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SIDE ORDERS〜サイドオーダーズ

グラスを傾けつつ嗜みたい、酒香るエッセイにして、ヒトとヒトサラ流のカルチャー・ガイド。ミュージシャンや小説家、BARの店主や映画人。街の粋人たちに「読むヒトサラ」をお願いしました。

 サイドオーダーズ10 / TEXT:荒正義 PHOTO / 2015.03.24 酒と肴──荒正義

 20代の頃は、体力の限界まで麻雀を打った。当然、徹夜もある。
 これが駆け出しの者の修業で、どの世界の鍛錬もそうであろう。わたしは麻雀プロである。

 1976年当時は、麻雀が終わると立ち食いそば屋に直行した。生卵とコロッケを入れたそばで腹をつくる。ネギは大盛りである。そして部屋に戻り、コップ酒を飲み、泥のように眠る。食事はそのときどきの思いつきであり、酒は寝酒だった。
 こんな暮らしがいいわけもなく、ある日、身体がふらついた。踏ん張っても力が入らず、麻雀を打つ気力も湧かなくなった。
 慌てて病院に駆け込んだが、下された診断はといえば、栄養失調だった。
「なんだよ!」である。

 食事に注意するようになったのは、それからである。
 根野菜を多く摂り、主食は肉から魚に変えた。これで「食」は改善されたが、問題は「酒」だった。
 体質なのか、酒に好かれたのか、なかなか酔わなかった。酔わないからやめづらく、そのぶん、深酒になる。
 身体と財布にかかる重圧はともかく、「親父は下戸だが祖父は酒飲みだった」という話から、隔世遺伝でしょうがない。ずっとそう思い込んでいた。

 それが間違いだったと知ったのは、ずいぶん後のこと。
 わたしが50歳を越えた頃のことである。

 プロの試合は平均、週に一度の割合で組まれる。勝てばランキングが上がり、負けたら下がる。だから選手は皆、体調管理と麻雀の鍛錬は欠かさない。集中力を高め、その照準を試合の日に合わせるのだ。ここまでが勝負の比重の7割を占める。そして残りの3割が卓上の勝負である。
 卓につき対戦が始まると、脳はフル回転である。
 まず、相手と自分の「運」の測定である。「運」は一局ごとに揺れ動くから、その都度推し測る。麻雀の正しい一打は、運の強弱との因果関係で決まるのだ。
 そして「読み」。麻雀の読みとは通常、相手の「マチ」を推理することを云うが、プロでは違う。プロであるならマチを当てることなど常識に過ぎない。真の読みとは相手の打牌の強弱と音色、視線の強さを見て、こっそり敵の心の中に忍び込むことをいう。心を読むのだ。
 心の動きがわかれば次の行動もわかるから、精度の高い対応ができる。もちろん、やることはこれだけではないが、こうしたことを卓上で常に考えながら戦っている。
 そんなこんなで試合は6時間ほどかかり、その頃には、どの打ち手の脳も、例外なく疲労困憊しているが、勝負のあとは連れだって酒となり、麻雀談議に花が咲く。卓上では火花を散らすが、卓を離れたら同じ道を志す仲間、飲んだついでにもう一軒となる。

 覚醒してしまった脳を冷ますまでには4時間ほどかかる。
 そう、わたしが特別に酒が強いわけではなく、麻雀プロの「はしご酒」は、脳を冷ますための儀式のようなものだったのだ。

 そのことが実感できてからは、酔うための酒を、「嗜み」に変えることができるようになった。

 今では、試合の後は行きつけの酒場に入る。
 まず一杯のビールで喉を潤し、空酒は身体によくないからと、すぐに肴を頼む。ビールは喉で味わうというから、ゴクンと音を鳴らしてもいいことにしている。
 早稲田通りに面した『源兵衛』は、早稲田の学生や教授の間では知らない人がいない。創業が昭和元年というから歴史ある名店である。この店のお奨めは「焼き鳥」と「焼売」だが、牛の「もつ煮」もなかなかのものである。
 そしてわたしのいちばんのお気に入りは、新島産のムロ鯵の「くさや」。
 これに手を出す頃、酒はビールから芋焼酎に鞍替えである。夏はオン・ザ・ロックで、寒い冬場はお湯割りがうまい。それでも限って二杯までにしている。

 あとは部屋に帰り洋画やら音楽で時間を費やしていると、いつの間にか、脳が落ち着いてくるのである。
 好んで聴くのは、岡林信康、高石ともや、かぐや姫など、1960年~70年代のフォークがメインである。若かった頃に心を馳せながら、心地よい眠りにつく。
 余談だが、岡林信康の「山谷ブルース」は、わたしが唯一カラオケで歌う曲である。

 麻雀の後に、いつも酒場で飲むとも限らない。読書家、というには憚られるが、読みたい本があるときには、部屋に直行する。
 わたしの読書は作家で選ぶことが多い。好きな作家は、伊集院静さんと白川道さん。伊集院静さんの自伝的小説『海峡』『春雷』『岬へ』の三部作と、白川道さんの『天国への階段』は、どちらもわたしの大のお気に入りである。
 わたしは早読みの類なので、すぐに本を読み終えてしまう。しかし、日が経ってから二度三度と読み返すと、最初読んだときには気づかなかった新しい喜びや驚きを見つけ出すことも多い。これもまた、読書の楽しみのひとつである。
 
 今読んでいるのは、『芦原英幸正伝』(著者・小島一志/小島大志)だ。わたしには珍しく、作家ではなくタイトルで選んだ本だ。
 武道家なら誰でも知る天才空手家、芦原英幸の真実を描いた物語である。著者のふたりは親子で、もとは同じ流派の空手を学んでいた。この本も一読の価値があり、わたしに驚きや楽しみをもたらしてくれる。

 読書の後は、お気に入りのウィスキーを1ショットだけ注ぐ。やはりシングルモルトはストレートがいい。
 口の中で転がすように味わい、少しずつ喉に流し込むのだ。床に就く前はミネラルウォーターを多めに飲む。これで万全、朝にはスッキリと目覚めが訪れる。

 酒は嗜み方しだいで、いい薬にもなる。
 服は部屋に脱ぎ散らかし、頭は酒が残って重かったコップ酒の時代から数えて半世紀、今のわたしはこうして酒とつきあっている。

SIDE ORDERS :
・ 岡林信康『わたしを断罪せよ』(1969)
・ 小島一志/小島大志『芦原英幸正伝』(1988)

荒正義Masayoshi Ara
1952年北海道北見市留辺蘂(るべしべ)町生まれ。A型。日本プロ麻雀連盟副会長。九段。1974年・第1期新人王を獲りプロデビュー。翌年、第5期王位を獲りプロの地位を不動にする。プロの世界では現役最強と言われる本格派。緻密にして深い読みは「精密機械」と呼ばれる。第8・28期鳳凰。第5・29期王位。第10期最強位。第4期モンド名人など、王座とタイトルは多数。著書も多く、『鉄火場のシン』など劇画原作を合わせれば70冊を超える。31年間A1リーグの在籍記録を更新中。

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