サイドオーダーズ12 / TEXT:鈴木興 PHOTO:嗜好品LAB / 2015.05.26 エースとSWING──鈴木興
「不味いコーヒー1杯で閉店まで粘った…」
往年のジャズ喫茶で青春時代を過ごしたベテラン・ジャズファンの口から、ときおり聞かれるフレーズである。
日本独自の文化である「ジャズ喫茶」の黄金時代は1960~70年代だと思う。
自分のジャズ喫茶体験は80年代に入ってからだが、当時の東京にはまだまだ多くの店が存在した。
90年代ともなると急激にその数を減らしたが、現存するジャズ喫茶の多くは、レコード・コレクションや音響装置だけではなく、コーヒーの味にもこだわった店が多いようだ。
もっともジャズ喫茶も「飲食店」なのだから味にこだわるのは当たり前で、「不味いコーヒー」で経営を維持できる時代ではなくなったのだ。
「あそこのノーパン喫茶のコーヒーは一級品だった…」などという話も聞いたことがないが、しかし飲食店としての「付加価値」の存在バランスが特異である点に於いては「ジャズ」も「ノーパン」も共通するものがあった。
失礼致しました。こじつけが過ぎました。
昨年の夏。
自分がジャズ喫茶を開業するにあたり「不味いコーヒー」を出すわけにはいかない、と思った。
もともとコーヒーは好きであったが、こだわりは薄く、旨くないシロモノにも寛容であった自分は、旨いと評判のコーヒーショップを巡ることで、味覚を研鑽しようと考えた。
確かに旨かった。
だが「明日も飲みたい」と思う1杯には出会わなかった。
さてどうするか……と、馴染みの喫茶店「エース」で、エコーを咥えながら考えた。
(脚注:エースとは、神田駅から徒歩3分、御主人である清水英勝さんが家族経営を続ける、昭和46年創業の老舗である。)
私はひとり、急にニヤケ顔が治まらなくなった。
キャーホランラン、キャホランラン♪と小躍りしたくなった。
そりゃそうだ。目の前にクッキリと正解が見えたのだから!
「灯台もと暗し」(←幼年時は「東大元暗し」だと思っていた)とはまさにこのことだ。
「エース」だったのだ。
自分はエースのコーヒーが好きなのであり、自分の店では自分の好きな味のコーヒーを出すべきだという極めてシンプルな結論に到達したのだ。
「旨すぎるものは旨くない」
これは自分が40を過ぎ、つとに感じるようになったことである。
エースの名前を挙げながら、このようなことを書いても、懐の大きな御主人はちっとも怒るまい! と信じる。
そう、「旨すぎない」とは、味に絶妙な「隙間」があるということ。その隙間に、口にする側の感性を織り込み、自分の中で味を完成させることができるということ。
当然ながら、隙間だらけの味は「不味い」ということになる。
この「絶妙な隙間」を持つ味を提供するのは容易なことではないが、40年以上愛され続けているエースのコーヒーには、確実にそれがあるのだ。
畏れ多く、なかなか切り出せなかったが、その後、何度目かの訪問時に当方の事情を説明し、コーヒーの淹れ方についての手解きを乞うた。
ズブの素人のぶしつけな申し出を、御主人はこれ以上ないというほど快く承諾してくださった。
こちらも真剣である。
厚かましくも、続けざまに名物「海苔トースト」の伝授も希望した。
なんと、清水さんは一瞬の躊躇もなく「じゃあこちらに入ってください」と、調理場であるカウンター内に私を招き、その場で海苔トーストの旨さの秘密を公開してくださった。
まさに、すべてを教えていただいた。材料、調理方法、仕入れ先と営業担当者、各食材の原価(!)、調理器具、コツと心構え、等々。
今思い出しただけでも胸と目頭が熱くなる。
エースの御主人はそういう方であり、エースとはそういう店なのである。
そんなふうに始まった「渋谷 SWING」には、もうひとりの師匠がいる。
今は亡き、元祖「SWING」のマスター、宮沢修造さんだ。
かつて渋谷の百軒店に存在したジャズ喫茶の草分け「SWING」は、私が初めて訪問したときには、宇田川町に移転していた。
しかしそれでも老舗ならではの風格は健在で、自分にはそれがたまらなく心地よく、10代から20代にかけ、本当によく通った。大好きだった青春の店だ。
なんといってもマスターのふるまいすべてが粋でカッコよかった。ハットを目深に被り、いなせなシャツに咥え煙草。誰が見ても玄人の趣であり、ガキだった自分には憧れの存在だった。
それゆえに、自分がジャズ喫茶を開業するにあたっての候補地は、渋谷以外になかった。
そして店名は「SWING」。誰になんと言われようとも、これしかないと思った。
渋谷には「SWING」が必要だと思った。
すでに亡くなられていたマスターのお嬢さまの連絡先を人づてに伺い、意を決し電話した。
「SWING」という店名と、旧「SWING」の看板デザインを使わせていただきたいという旨をお伝えしたところ、非常に快くご了承いただけた。
さまざまな幸運、そして縁が重なって、ついに自分はジャズ喫茶のオーナーになったのだった。
コーヒーというのは「時間」でもある。
味覚を満たすだけではコーヒーを味わったことにはならない。
「コーヒーを啜る」という行為は、自分が歩んだ過去、現在、明日、つまりは人生の通過点を実感したり、再認識する行為だと思う。
少々大げさで気恥ずかしくもある言いぐさだが、間違ってはいない気はする。
ゆえに、その「時間」を共にする空間の在りようは重要である。
やはり老舗には時を重ねた独特の匂いと落ち着きがある。
「エース」の味と、元祖「SWING」の名前を受け継ぐことができたことを、誇りに思う。
永く愛される店をつくりたい。
【追記】
もはや「ジャズ喫茶」を御存知ない読者の方も少なからずいらっしゃるかと思いますので、ここに追記いたします。
「ジャズ喫茶」とは、大きな音でジャズのレコードを聴きながらコーヒーが飲める店のことです。「ジャズBAR」との違いはといえば、「昼から営業している」「"BGM"以上の音量でレコードを再生する」ぐらいのものです。
当「渋谷 SWING」はジャズ喫茶ですが、昼間からお酒をお出ししますし、夜にコーヒーだけでも構いません。レコードに関しては、ほとんどのジャズ喫茶に比べ、年代的に古い音楽が多く、いわゆる「ムード音楽」すらかけます。蓄音機もございます。
場所のわかりづらさ、暗いドアの入りづらさを「隠れ家的」と表現してくださる方もいらっしゃいますが、隠すつもりはまったくございません。ただでさえ日陰の業種、隠れていたらすぐに潰れます! 皆さま、怖がらずに明るくドア(2枚)を開けてくださいね。
SIDE ORDERS :
・ 『John Kirby And His Orchestra(Columbia C45)』(1940)
・ 『Lee Wiley Gershwin Album(Liberty Music Shop L 281-284)』(1940)
・ 『Charlie Christian Memorial Album(Vox VSP-302)』(1941)
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