 もちろん海士町の魅力を伝えるのがこの場所の目的ではあるし、なぜ「海士町キッチン」じゃないんだという批判もありました。でも海士町と東京を往復するだけでは、点と点をつなぐ線にしかならないんじゃないか、もっと面になるようなことはできないかと思ったんです。
 僕はものを考えるとき、基本的に山手線に乗るんです。山手線でひと駅ずつ降りて、大塚なら大塚、巣鴨なら巣鴨で「なにかヒントがないかなー」って。そのときは上野駅で降りて、西郷さんの銅像を見た瞬間に、「あ! 列藩同盟だ!」と。

 明治維新の前夜、東北の藩が新政府の圧力に対抗するために結成した「列藩同盟」。同じように全国の離島同士のつながりをつくれば、なにか面白い動きになるのではないか。それが佐藤さんのひらめきだった。

 そのときに「離島キッチン」という名前もふっと出てきました。さまざまな離島の食と文化をまとめて味わえる場所。僕は秋田出身だし、海士町に住んでいる人間でもない。だからこそ「外の人が感じる海士町の魅力」を感じることができたと思うし、行ったことのない離島への「憧れ」もお客さんと共有できると思ったんですね。

「小豆島の紅くるり大根サラダ」。ねばりのある海藻「アカモク」のドレッシングと、シャキシャキとした大根が口の中をさっぱりと洗い、手はまた次のグラスへと……。
米どころ・秋田出身の佐藤さんも太鼓判を押す隠岐島の日本酒「承久の宴」は、キリリとした味わいで飲み飽きることがない。風味豊かな「学校蔵」は、佐渡島の廃校を利用して造られている酒。隠岐島の海藻焼酎「わだつみの精」は、磯の香りとウイスキーにも似たスモーキーな味わいがクセになる。

 現在のメニューは6割ぐらいが隠岐島のもの、あとの4割は小豆島や屋久島、淡路島など、ほかの離島のものです。隠岐島の「こじょうゆ味噌」という調味料もそうなんですが、離島って外から食材が入ってこないから、島それぞれに特徴があって本当に面白いんです。しかも、ほかの土地に情報が発信されないままでいるから、話題性もある。地方のアンテナショップは東京にもたくさんありますけど、その島の空気や、食材の持つストーリーも含めて、感じて、食べてもらえるというのが、このお店の意味だと思うし、強みでもありますね。
 離島キッチンは「今月の島」として毎月ひとつの離島をピックアップしているんです。9人いるスタッフがそれぞれに行きたい島を選んで、現地の生産現場や地元の人たちと相談しながら、飲んで食っての1週間で準備を進めて。初日はいいけど翌日からは大変です。「朝・昼・昼・昼・夜・夜」みたいに1日6食ぐらい食べなきゃいけないので(笑)。

 世の中にそんな素敵な仕事があるのか! とは思うものの、これは旅行ではない。寿司職人に競りの現場があるように、シェフが野菜の鮮度を見極めるように、佐藤さんらスタッフの足と舌は慌ただしさを極める。

 そりゃあもう、スタッフは相当なプレッシャーです。同じ島には行かないという方針なので、毎回べつの場所を考えなきゃいけないですから。とはいえ自分の足で探して、味わって、人と関わって、という経験を僕も含めたスタッフ全員が体験しているから、ただ離島の味を集めて提供しますというだけじゃなく、その土地の魅力を自分の「経験」として話すことができる。これはこういう食材で、こういうエピソードがあってね、と。
 まあ、島旅好き、食べ好き、酒好き、が集まっているので、なんとか仕事の合間に楽しさを見つけつつバランスをとってやっています。休みの日まで島旅に行く子もいますからね。「どんだけ島が好きやねん!」と。

取材時の「今月の島」は伊豆大島。鯖とサビ(クロシビカマス)のすり身に、山芋と大島名物・明日葉を加えたさつま揚げ「波浮(はぶ)天」は、漁の際に捨てられてしまう小さな鯖を活用するために生まれた名物。
和菓子の楊枝としても使われる「ふくぎ(クロモジ)」は海士町の名産。殺菌作用があり、お茶や石鹸にも利用されている。お土産にもぜひ。

 離島キッチンが神楽坂にオープンしたのは2015年の9月。まだ1年半ほどの店だが、それでも「あれもこれも!」と目移りしてしまうメニューの数を誇る。

 いやいやまだまだこれからです。目標は有人離島418島の全制覇ですから。住民がひとりしか住んでいないという島もありますから、すべての島から食材を仕入れるのはもちろん無理ですけど、昨年には福岡店もオープンしたので、戦力は2倍になるはずです!
 東京出張のついでに離島の役場の方や生産者の方が寄ってくれることもあるんですが、そんなときは、この店が東京と地域をつなぐ「ハブ」になっているのを実感できてうれしくなりますね。東京のお客さんと離島のお客さんのコミュニケーションを見ているのも楽しい。
 ちなみに、いま飲んでもらっている「学校蔵」を造っている真野鶴の社長さんが関係者の方々とやった大宴会は、「阿鼻叫喚」という表現がふさわしかったですね(笑)。離島の飲みはやっぱり激しいんですよ。まぁ、僕はお酒が強いので、なんとかこうしてやってます。「オトーリ(宮古島独自の風習で、ひとりずつ杯を一気に飲み干し回していく)」でもなんとか潰れずに、秋田魂を見せることができました(笑)! みなさんが取材なのにこんなに飲むって知ってたら、今日は車で来なかったのになー(笑)。

「サザエのつぼ焼き」も「こじょうゆ味噌」で。味噌としょうゆのいいとこ取りといった複雑な旨みを、プリプリのサザエに乗せて。ワタの苦味がこれまた…… 。
東京店のディレクターを務める幸 秀和さん。「離島って遠い存在に感じるけど、意外と身近なんですよね。たとえば伊豆大島なんて高速船で2~3時間で行けますし。そういった情報も含めて発信することで、離島ファンを増やしていきたいです」

ついつい時間を忘れてしまう。それでいいんと思うんです

 島旅の話と味わい豊かな酒の数々、個性的な肴たちを囲むうち、いつの間にやら取材は「島時間が流れる酒宴」へと変貌。昼間からお話を聞いていたはずが、窓の外は夜の帳が下りている。

 それでいいんと思うんです。「ついつい時間を忘れてしまう」、そんな体験って東京人には貴重なものですし、それは「島にいる気分」を味わってもらっているということですから。

「隠岐島のイカの子の酢味噌和え」。新鮮な白イカの卵巣を使った珍味。ねっとりとした旨みに酢味噌が絡み、まさに日本酒泥棒と呼ぶにふさわしい逸品となっている。

 この「イカの子」もそうですけど、海士町の新鮮な海産物が東京で食べられるというのはすごく画期的なことなんです。海士町は自治体として、細胞を壊さずに鮮度を保ったまま冷凍できる「CAS(Cells Alive System)」というシステムを導入しているんです。それは電子レンジの冷凍庫版のようなもので、非常に高価。町の財政危機を立て直すために購入したんですが、かなりの苦労をしたそうです。でも、CASを使った流通に海士町が成功すれば、ほかの地域の人たちの参考にもなるだろうし、そういう新しい試みやアイデアをどんどん取り入れていくという海士町の士気というのが、離島キッチンをかたちにしているんです。

「こじょうゆ味噌の炙りおにぎり」。ふくよかな麹の風味が、ご飯をも酒の肴に変えてしまう。中はふっくら、表面はパリッと焦げた焼き加減も絶品!

 ここで今回のヒトサラ、「寒シマメ漬け丼」が登場。これこそは前述のキッチンカーの苦労や思い出も詰まった渾身のメニューであり、ねっとりとしたスルメイカ特有の甘みと肝醤油の旨みが、満腹な胃をも唸らせる至高の逸品である。

「隠岐島の寒シマメ漬け丼」
全体に卵黄を絡める。もうこの時点で旨くないわけがない!
取材班全員が無言で掻きこみ、あっという間に平らげてしまった。

 頬を内側から叩かれたような「寒シマメ漬け丼」のインパクト! これこそは離島からの恵みをそのままに直送する現代技術の賜物である。ちなみに「シマメ」とは隠岐諸島の言葉でスルメイカを指し、もっとも甘みののった冬のものを「寒シマメ」と呼ぶのだそう。勉強になります!

 これ旨いんですよね~! あ、3~5月は岩ガキのシーズンになりますから、その頃にもぜひいらしてください。水揚げしたばかりの岩ガキの美味しさといったら……(うっとり)……本当にヤバいですから、ぜひ。
 この店で海士町や離島の魅力に気づいてもらったら、「次のアクション」は現地に足を運んでいただくことですね。海士町は3月下旬がおすすめなんですよ。その頃だと寒さも落ち着いていますし、ちょうど地元の高校生が卒業して島を出ていく時期に重なるんですが、その光景も素晴らしい。色とりどりの紙テープが舞う船出の様子は、見ているだけで涙ぐんでしまうぐらい美しいんです。
 僕の目標は、そういった光景を映像に残すことです。離島の風景というのは、たとえば海だったり、ゆったりとした雰囲気だったり、共通するところはあるんですけど、やはりひとつひとつにそこだけの魅力があるので、いつかはこの店の余剰金を使って映画にしたいんです。島巡りをするときも、食のことだけじゃなく、若干ロケハンの要素も兼ねている部分があって、いつも「ストーリー」を探してしまうようなところがあります。もちろん監督はプロにお願いしたいとは思っていますよ! 僕は助監督だけど口を出すという、いい立ち位置でね(笑)。
 ここは前例のない店。だからこそ、これからも面白いことをやっていかなきゃなって思ってます。

離島キッチン 東京都新宿区神楽坂6-23
03-6265-0368
営業時間:11:30~15:00/18:00~22:00
(ラストオーダー21:00)
定休日:不定休/月曜日はディナータイムのみの営業

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