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SIDE ORDERS〜サイドオーダーズ

グラスを傾けつつ嗜みたい、酒香るエッセイにして、ヒトとヒトサラ流のカルチャー・ガイド。ミュージシャンや小説家、BARの店主や映画人。街の粋人たちに「読むヒトサラ」をお願いしました。

 サイドオーダーズ08 / TEXT:マジック・コバヤシ / 写真協力:池田晶紀(ゆかい) / 2015.01.20 All Along The ドランクタワー──マジック・コバヤシ

 私がはたして「粋」であるかはわからない。むしろ「野暮天」ではないかと自覚しながら、粋に憧れている。粋に憧れつつも、食べるのも呑むのも大好き……いや、食べすぎや呑みすぎも大好きなのだ。
 こと呑みすぎに関してはひどいものがある。なにせ、楽しかったはずの宴の記憶を、翌日にはきれいさっぱり忘れてしまうのだ。
 初めて酒で記憶をなくしたときには愕然とした。アルコールは残っている。金は残っていない。楽しかった記憶も残っていないとなると、宴にどんな意味があるというのか。
 私はその時間、確かに生きていたのか? 確かににこの次元に存在していたのか? 思考は存在の不確実性に及び、ついには巨大な恐怖に襲われた。
 ここまで告白すればもうおわかりであろう。私は不粋な人間である。

 しかし、そんな闇のドン底で自身を嫌悪してなお、酒の香りには負けるのであった。
 わかっちゃいるけどやめられない、人間の性。毎夜のごとく繰り返される喪失を前に、自分は考えた。どうにか記憶を補完できないだろうかと。

 そんな思案の末に思いついたのが、酒席にカメラを持ち込むということであった。この方法であれば、翌朝すっかり抜け落ちてしまった私の記憶も、前夜の写真を見返すことで、その何割かを取り戻せることがわかった。
 おお、これはまさしく私の外部記憶装置ではないか!
 いつしか私は居酒屋でもBARでも写真を撮るようになっていた。
 初期はアルコールで高揚した愉快な友人知人を撮影していたのだが(のちにそのときの写真は「TDB-CE」というアート・フェスティバルで発表)、それだけで飽き足らなくなった自分は、さらなる記録を模索した。
 それが「ドランクタワー」である。

「え? ドランクタワーってなんだよ?」……ですよね。

 私はそれを、「泥酔しながらその場にある物を使い即興でつくりあげる一期一会のエクストリームなインプロビゼーション・スカルプチャー(即興彫刻作品)。酩酊状態の自己確認的行為とジェンガ的スリルの同居。奇跡の物理的瞬間とその記録」と定義している。
 よりわかりやすく、より平たく説明するならば、「宴の最中に食べ呑み散らかさられた酒器や食器皿を重ねたタワー。居酒屋の閉店時、店員さんが片づけの効率を考え、できる限りを重ね持つその技に着想を得た、少々お行儀の悪い遊び」である。

 もちろん度がすぎると器物破損になってしまうため、ある意味では反社会的行為。
 しかしそこまではいかない寸止め感が要といいますか、ま、実際にやってみるとわかるのですが、これがなかなかスリリングでおもしろい。
 節度をわきまえさえすれば、「よく飲む客」の範疇なのか、「ねのひ」銀座二丁目店、「山家」渋谷店などの居酒屋には、大変寛容な御理解をいただいてきました(とはいえお店が推奨しているわけではもちろんない)。

 泥酔時にも関わらず奇跡的なバランスで積みあがる器たちの「美」、恒久的なものではないという儚さ、それを記録した写真に、楽しい呑み友達でもあるアーティストや編集者が興味を持ち、そしてドランクタワーは「アート」と呼ばれるまでになった。
 今では山梨の「Gallery Trax」や神田「TETOKA」など、ドランクタワー公認ギャラリー、公認カフェも存在している。

 なによりドランクタワーは「ただの泥酔者」だった自分を変えた。
 思い返せばドランクタワー歴10年余り。継続は力なりとはよく言ったもの。ドランクタワーの写真展やインスタレーション、ときにはイベント・パフォーマンスにまで呼んでいただき、その様子はネットでも確認してもらえるまでになった。
 もちろん美術家として、ドランクタワー・シリーズ以外にも作品制作は続けているが、画家の角田純氏や五木田智央氏、イラストレーターの白根ゆたんぽ氏や今井トゥーンズ氏ら参加者を始め、ドランクタワーが繋いだ縁というのも枚挙に暇がない。
 本稿の執筆も、まさにそんなこんなであります。

 ……と、まあ、昭和の文豪よろしく今日も呑んだり呑まなかったりしながら筆を進めているわけですが、「こんなものがアートなわけがない」という貴殿には、湯村輝彦さんことテリー・ジョンスンさんによる伝説の名著『ヘタうま略画・図案辞典』、そして赤瀬川原平さんの『芸術原論』を御紹介。
 どちらも既成概念で凝り固まったアタマを巨大なコンニャクでぶっ飛ばされるような衝撃があります。「ああ、ホントなんでもアリなんだな!」と思えるはずです。

 そして最後にもうひとつ、保身のような言い訳のような格言を。

「くだらない」の中に人生がある。
 人生の謳歌は「くだらない」にある。
 気をつけてるのは一点だけ!
 迎い酒はしない!

 以上、マジック・コバヤシでした。

SIDE ORDERS :
・ テリー・ジョンスン『ヘタうま略画・図案辞典』(1986)/
  (現在は改訂版『決定版ヘタうま大全』が入手可)
・ 赤瀬川原平『芸術原論』(1988)

マジック・コバヤシm.magic.kobayashi
1969年長野県生まれ。日本大学芸術学部美術学科卒業。株式会社メイウェル入社。後に横尾忠則氏と石川次郎氏のデザイン事務所、株式会社スタジオ・マジック設立に参加。1999年よりフリーランス。グラフィック・デザインを軸に、映像、インスタレーションなど表現方法にとらわれない制作を続け、近年は写真表現の分野でも活躍。企画展参加や個展など多数。美学校「絵と美と画と術」の講師でもある。

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