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SIDE ORDERS〜サイドオーダーズ

グラスを傾けつつ嗜みたい、酒香るエッセイにして、ヒトとヒトサラ流のカルチャー・ガイド。ミュージシャンや小説家、BARの店主や映画人。街の粋人たちに「読むヒトサラ」をお願いしました。

 サイドオーダーズ11 / TEXT:片寄明人 PHOTO:嗜好品LAB / 2015.04.28 チェット・ベイカー・シングス──片寄明人

 ウエストコースト・ジャズを代表するトランペッターにしてシンガーのチェット・ベイカー。彼のことを初めて知ったのはラジオだった。1981年の冬に聴いたNHK-FMのサウンド・ストリート。DJは佐野元春さんで僕は13歳だったと思う。小さなラジカセのスピーカーから流れてきた「That Old Feeling」。その柔らかな歌声とノスタルジックな響きに心奪われた僕は、エアチェック(当時ラジオを録音することをそう呼んでいました。)したカセットを何度も聴き返しては夢心地に、そして少しだけ大人になったような気持ちにさせられたものだった。

 僕は幼いときからノスタルジックな感情に浸るのが大好きだった。小学生のときには幼稚園時代を懐かしみ、中学生になってからは小学校時代を振り返っては感傷的な気持ちになってばかりいるような子どもだった。いま想い返すとちょっと変わってたなって思うけれど。

 過去への後悔や未来への不安にとらわれることなく、「いまを生きる」ことこそがさまざまな悩みから解放される道。そう思い知ったいまでも、僕の中にはいまだにそんな性癖が根強く残っている気がする。そんな自分にとって、初期のチェット・ベイカーはいつだって最高のサウンドトラックだった。高校生の頃に六本木のWAVEで「That Old Feeling」が収録された再発LP『Chet Baker Sings』を見つけた僕は、溝が擦り切れてしまうくらいに愛聴したものだった。いつの日にか大人になって、お酒でも嗜みながらこの音楽を楽しみつつ、少年だった頃を懐かしんでいる自分の姿を夢想しながら……。

 ジャズに興味がない人でも一度はそのジャケットや音に触れたことがあるに違いない名盤中の名盤、『Chet Baker Sings』。1956年に発売されたこのアルバムは大ヒット、チェット・ベイカーは一躍「ウエストコースト・ジャズ」を代表するスターとして、多くの女性ファンを熱狂させた。このアルバム・ジャケットで、白いTシャツを着てマイクに向かう若きチェットはまるでジェームス・ディーンを彷彿とさせる美青年だ。しかし、西海岸を象徴する都市ロサンゼルスが、陽光輝く青空やパームツリーといった典型的イメージの下、実は深い闇を抱えているのと同じように、チェットの実態もまた複雑怪奇であった。そんなことを僕が知るのはそれから何年も後のこと……。

「チェット・ベイカー、伝説のジャズ・ミュージシャンにして救いようのない麻薬中毒者、悪魔に取り憑かれた男」。そんな彼の側面をモノクロの映像で見事に描いたのは写真家のブルース・ウェーバーだった。1988年、奇しくもチェットがこの世を去った年に公開された映画『Let's Get Lost』は、長年の麻薬使用により実年齢よりもはるかに老けこみ、まるで歩く死体のような姿となった晩年のチェット・ベイカーを追ったドキュメンタリー作品であり、僕もこの映画でチェットの人生における暗い側面と、その素晴らしい後期の音楽を知ることとなった。

 ブルース・ウェーバーが愛した「朽ち果てる寸前の美」に応えたかのように、映画『Let's Get Lost』、そしてそのサウンドトラックにはチェット・ベイカーの魔的な魅力が存分に封じ込められている。皺だらけで骸骨のような姿でありながらも、彼自身は今でも自分を「ウエストコースト・ジャズ界のジェームス・ディーン」だと信じていたのだろう。あらゆる反省とは無縁に、若い頃のまま成長が止まってしまったかのように幻想の中で生き、まるで青年のように愛人といちゃつく老いたチェットの姿は奇妙なまでに人の心を惹きつける。

 麻薬こそを最上の友とし、そのためには彼を敬愛し慕う仲間や愛する家族、そしてときには音楽さえもないがしろにしてきた男、それこそがチェット・ベイカーの真の姿だった。しかしどんなにボロボロの状態でステージに上がったとしても、ひとたび彼が音楽の中に身をまかせると、そこにはスーパー・ロマンティックとしか形容のできない、美しく魔法のような旋律が時折こぼれ落ちる。人々はその地獄から生まれる奇跡のような一瞬を求めて、チェットのライブに通ったのだろうと僕は思う。

 麻薬を巡るさまざまなトラブル、それに起因する税金問題などで、母国アメリカを追われ、死を迎えるその瞬間までヨーロッパを転々と旅しながらライブをおこない、いくつものレーベルとワン・ショット契約で数多くのアルバムを録音したチェット・ベイカー。そんな彼が残したアルバムは250枚を軽く超えてしまうという驚くべき数だ。そして僕がそれを全部揃えたいと無謀な願いを抱いたのは2007年のことだった。

 トミー・ゲレロやレイ・バービーといったスケート/サーフ・シーンでも名を知られたミュージシャンとともに活動しているカリフォルニアの若き双子ジャズ・デュオ、The Mattson 2。ある日、彼らからメールが届き、僕が妻と組んでいるChocolat & Akitoの音源を気に入ったので、いっしょに音楽をつくらないかと声をかけられ、初めてサンフランシスコを訪れたのが2007年。そのときに彼らのプロデューサーであり、映画監督として『Sprout』をはじめとする素晴らしいサーフ・ムービーなども制作しているアーティスト、トーマス・キャンベルの自宅に招かれ、そこで僕は今まで聴いたことがなかったチェット・ベイカー中期~後期のアルバムと出逢ったのだ。

 トーマス・キャンベルはザ・スミスやコクトー・ツインズの名曲に続いて、チェット・ベイカーのレアなアルバムに針を落とし、『Let's Get Lost』映画公開時にブルース・ウェーバーが少数限定制作した写真集も見せてくれた。その本の素晴らしさには心が吹き飛ばされてしまった。スタイリッシュな写真と粋なレイアウト、そして数多く掲載された知られざるチェット・ベイカーのアルバム・アートワーク。これを見たのが運の尽きだった。帰国後、僕はインターネットを駆使して世界中からチェット・ベイカーの作品、文献を集めることに熱中してしまうこととなったのだ。

 それから3年が経ち、気がつくと僕はひと財産を失うとともに300枚を超えるチェット・ベイカーのCD、レコードを揃えた、いっぱしのコレクターとなってしまっていた。ときにはイタリアだけでリリースされたレアなアルバムを求め、まったく喋れないイタリア語で現地の人と交渉したこともあった。さらには晩年のチェット・ベイカーとともにレコーディングしたヨーロッパのプロデューサーやミュージシャンともメールのやり取りをするようになり、音源化されていないチェットのライブ録音をたくさん譲ってもらうという幸運なこともあった。

 中期以降にチェットが録音したアルバムの多くは手軽に制作されたライブ・アルバムだ。そしてそのレパートリーはたいていの場合「My Funny Valentine」をはじめとする代表曲がほとんどで、あまり変わり映えのしないものばかり。しかも調子が悪いときの録音では、ただ漫然と冴えない演奏が続いているだけのものも多かった。

 チェットの奇盤のひとつに『Seven Faces Of Valentine』というイタリア盤CDがある。これなどは収録された7曲すべてが「My Funny Valentine」のライブ演奏なのだ。しかしジャズ初心者だった自分は、収録日、共演者が異なるだけでこんなにも演奏が違うのか…と驚かされ、ずいぶん愛聴したものだった。決して名演とはいえず、録音クオリティもかなり低いものがあったりするのだが、ダラダラとした惰性にまかせた即興演奏の最中に、ロマンティックの極みのような美しい旋律が突然現れるのだから恐ろしい。その心舞い上がる瞬間を求めて、ただただ聴き続けてしまうのだ。それはまさにチェット中毒といっても過言ではない症状だったと我ながら思う。

 僕の手元には『Seven Faces Of Valentine』の結局発売されることがなかった続編である『Valentine, One More Time』と題されたCDRもあるのだが、そこにはさらに7曲のまた違った「My Funny Valentine」が収められていた。チェット中毒が酷かった頃には、前作と合わせて計14ヴァージョンの「My Funny Valentine」だけを、まるで白昼夢に浸るかのように聴き続けた日もあったほどだ。

 長年の不健康な生活で声も劣化し、金銭トラブルによる暴行事件でトランペッターの命とも言える歯のほとんどまでも失ってしまった70年代以降のチェット・ベイカーだったが、むしろそれゆえに行き着いたともいえるミニマムな美学に自分は惹かれてしまう。派手に吹きまくることも、アヴァンギャルドに傾倒することもなく、まるでフリューゲル・ホーンのように太く柔らかな音色で奏でられる、シンプルでありながら彼にしか表現できない甘美な世界。唇が不調のときにはスキャットでも表現された、そのどこまでも胸に沁みる即興の旋律。たった一瞬かもしれないが確かにその瞬間に放たれ、そして儚くも幻と消えたメロディーを求め、僕はまだ聴かぬチェットの音を探し続けた。我ながら度が過ぎたなと思っているが後悔はない。この先の人生、その1枚1枚を味わうようにゆっくりと聴いていきたいと思っている。

 中~後期のチェット・ベイカーはライブ録音だけでなく、いくつかの素晴らしいスタジオ録音されたオリジナル・アルバムも残している。僕が1枚おすすめを選ぶとすれば、ピアニスト Paul Bleyとのデュオでつくられた1985年のアルバム『Diane』だ。収録曲の多くはバラードであり、その静謐な世界は夜のドライブ、もしくはひとりで飲むお酒のサウンドトラックとしてこれ以上はない極上の作品である。

 そしてライブ・アルバムでは、チェットが逝去する2週間前、ドイツで62人のフル・オーケストラと共演したコンサートが収録された『My Favorite Songs -The Last Great Concert-』を外すことができない。哀しいまでに崇高なこの日の「My Funny Valentine」。孤高のトランペットからピアノへ、そしてストリングスが立ち上がるとき、涙がこぼれる。その不安定でありながら心を打つ歌声。死を覚悟していたのかも知れないとすら感じさせる魂の演奏がここにあると僕は思う。

SIDE ORDERS :
・ Chet Baker『Chet Baker Sings』(1956)
・ Chet Baker『Chet Baker Sings And Plays From The Film "Let's Get Lost"』(1989)
・ Chet Baker『Seven Faces of Valentine』(1990)
・ Chet Baker & Paul Bley『Diane』(1985)
・ Chet Baker『My Favorite Songs -The Last Great Concert-』(1988)

片寄明人Akito Katayose
1968年東京生まれ。GREAT3のボーカル、ギター。最新作は2014年リリースの『愛の関係』。妻のショコラとのデュオ、Chocolat & Akitoとしても活動中で、現在はカリフォルニアの若きジャズ・デュオ、The Mattson 2と共作アルバムのレコーディング中。音楽プロデューサーとしても、DAOKO、Chezco No Republic、フジファブリックなど多くの作品を手がけている。
https://about.me/akitokatayose

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