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SIDE ORDERS〜サイドオーダーズ

グラスを傾けつつ嗜みたい、酒香るエッセイにして、ヒトとヒトサラ流のカルチャー・ガイド。ミュージシャンや小説家、BARの店主や映画人。街の粋人たちに「読むヒトサラ」をお願いしました。

サイドオーダーズ04 / TEXT:本信光理 PHOTO:嗜好品LAB / 2014.08.13 妄想の味覚──本信光理

 この文章は、おそろしく深みのない、妄想の断片を連ねたものだ。気の置けない友人との夜通しの酒、しかも始発以降、いよいよ開いている店もなく、ファミレスで陽が高くなるまで飲み続ける時間帯においてもあっさりと却下されそうな、そんな個人的妄想だ。
 ただ、いい大人の妄想が、「もしタイムマシーンがあったら? 俺は恐竜が見たい! 僕は未来がいい!」といった小学生レベルの妄想を重ねるうちに、どう熟成し、発酵するに至ったのか。それは確認してもらえるだろう。

 僕は食べることが好きだ。が、美食家では決してない。
 30才を過ぎた頃、少しばかり収入も増え、「編集者として食に通じておくのも仕事のうちではないか。これからはなるべく良い店で飲み、そして食べたいものだ」と思い始めた矢先、翻訳家であり、評論家であり、時の首相、吉田茂の息子でもある吉田健一のエッセイ集『酒肴酒』に出会った。そしてすべてを諦めた。
 真の美食をきわめるには、日銭を気にかけることのない上流階級の生まれであること、美しい品性が備わっていること、そしてなにより、この本のタイトル通り、酒、肴、酒、のリズムを保ちつつ飲み、食べ続けられる体質と体力、つまりは「生まれながらの資質」が必要なのだと知ってしまったのだ。

 吉田健一は書く。
「およそ支那料理というものを最初に食べたのがその本場の支那だったということは、あるいは支那料理について語る場合に少しばかりは自慢になるかもしれない。(中略)とにかく、日本でワンタン、シューマイ、あるいはチャシューメンを知る前に、その原型に支那で親しんだことが今でも記憶に残っている」と。
 
 こちとら厚手の皮に包まれた本場スタイルの水餃子にはどうも慣れ親しめず、日本向けにローカライズされた、薄手の皮に餡を包んでパリっとさせた焼餃子をビールの前に、まずは茶碗に盛られた白飯で平らげておきたい質(たち)なのだ。
 吉田健一にいわせれば、自分は美食家という人種からは遠い存在なのかもしれない。

 しかし、美食家として生きることを諦めた寂しさを、俺の「妄想力」が救った。

 たとえばラーメンを目の前にして、縄文人のことを想う。ラーメンを前にした縄文人を自分に同化させてみる。
 そう、「化学調味料の芸術」であり大衆中華料理の頂点であるラーメンを、頭の中の縄文人に食べさせてみるのだ。
 考古学の文献などはさして重要ではない。大切なのは思い込みだ。お前が俺で、俺がお前だ。ジョン・レノンもそんなことを歌っていたはずだ。縄文時代の食物は、ひどく簡素なものだった。もちろん調味料などない。テーブルコショーなどない。病院食を数倍に稀釈した「薄味の荒野」に生きる縄文人に、豚骨と魚介のダブルスープを飲ませてみる。

 おそらく彼は気を失うと思う。
 それも、その場に崩れ落ちるような生優しいものではなく、背中からドーンっと倒れて、後頭部を地面にぶつけるようなやつだ。縄文人にラーメンを差し出す際は、すぐさま背後に回らなくてはいけない。

 次は麺だ。そもそもこの「麺」という存在自体、縄文人にとっては超常現象的なものだ。小麦を曵いて粉にし、保存性と加工性を上げるという、人類の食物史における革命がまずはあった。さらにそれを水で捏ね、生地を作り、焼く、つまりはパンにする……というところまではまだ想像がつくが、その生地を細く切り、糸状にし、湯がき、スープに入れて啜るというのは、いったいどれだけの発想の飛躍があったのだろうか。
 そんなものを縄文人が食べたら、「滝」そのものが、舌から喉、そして胃壁へと流れ落ちるといった、まるで全身が味覚になったような体験ができるのではないか。もちろんその麺には豚骨と魚介のダブルスープが絡まっているのである。
 書いているだけで目眩がしてきた。

 こういったヴァリエーションはいくらでも挙げることができる。俺の妄想力は留まるところを知らない。

 たとえば韓国料理屋にいく。目の前に置かれているサービス小鉢のキムチを見ただけで、約400年前の朝鮮人たちの食卓が見えてくる。
 唐辛子は、大航海時代にポルトガル人が日本へと持ち込んだ。一説にはそれが朝鮮に伝来したという。朝鮮の人々は、それまで山椒でキムチをつくっていた。その時代の朝鮮人に、真っ赤な炎の色をした、舌を剣山で突き刺すような刺激の現代キムチを食べさせる。あまりの辛さに雄叫び、泣きながらも、白菜との相性のよさに箸は休まるところを知らず、食べ続けることになるだろう。

 もしくは伊勢名物の「赤福」を、奈良時代の農民に食べさせる。
 当時の甘みは柿であり、それも現代のように甘く品種改良されたものではなく、栽培種としては素朴な状態であったものを、貴族などの特権階級が、滋養によいと食べていた時代。そこに赤福、それも20個入りの大箱を投下する。おそらく農民たちは、あの芳醇な糖分が注入されたとたん、五感が味覚だけに偏ることで世界がホワイトアウトした状態になり、目が見えなくなるのではないか。

 と、食事をするたび、半ば自動的に発動されるこの「妄想タイムトラベル」は、ここまで堂々と語りつつも、冒頭に書いた通り、あまりにも内容に深みがなく、他者と共有するのも難しいため、飲みの席ではいっさい話したことがない。その被害にあっているのは、僕の妻だけである。その妻も最初は笑って聞いていたが、今では「古代人とかどうでもいい」と閉口気味だ。

 もう、こんなことを語るのはよそう。自分の中だけ楽しめばいいではないか、と思った矢先、妻が出してくれた味噌汁を目の前に発動された妄想はこれだ。

「第二次世界大戦の東南アジア……地雷にて意識を失ったまま日本に帰還した軍人が、数十年の自宅介護の末、突然目が覚め、ちょうど夕飯どきだったため、ひと口だけ味噌汁を啜ってみたら……」

 返事すらしてくれなくなった妻にどう謝罪するのか。それはいっさい浮かばない、僕の悲しい妄想力なのであった。

SIDE ORDERS :
・吉田健一『酒肴酒』(2006)

本信光理Hikari Motonobu
1973年生まれ。編集者。1997年に学術書の出版やシンポジウムの運営を手がける某編集プロダクションに入社。そこでAdobe PhotoshopやIllustratorに触れ、デザイン・ツールに興味をもつ。2001年、エムディエヌコーポレーションに入社。グラフィック・デザイナーにさまざまな情報やノウハウを提供する月刊誌『MdN』の編集に携わる。2010年より同誌の編集長を務める。

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