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SIDE ORDERS〜サイドオーダーズ

グラスを傾けつつ嗜みたい、酒香るエッセイにして、ヒトとヒトサラ流のカルチャー・ガイド。ミュージシャンや小説家、BARの店主や映画人。街の粋人たちに「読むヒトサラ」をお願いしました。
©2015安倍夜郎・小学館/映画「深夜食堂」製作委員会(ページ内写真すべて)

 サイドオーダーズ07 / TEXT:松岡錠司 / 2014.12.16 『深夜食堂』を撮り続けてきて思う二、三の事柄──松岡錠司

 映画職人、と自分を割りきっている私は、いつの場合でも「少しでもマシに」という職人根性だけは持ち続けてきた。どうつっこまれても、答えられるだけの自分なりの覚悟は持っていたつもりである──高峰秀子

 09年の秋から足掛け5年、ドラマ『深夜食堂』に関わってきた。今年はシーズン3を撮ることができた。まさか、こんなに続くとは思ってもみなかった。続いた理由は、思いのほか評判がよかったこと、これに尽きる。
 映画監督としてデビューして24年になるが、多くの人々に感銘を与えるなんて、自分の中ではどこか現実離れした話なんであって、とくにこの数年は、それなりに評価があればよしとするのが、腑に落ちる頃合いだった。
 作品というのは、撮っているうちは自分のものだ、これだけは誰にも譲らないと意気込んでいるが、世に出してしまえば自分の所有物ではなくなって、「誰のものでもないもの」に変わる。『深夜食堂』も同様で、シーズン1の時点では、評判がいいと周囲から聞いたり、ネットで確かめたりして、もちろんうれしいのだけど、時間と金のない中よくやったよな、と一献傾けるくらいのものだった。
 しかし事態は変化して、作品がシリーズものとして定着し、その後もせっせと作劇することになった。前作を越えることが困難だと知っているにもかかわらずに、だ。

『深夜食堂』の連作の作業には、楽しさと苦しさが同居していて、シリーズもの独特の、「時とともに変容していく流れ」を恐れずに取り組むしかなかった。変わらないと誉められ、変わったと批判されることを予想しながら創作を続けることは初めての経験だったといっていい。
 世間の片隅で展開する、ちょいといい人情話というのが、今を生きる人たちの心に届くのかというのも、最初は不安だった。それに、たとえば卵焼きであろうがお茶漬けであろうがバターライスであろうが、実際自分でつくって食べられるのだから、それを映像で切り取って「どうです。うまそうでしょう」と画面で見せたりすることが、そんなにおもしろいことなのかとも思った。匂いだってないわけだし。でも、そんな自分の不安は外れた。テレビに映ったそれらの料理を食べたくなるというのも魅力らしい。グルメ番組と同じなわけだ。
『深夜食堂』を観てくれる人たちは、大きくふたつに分けられる。小腹がすいていて、画面に出ていた料理を食べたくなる人。あとは、寝る前にこじんまりしたドラマを楽しむ人。乱暴に言えば、視聴者はこのふたつのパターンにそそられて、毎話を追うことになる。私は視聴者がどう受け止めるかは考えていなかった。そんなことは考えたってわかるわけがないから、自分が思ったようにやるしかなかった。
 つまり、作品というものは、そもそもひとりよがりな物だということ。もちろん世の中に作品を発信することを放棄したわけではない。それが合うか合わないかは、観た人の自由だということだ。

 人が飲んだり食べたりする行為、そしてそれを見ることの淫靡さというのは、大方の人なら同意してくれると思うが、そういう行為を撮ることも、やはり気持ちのいいものだ。
 虚構の世界では、俳優の演技がいかにもっともらしく見えるかがポイントだけど、演技というのは嘘なわけで、そんな嘘の中で、「食べる行為」だけは本当に食べているわけだから嘘じゃないわけだ。それは、嘘をどれだけ洗練された形で見せようか工夫している俳優が、すきを見せる瞬間でもある。食べ物を口に入れて咀嚼しながら、彼らが台詞をしゃべる瞬間。私はこれがかなり好きだ。

 ポーランドの監督、クシシュトフ・キェシロフスキの作品に『デカローグ』というのがある。予測できない運命に翻弄される人々を描いた連作で、10話ある。この作品は、十戒を意識した、信仰心を持つ人々の話なので、直接『深夜食堂』の参考にはならないにもかかわらず、自分の頭の片隅に置かれていた。うだつの上がらない人や、裕福だけど心が乱れている人が、各話の主人公になって話が展開していく東欧のテレビドラマには、なんとも知れない魅力があった。
 久世光彦演出のテレビドラマ『ムー』も思い浮かんだ。足袋屋を舞台にした人情コメディで、バラエティ要素あり、シュールな描写ありで、リアルタイムで見ていたときは、『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』から妙な深化を遂げたなと、生意気にも高校生の私は思ったものだ。『深夜食堂』をいっしょに執筆した私より年下の脚本家たちは、小林薫主演の『イキのいい奴』を頭に浮かべていたな。作品をつくるときって、模倣するわけじゃないにせよ、過去に観たものが浮かんだりするものだ。原作漫画のエピソードを単純に選んで済むわけはなく、実写として再構築する手続きが必要な上、連続ドラマをつくったこともなかったわけで、なにがしかの指針を求めていたということ。実際は参考作品とは似ても似つかぬものになることが多いにしてもね。とにかく、実質20分強でどれだけの作品がつくれるのか。『深夜食堂』の制作は、雲をつかむようなことであり、まったくの手探りだったわけだ。

 映画版の参考はマックス・オフュルスの『快楽』のほか、『スモーク』、『警察日記』、『にごりえ』、『晩菊』あたりで、それらを話題にし、脚本家と語り合うことで構想を練った。過去の映画から学ぶことは多い。
 映画版はテレビ版(シーズン3)のあとに、続けて撮影した。これは、とても疲れた。どんなに疲労しようが、気を確かにもってゴールまでひた走ることだけを考えた。30分のドラマと2時間の映画では、なんというか、質量が違うわけで、短編小説と長編小説では読後感が違うのと似ているのかもしれないが、私は書き手のほうだから、読後感というより「書き進め感」が違うというのかな。ドラマは短編の読後感を大切にして、映画は長編だからこそ獲得できる余韻を刻印したかった。「深夜食堂はドラマこそがふさわしく映画にする必要などない」と感じている人に対し、どういう映画的肌触りで挑めばいいか、それが命題だったともいえる。

 マスターを演じる小林薫さんは、手慣れたもので、現場では最初からマスター然としていた。もちろん、歳を経て円熟味が増したのは言うまでもない。映画版の撮影で私が疲れていくのをよそに、淡々とマスターを演じていた。現場で出てくる料理はテスト撮影のときからきちんとこしらえたもので、本番用は、まったく同じものをテストの間につくるという段取りで進められた。これはフード・スタイリストである飯島奈美さんのこだわりだ。客役の俳優たちは本番オーケーになったあとも現場に残って食べ続け、「おいしい」を連発していた。こちらは本番中に腹が鳴って困ったこともあった。とにかくうまそうなので、本番のあと、監督特権で皿に残った料理をつまみ食いしたこともあったな。
 そういえば、赤いウインナーはそのままよりもタコ足に切られたほうが美味に感じるのはなぜなんだろう。それだけは謎だ。試しに赤いウインナーを知らない外国人に、足ありと足なしを食べ比べてもらいたいくらいだ。味が同じだと判定されたら、やはり限られた世代の郷愁の味という結論になるのだろうか。

『深夜食堂』が東アジアでも話題になっているのは知っている。登場する料理は日本ならではのものが多いというのに、どうして好評なのか。彼らが食べる日常の料理とは違うはずなのに。
 でも、世間の荒波の中、食堂という避難場所を見つけて、煩わしい事情から逃れた束の間、食べたい物を思う存分に食らうというのは、万国共通の至福といっていいのかもしれない。そして、あのマスターは、多くの人が密かに求める、しかしいまどきはいない、父のような兄貴のような存在なのだろう。観客が映画『深夜食堂』を観ることで、「固くなったこころ」が解きほぐされるようなことがあれば幸甚である。
 なにか忘れたものがあるような気がして寄り道したい夜もある──そう、寄り道だからこそ見つかるなにかがある。できれば劇場に寄り道してほしいものだ。

『深夜食堂』は映画監督としての私の復活作にしたいと周囲に明言している。この数年、撮れなかったから。去年の暮れ頃、果たして私が映画にまで到達できるかと悶々としていたとき、オダギリジョーに「松岡さんがやるって宣言すれば、みんなついていくでしょ」と、飄々として言われたことを今になって思い出す。

SIDE ORDERS :
・ 映画『深夜食堂』(2015)
・『デカローグ』(1989~90)
・『快楽』(1952)
・『スモーク』(1995)
・『にごりえ』(1953)
・『警察日記』(1955)

松岡錠司Joji Matsuoka
1961年11月7日生まれ。愛知県出身。90年に『バタアシ金魚』で劇場用映画デビューを果たし、数々の新人監督賞を受賞。その後、シカゴ国際映画祭ゴールド・ヒューゴー賞を受賞した『きらきらひかる』(92)、『さよなら、クロ』(03)などキャリアを重ねる。08年には、映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(07)で第31回日本アカデミー賞最優秀監督賞を含め主要5部門受賞に輝く。その後も『歓喜の歌』(08)など精力的に活動。09年には『深夜食堂』でドラマの枠を超えた深い世界観を築きあげ好評を博し、『深夜食堂2』(11)、『深夜食堂3』(14)とシリーズ化され、2015年1月31日、映画『深夜食堂』として全国公開を控える。

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