Copyright (C) ASAHI GROUP HOLDINGS, LTD. All rights reserved.

SIDE ORDERS〜サイドオーダーズ

グラスを傾けつつ嗜みたい、酒香るエッセイにして、ヒトとヒトサラ流のカルチャー・ガイド。ミュージシャンや小説家、BARの店主や映画人。街の粋人たちに「読むヒトサラ」をお願いしました。

サイドオーダーズ27 / TEXT:田尻彩子 PHOTO:嗜好品LAB / 2016.8.31 彼女の部屋(スナックアーバンのこと)──田尻彩子

 夜ともなればどことなく色っぽい灯りがともり、ソワソワとした賑わいを見せる四谷荒木町。この地域それ自体が、「なんだか夜のオネーサンっぽいなあ」と、いつも思います(昼間のそっけなさも含めて)。この街に、6年前の2010年にオープンした、「スナックアーバン」という店を、どう説明したらいいのでしょう。こぢんまりとしたお店がひしめく雑居ビルの地下、「会員制」と書かれたドアを開ければ、そこには「ザ・スナック!」とでもいうべき昭和な空間が広がっています。大画面テレビに映るのは、青い海をバックに白い砂浜を駆ける、うら若き乙女たち(アイドルDVDのイメージ映像っぽいやつですね)

 しかしアーバンは、決して平凡なスナックではありません。入店直後、目に飛び込んでくるのは、壁を埋め尽くすサインの数々。初めて訪れたとしたら、これを眺めているだけでもアーバン名物「濃い目の水割り」が駆けつけ3杯はイケることでしょう。
 そう、アーバンが「知る人ぞ知るスナック」とされる理由のひとつには、常連さんをはじめ、飲みにくる方々の面子の濃さが挙げられます。乱暴に言ってしまえば「カルチャー版文壇バー」といった趣で、編集者、デザイナー、マンガ家、ミュージシャン、タレント、お笑い芸人、アパレル関係の方々と、その顔ぶれはさまざまで、ときには驚くほど豪華な酔客に遭遇することもあります。
 では、アーバンがいろいろな人を惹きつけている、その理由とはなんでしょう?

 これは私見ですが、レストランやバーを「シェフ(バーテン)が作り上げる舞台」とするなら、スナックは「ママの部屋」みたいなものではないかと思うのです。レストランという舞台を観に行く時、人は観客に徹することができます。しかし誰かの部屋に遊びに行く時、人は客であると同時に、その部屋の空気を作り上げるプレイヤーにもなるわけです。ママの「好み」、もっと言えば「人となり」があらわれた「部屋(店)」という箱庭で、私たちは夜ごと楽しく遊んでいる。そして「遊びたい」と思える箱庭を作るママの手腕があるからこそ、面白い遊び方をする人がこの場所には集まってくるのです。
 ところでさっきから部屋扱いをしていますけど、ママはきちんと着物を着ていらっしゃるし、アーバンギャル(永遠の20歳)たちも、みんな素晴らしく魅力的な子ばかり。リラックスできるというのは、だらけているとか、妙に慣れ慣れしくしたりとか、そういうことではなく、なんともちょうどいい塩梅がそこにあるということなのです。スナックで飲む醍醐味とは、「ママの部屋に遊びに行く」くらいの適度なリラックス感と、「お邪魔する」というほんの少しの緊張感の、バランスの妙を楽しむことなのかもしれません。

気持ちよく飲んでいたら、突然ビルの火災警報が誤作動! こんなときも怒り出すお客さんなんて、ひとりもいません。それもこれも、ママの人望あってのこと。

 さて、ここで私の思い出話で恐縮なのですが、「スナック=部屋」と結びつけてしまうのには理由があります。10年と少し前のある時期、アーバンのママがまだ「ママ」ではなかった頃、私はひと駅ぶんだけ離れた彼女の部屋をほぼ毎週末訪れていたのでした。
「やまや」で買った紙箱ワインとコンビニで買った500mlビール缶。明日になったら忘れてしまうような駄話。『子連れ狼』や『ギャンブルレーサー』なんかの、ダラ読みできる漫画。何をするわけでもないのに、ただそこにいるだけで楽しくて、結局はいつも、「そろそろ眠いから帰って~」と彼女に言われる深夜2時ぐらいまでは居座っていたのでした。
 私の部屋へと続く水道道路を歩いている間、楽しかったぶんだけひとりの帰り道はやたらと寂しく、切なげな音楽ばかりを聴いていたものでした(「飲酒性センチメンタル症候群」とでも言いましょうか)。楽しかった余韻よりも、「いつまでもこんな日が続くわけではないんだろうな」という、居心地のいい場所を失うことへの不安だとか、ただただ無為で楽しいだけの時間を過ごしている後ろめたさ(でも、それって誰に対してだったのでしょうね?)だとか、そんなことばかりを考えていたのです。

 時は流れ、今は私も彼女も別の街に住んでいますし、当然あの部屋を訪れることもなくなりました。その代わり、今は「アーバン」という名の彼女の部屋があり、そこに行けばいつでも、10年前と同じように、明日にはきれいさっぱり忘れてしまっている話で死ぬほど笑って、飲んで、音楽を聴いて(スナックのお客さんの歌声って、なんというか本当に「聴かせる」んですよ)いるわけです。
 あの頃の「部屋」と、素敵で愉快な常連さんたちに支えられているアーバンを比べるのは申し訳ないとは思いつつ、彼女の個性が作り上げる空間が昔も今も変わらずあって、そしていつでも訪れられるという事実が、私にとってはどうしたって地続きなのです。
 そうして、10年たったらいろんなものを失うと、あんなに不安だったくせに、結局は何ひとつ失ってなんかいなかったんだと、酔った頭で気づくのでした。

 たぶん10年後も、同じように無為で楽しい時間を過ごしているだろうと思えることが、今、とても幸せだと思う。とはいえ、これはスナックアーバンに限らず、「心の一軒」を持っている人ならみんなが思うことなのかもしれませんけれどね。

※「スナックアーバン」は飲みにくるすべての方が楽しい時間を過ごせるようにと、基本的にママやホステスのお知り合い、ご紹介の方のみの会員制となっています。

SIDE ORDERS :
・都築響一『天国は水割りの味がする~東京スナック魅酒乱』(2010)
・レイ・オルデンバーグ
 『サードプレイス─コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』(2013)
・ラブクライ『Bye Bye Blues』(1999)
・雨宮まみ『東京を生きる』(2015)
・『TOKYO音カフェ紀行(玄光社MOOK TOKYO INTELLIGENT TRIP 5)』(2013)

田尻彩子Ayako Tajiri
1976年東京生まれ。編集者。出版社勤務時代は音楽書、デザイン書、料理書などを制作。現在は編集プロダクション「モッシュブックス」にて書籍・雑誌・フリーペーパー・ウェブなど、よろず編集作業を請負中。編集を担当した書籍に『TOKYO図書館紀行』をはじめとした「TOKYO INTELLIGENT TRIP」シリーズ、『東京 無敵の名酒場』『東京 無敵のビールめぐり』(まのとのま著)、『Pitti PEOPLE』(谷本ヨーコ著)など。(写真:細川葉子)

前の記事
この狂おしき世界の懐。
呑むための、書くための
──桜井鈴茂
次の記事
すべての「酒〈呑〉み」のために
(立石クローリング編)──須永辰緒