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SIDE ORDERS〜サイドオーダーズ

グラスを傾けつつ嗜みたい、酒香るエッセイにして、ヒトとヒトサラ流のカルチャー・ガイド。ミュージシャンや小説家、BARの店主や映画人。街の粋人たちに「読むヒトサラ」をお願いしました。

サイドオーダーズ34 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB / 2017.3.31 ひとりで呑む読む。酒呑みのための読書案内

 ひとり旅にひとり酒。ひとり寿司にひとり焼肉。映画はミニシアターでのひとりに限るという人もいれば、ひとり、エレクトリカルパレードについていくという猛者もいる。近年やたらと耳にするようになった気がする「ひとり」という言葉であるが、こと読書に限っていえば、いつもいつでもひとりである。
 また、酒呑みにとってのそれは、平日の晩酌や、友人や恋人に手を振った後のBARカウンターにおいて、控えめながらも饒舌な伴侶となる。
 丸い染みが刻まれたブックカバー。ビールの霜にたわんだ右ページ。読み終わってしまうのが惜しくて寂しくて、わざわざ店を変えるほどの筆致……。
 というわけで、今回のSIDE ORDERSは読書案内。酒や食に携わる編集者に集まってもらい、「ひとり酒で呑み、読む」をテーマに、小さな鼎談(ブックポーカー)を開催してみた。
 メンバーは編集プロダクション「MOSH books」にて酒場を始めとしたガイド本や料理本などを手がける手がける田尻彩子さん、うっかり書店で手に取るとまっすぐ家に帰れない酒欲活性誌『酒場人』の監修や自身のミニコミ『大衆酒場ベスト1000』で知られるパリッコさん、そして進行役は本サイトの不肖・江森丈晃。カウンターの空気を読むのも活字で呑むのもほぼ日課、という3人でお送りいたします。

江森 今日はお集まりいただきありがとうございます。このコーナーって、「ヒトとヒトサラ流のカルチャー・ガイド」などと銘打っておいて、結局は他力本願。なんにもガイドしないというのもどうなんだというのもあって、こんな会を設けてみました。

田尻 よろしくお願いします。「ひとり酒」と「本」の組み合わせは、延々と考え続けられるテーマですよね。うまくマッチするとひとりでもグダグダになるまで飲んでしまう。

パリ 日々の仕事に追われていたり、つきあいの酒が続くと、実行すらできない、ある意味贅沢な飲み方だと思います。

手塚治虫『シュマリ』(講談社)

江森 よろしくお願いします。じゃあ、まずは1冊目。そもそも人に本を紹介するのって、自分の裸を見せるようなものだと思うので、まずはハードルを思い切り下げてみます。いきなり漫画です。『シュマリ』です。これは手塚治虫が「虫プロ」を倒産させた翌年……だから『ブラックジャック』と同時期の作品で、アイヌ人が明治政府にこてんぱんにやられる話。ここでの恋愛関係というのが相当にビターで、奥さんを大富豪に奪われた主人公のシュマリが、自分を慕う「奥さんにそっくりな女」と暮らしながらも、やっぱり本物が好き! しっかり子どももこさえてるのに、やっぱり本物が好き! というヒドい話で……。

田尻 手塚治虫の劇画サイドの中でも、ちょっと渋い作品ですよね。シュマリの「欲に忠実なダークヒーロー」な感じは、確かに大人になって読み返した方がしっくりきそうです。

江森 きちんと泣けますしね。で、これがなぜ酒に合うかといえば、まず4巻完結という手軽さと、その4巻の終盤に登場する、あるシーンというのが、最高にウイスキー向けなんです。いろいろあって奥さんは死んじゃうんですが、その弔合戦の最中、死ぬ前の本物の奥さんを抱きまくったある男といっしょに「サシ呑み」するんですね。しかも斬りたてホヤホヤの死体に囲まれながら(笑)。シュマリは田舎もん、というか限りなく野生に近い男なので、それまではどぶろくばかり飲んでいたんだけど、相手の男が戸棚から洋酒を出してくる。もう、煮えたぎる嫉妬と新鮮な血の匂いを嗅ぎながら洋酒童貞を切る気持ち、その味というのを想像すると、どんなモルトも敵わないな、と。

田尻 洋酒と鮮血のマリアージュ! なんだか想像するだけでクラクラきますね……。

江森 あんまりこういう読み方をしている人はいないと思うけど、母乳のかわりにどぶろくで育てられた酒豪の子どもなんかも出てきて、これは本当にハードリカーフレンドリーな作品なんです。

南條竹則『満漢全席―中華料理小説集』(集英社文庫)

田尻 わたしの1冊目は南條竹則さんの『満漢全席―中華料理小説集』にします。表題作の主人公、南蝶(なんでふ)先生は、翻訳も手がける英文学者なんですが、無類の中華料理好き。三日三晩続くという本場の「満漢全席」をやるための費用を稼ぐために某小説賞に応募して……という筋はあるのですが、とにかくずーっと飲んで、食べてる。この食べたり飲んだりしながら未来の宴席の相談をするという、酒飲みの、なんというか「意地汚さ」というか、「業」というか、そういうのが全編に漂っていて、酒を飲みながら読むのになんともいい塩梅なんです。ここに合わせるのであれば当然紹興酒がベストですが、ひとり立ち飲みでチューハイなんかを飲みながらでも、ついニヤニヤしながら読んじゃいます。カバーは何度も酒をこぼしてボロボロなので、本体のみですみません!

色川孝子『宿六・色川武大』(文藝春秋)

江森 (笑)あとでカバーの写真を撮ってもらいます。「ずーっと食べてる」といえば、色川孝子の『宿六・色川武大』ですね。満漢全席に比べるとだいぶ家庭的ですが、これは『麻雀放浪記』や『狂人日記』を書いた作家、色川武大のゴミ屋敷で、1日6食という大量の食事をつくり続けた奥さんが書いたもの。色川武大の食欲は「ナルコレプシー」という病気のためなんですけど、カレーとごはんのバランスが合わずに延々どちらかを注ぎ足し続けるエピソードなんかは有名ですよね。八百屋の「金時」を気に入って、「他人に食べられることを想像すると腹が立つ」などと言っては台所の床をさつまいもだらけにしたり。こういう生活が、病院での心臓破裂という壮絶な死まで続く。まさに「業」のカタマリが飛び火してくるような、夫婦悲喜劇の傑作ですね。……って、自分のはどうしても男臭いものばかりになっちゃうな。パリッコさん、いかがでしょう?

小泉武夫『つい披露したくなる酒と肴の話』(小学館文庫)

パリ 僕はさらに男臭い本しか用意していません(笑)。酒の「業」ということでは、発酵学者・小泉武夫さんの『つい披露したくなる酒と肴の話』ですね。小泉先生は大変博識で、なにを読んでも「こんな文化があったのか!」と驚かされるんですが、この本に、日本古来の「酒合戦」というものが紹介されているんです。要は「大酒飲み比べ対決」のことで、古くは平安時代の宮中で行われていた御前試合だったそうで。

江森 パリッコさん、途中で絶対に寝ちゃいますね。

パリ 参加するならシード権が欲しいです(笑)。で、この「酒合戦」、1646年に茨木春朔が書いた『水鳥記』に、川崎の大師河原「川崎酒合戦」の記録が残っていまして、当時の名だたる酒豪が東西にわかれて飲酒量を競ったそうなんです。東軍の大将は茨木春朔本人なんですが、そこでは自分のことを「地黄坊樽次(じおうぼうたるつぐ)」と名乗っているんですね(笑)。以下16名のメンバーも、毛蔵坊鉢呑(けぞうぼうはちのみ)、鈴木半兵衛呑勝(すずきはんべいのみかつ)、木下杢兵衛飯嫌(きのしたもくべえめしぎらい)とか、完全に悪ノリなんです(笑)。俳号ならぬ「酒号」とでも言いますか。参加者はそれぞれ血を吐くまで飲んでぶっ倒れて、最終的に東軍が勝ち、「竜の蒔絵の大杯」を飲みとっていますね。

田尻 「飲みとって」って!

パリ そんな言葉は聞いたことがない(笑)! 今も昔も、酒飲みってバカだなぁと思えてうれしくなってしまいます。

江森 (笑)確かに男臭い! 田尻さん、もう少し女性らしく返しましょうか。

西川治『マスタードをお取りねがえますか。』(河出文庫)

田尻 じゃあ2冊目は西川治さんの『マスタードをお取りねがえますか。』にしようかな。これは写真家・画家としても活躍する西川さんが、世界中で見てきた印象的な食と酒の風景を描いたエッセイなんですが、たんぽぽのお酒の黄色、船の上で茹でて食べるエビの赤、カラフルな花びらのサンドイッチとか、読んでいると風景といっしょに鮮やかな色彩がばーっと頭に広がってくる文章なんです。エッセイなのにどこか幻想的な雰囲気があるのも、酔い心地をいい感じで増してくれます。ワインも合うし、フィッシュ・アンド・チップスの話もあるので、パブなんかで読むのもいいんですが、家でひとり安酒をくらっているときに、しょっぱい現実を忘れるにもぴったりなんですよ、これが。

ジム・クレイス『食糧棚』(白水社)

江森 途中までは女性らしかったのに(笑)……現実からの逃避ということでは、逆サイドへの逃避、つまりはまったく食欲をそそられない本というのもいいですよ。僕の3冊目はジム・クレイスの『食糧棚』。この人は『死んでいる』という作品が大好きで、それは海辺でアオカンしている最中に撲殺された動物学者の夫婦が虫とかカニに食われていく様子をジワジワ描写しながら、なぜか読み口は爽やかで、死生観までもがちょっと変わった気になるというすごい作品なんですが、これは「食」に焦点を絞って書かれた短編集。ただ、やっぱり作者が作者なので、ひとつも美味しそうな皿というのは出てこない。たとえば「気」を売るレストラン。今の言葉でいうところの「意識高い系」を相手に空のグラスや皿を並べて大繁盛するのに、そこはテイクアウトを始めて潰れるんです(笑)。ほかにも「海に還ってゆく塩漬けのタラ」のエピソードなんかはすごくよくて、たまに読み返してますね。

パリ 食欲をそそられない本で飲むって……。僕はつい旨そうな酒やつまみが出てくる本をチョイスしてしまうんですが、確かに『食料棚』を読みながら飲むのは、新しい世界が開けそう(笑)。

森茉莉『貧乏サヴァラン』(ちくま文庫)

江森 でも、「気」とか「タラ」なんかはずいぶんマシなほうです。メインは発酵食費の艶かしさであったり、鼻先に感じる腐臭みたいなものなので、減量中の人にもおすすめかな、と。そのぶん最後の1編に出てくるパスタはちょっと幸せな光景です。森茉莉の『貧乏サヴァラン』に、「私が背中に飛びつくと、父は灰の厚く積もった葉巻の手をそっと動かさずに 左の手で私を膝の上に乗せ、それから葉巻を灰皿の上においた。私の背中を軽く叩いたり、膝の上で私を揺する用意である。」というキラーフレーズが登場しますけど、それの母バージョンみたいな趣もありますね。といってもこれもまた、唾液にまみれた口移しの話なんですが……。

田尻 ジム・クレイスと森茉莉を比較する発想はなかった……! これはちょっと再読してみないと。

江森 ひとりの時間とアルコールがあれば比較し放題、つなげ放題。……でも、ちょっと今回のセレクトは偏りすぎてるかもなぁ。

太田和彦『ニッポン居酒屋放浪記 望郷篇』(新潮文庫)

パリ じゃあ、次は僕の超王道をいってみますね。大定番は太田和彦先生の『ニッポン居酒屋放浪記』シリーズです。太田先生といえば、いわずと知れた日本の居酒屋研究の第一人者で、その肩書や佇まいから「難しい人」と思っている方もいるかもしれませんが、まったくそんなことはない! もちろん自分なりの確固たる美学を持たれていて、すばらしい居酒屋を描写した、流れるような文体にうっとりする。

江森 さすがは資生堂を支えた天才(編注:太田和彦はの本業はグラフィック・デザイナー。資生堂宣伝制作室に勤務していた)

パリ 本当に上品……というか、大人の余裕があるんですよね。かと思えば、お店をハズして負け惜しみを言ったり、若い編集者に言いくるめられて黙ってしまったりもする(笑)。大変失礼ながら、酒飲みとしてのかっこよさとあわせて、かわいさもすごく感じられるんです。基本的にはこの本って、日本全国の都市へ行って、昼間は街歩きをして、繁華街で当たりをつけておいて、夜は気ままにその土地の酒場をハシゴするという紀行文なので、いつどこから読み始めてもいいというのも推薦の理由です。たとえば僕が「今夜は沖縄気分だな」と思ったら、「望郷篇」を片手に沖縄料理屋に行く。そこで「那覇、午前三時のTボーンステーキ」の項を読めば、気軽にトリップできるわけです。

江森 「本」からは脱線しますが、太田和彦さんはDVDもいいんですよね。スカパーの『ニッポン居酒屋紀行』で放送されていた東北の某炉端焼き店の回って観ましたか? ハンディカメラを自分たちに向けて固定したままひたすらに飲んでるんですけど、店が暗いもんだから、闇の中をグラスの光が動いているだけの衝撃映像になってる(笑)。昔、電気グルーヴが「オールナイトニッポン」でゲームのレビューをしていて、延々と「やった!」とか「撃て撃て!」みたいな音声だけが流れていたことがあるんですけど、それと同じぐらいの超常世界。あそこまで暗いと本すら読めません(笑)。

GAZETTE4『ひとり―ALTOGETHER ALONE』(アスペクト)

田尻 「暗い」といえば、わたしはひとり飲みのときに「よーし、今日は徹底的に孤独感を味わうぞ!」みたいな、「暗い気合」を入れて飲むのがけっこう好きなんです(笑)。そんなときにぴったりすぎるのが、タイトルもそのものずばりな『ひとり―ALTOGETHER ALONE』。「SWEET/MILD/BITTER」という3つの「ひとり」にぴったりな音楽を、ライターやイラストレーターなどさまざまな方が挙げているディスクガイドです。「上質な夜の孤独感」が心ゆくまで満喫できます。子どもの頃に背伸びして聴いていたTOKYO FMの『ジェットストリーム』のような雰囲気もあって……

江森 もちろんナレーションは……

田尻 城達也さんで! この本はカバーもいいんですよね。古川タクさんのイラストからしてもう最高で、個人的なベスト「孤独酒本」です!

 

江森 いいディスクガイドって、300ワードぐらいの短いエッセイがまとまったような趣もあるので、ひとり酒のペースにはぴったりかもしれない。帰りにまだレコード屋が開いていればさらにいい。……あ、パリッコさんの『新 酒場入門』はミュージシャンの方が書いた本ですよね?

小宮山雄飛/黒木ユタカ『新 酒場入門』(マイナビ出版)

パリ はい。ホフディランの小宮山雄飛さんは、音楽だけでなく、グルメの世界にもものすごく造詣が深いんですが、ついに出してくれた酒場に特化した本が『新 酒場入門』です。そもそも酒飲みって、最初は「酔えればいい」というところから、「少しでも安く、旨いものを」、そこからやがて「店やそこに集う人の味わいを愛でる」というふうに推移していくものだと思うんです。もちろん例外はありますが、僕が太田先生なんかの著作を貪るように読み出したのも、「どうやら酒場の世界って自分の知っている何倍も、何十倍も深いものらしい」と気づき始めたから。これはそんなふうに大衆酒場の世界に興味を持ち始めた若い世代にとって、最良のガイドとなりうるものだと思います。小宮山さんの深い知識というのが惜しげもなく、わかりやすい文体で披露されていますし、黒木ユタカさんが俯瞰で描く名酒場のイラストも、ポップで最高。たとえば一見にとって難易度の高い茅場町の立ち飲み「ニューカヤバ」も、どこに何があって、どういうシステムで、このように動いていけば失敗がない、と丁寧に解説してくれているんですね。はっきり言って、ちょっとズルいとすら感じる(笑)。

江森 でも、これは酒場で読む本というより、自宅での予習用でしょうね。もしカウンターでこれを読んでいたら……

パリ 初めてきたのがバレバレ(笑)。

江森 そもそも最初からここまで丁寧にガイドされたら、初めて入る酒場での楽しいこと、たとえば不慮の事故や理不尽な説教には遭いにくくなっちゃうかもしれない。僕らとしては、平和な戦地に出向いてピカピカの銃身のまま帰還するのは少し味気ないですよね。ひとつぐらいはかっこいい銃痕が欲しい。

パリ (笑)僕のときはこんな親切な本なかったんですけど! って。でも、酒離れが進んでいると言われる若い世代の関心を惹くという点では、このぐらい親切な本があってもいいと思うんです。もちろん熟練の酒飲みには資料的な本としても価値がありますし、すばらしく充実した内容だと思いますね。

田尻 実はこれ、弊社「酒部長」の女子が編集した力作なんです。黒木さんの妹尾河童的なイラストは、もう「見る酒の肴」ですね。何百回も行っているはずのお店ですら、「こうなってたのか!」って改めてワクワクします。

江森 たぶん、僕らはお酒の楽しみに対して麻痺してるんですよ。すでに怖いものがなくなってしまったことに一抹の寂しさを感じたりしませんか? 平均的な赤提灯なんかに当たったりすると、あぁ、ここはこのパターンか、みたいに冷めてしまって、逆に仕事のことばかりを考えてしまったり。

田尻 ひとり酒って、べつにしなくてもいいことですよね。誰かと深くコミュニケーションを取るわけでもなく、酔っているから大した考えごとができるわけでもなく。でも、だからこそ自分をチューニングするような、すごく贅沢な時間だとも思っていて。

江森 それが理想です。そこでの贅沢のひとつに本があるわけですしね。

堀江敏幸『河岸忘日抄』(新潮文庫)

田尻 はい。そんな時間を自ら肯定したいときに手が伸びる本というのがあるんですよ。堀江敏幸さんの『河岸忘日抄』。これは日本での仕事に疲れた主人公の「彼」が、知己の老人のはからいでフランス・セーヌ河岸に繋留された船を住まいに暮らすことになるんですが、そこですることといえば、レコードを聴くか、たまたま船内にあったチェーホフなんかを再読するか、郵便配達人にコーヒーを振る舞うか、老人のお見舞いに行くかという、なんとも羨ましい話で。

江森 チューニングし放題。人間、鏡なんかを見ているうちは自分が見えないところがありますからね。「自分探し」に時間をかけて見つかった自分なんて自分じゃない(笑)。……うん、こういったほろ苦い文章というのは酒にぴったりです。

田尻 そうなんです。彼の思考は、階段の「踊り場」にいるようなこの状況を「ためらい続けることの、なんという贅沢。逡巡につきまとう受け身のエロスのなんという高貴」と表現していて、これが、「ひとりで酒を飲んでる時間も無意味じゃない!」という変にポジティブな気持ちを引き出してくれるんです。絶対読み間違えていると思いますが(笑)。ひとつひとつの事柄の描写の緻密さが、ただの「夢物語」に終わらせないずっしりとしたリアリティを持っていて、何度読んでも飽きません。というわけで、こちらもボロボロです……。

椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ(上)』(新潮文庫)

パリ 船で暮らす老後というのもちょっと実現できなそうですが、僕の人生の大きな後悔のひとつには、「若さならではの共同生活を経験できなかったこと」というのがあるんです。椎名誠さんの『哀愁の町に霧が降るのだ』は、今日のもっともむさくるしい本であるのと同時に、最高にロマンティックな本でもありますね。これは、椎名さんやイラストレーターの沢野ひとしさんら数人の男たちが、10代~20代にかけての3年間、小岩にある日の当たらない六畳一間のアパートで共同生活をしていた際の記録なんです。もちろん全員が貧乏で、喧嘩沙汰も日常茶飯事。常に鬱屈としていて、そしてやたらめったら酒を飲む。総菜屋で買ってきた35円のトンカツ、2枚20円のソーセージの三角フライ、3個10円のポテトフライをテーブルに並べて、「今日は贅沢だよなあ」「ま、お祝いだからな」みたいな話をしながら飲む。「水で冷やしただけの生ぬるいビール」を飲む。その羨ましさといったら! さらにそのシーンでポイントなのが、「しかもキャベツとソースどっさり」という描写。あ~、今すぐソース・キャベツをつまみに飲みたい!

江森 (笑)部屋に戻ればすぐ真似できますけど、決してそれは椎名さんの味ではないというところもロマンティックです。そういえば、美術家の会田誠さんは『カリコリせんとや生まれけむ』の中で、薄暗い台所で立ったまま食べる切り餅のことを書いていましたね。あれも会田さんのヒゲ面の口元というのがはっきりと浮かぶ名文で、すばらしかった。食の本ではないですが、なんだか思い出してしまいました。

高山なおみ『帰ってからお腹がすいてもいいようにと思ったのだ』(ロッキング・オン)

田尻 台所の光景が浮かぶ本はいい本です。じゃあわたしは料理家の高山なおみさんのエッセイ『帰ってからお腹がすいてもいいようにと思ったのだ』を推します。料理本だけでなくエッセイもたくさん出版されている高山さんですが、中でもこの本はとくに内向的・内省的な内容なんです。まだ彼女自身の進むべき道が今ほど定まっていない頃、ということもあるのでしょうけど、お酒を飲みながらだと言葉がいちいち刺さりまくるんです。ひとり暮らしを始めたばかりの高山さんが、狭い台所でチキンカレーをつくってひとりで食べて、猛烈な寂しさに襲われたときのことを、「自分で自分にご飯を食べさせるということは、自分の意地汚さをはっきりと目の前に見てしまうということだ」と書いているんですが、わたしはこの、「食べること/飲むこと」は素敵なだけではなく、本来汚く罪深いものなんだという視点を持っている人が好きなんだ、とはっきり自覚したのがこの文章です。「なんて自分はダメなんだ!」と落ち込むギリギリの感情を抱きながら飲むという意味で、若干M度の高いひとり酒本かもしれません。

澤口知之/リリー・フランキー『架空の料理 空想の食卓』(扶桑社)

江森 そういう「気づき」って、酒を飲んでるときほど深く刺さりますよね。『架空の料理 空想の食卓』は、六本木の「アモーレ」でフルスウィングのイタリアンを出している料理人の澤口知之さんと作家のリリー・フランキーさんが、『料理王国』でやっていた連載をまとめた本で、本編は「下戸の女性を酔わせる料理」「獄中の友に差し入れする料理」「不死の料理」みたいなリリーさんのエッセイをお題に、実際の料理の写真を挿したものなんですけど、巻末の特別対談に、辛辣な「気づき」が待っていて、これが本当に刺さるんです。ちょっと読み上げてみますね。「今日、何を食べてどう美味しかったって原稿を書いたことがないのは、人のそういう原稿を読んでもおもしろかったことがなかったから」「他人の恋愛話を聞いてもおもしろくないのといっしょだから。失恋の話でさえも自慢話に聞こえる」……これはまさに自分が思っていることがそのまま活字となって浮き上がってきたような内容で、しばらく本を閉じましたね。

パリ うわぁ、刺さる! まさにその通りなんですが、こういう仕事をしていながらも、油断するとついやってしまうことですよね。

江森 文章も料理もプロ中のプロだから説得力がある。でも、パリッコさんは反省することないですよ。身を削って書いた体験ベースのものがほとんどですし、お店への敬意も感じるし、なにより本人の上昇志向がゼロなのがいい(笑)。あれこそは「紀行文」でしょう。

パリッコ『酒場人』(オークラ出版)

田尻 パリッコさんが監修している『酒場人』も、あえてふつうのお店紹介からは外れて、人と人とのハプニングを求めていくところにおもしろさがありますよね。ほら! これはパリッコさんが(写真に)写らないと!

パリ なんでもやります(笑)……ただ、だからこそ『酒場人』はタイトルに「人」とつけて、いつも自分を戒めながらつくっているところがありますね。

江森 思えば「ヒトトヒトサラ」っていうのもそういうことなんですよね。「旨い」や「美味しい」を読んでもらうためには、やっぱりそれをつくる「人」を絡めていかないと成立しないような気がしていて。僕なんて、このサイトの仕事がきたときにまっさきに読み返したのが、スタッズ・ターケルの『仕事!』ですから。エレベーターの荷物係やクレーン車の運転手、大学教授や売春婦などにコツコツ話を訊いて、雑談や愚痴もそのままに掲載した、「市井の人」へのインタビュー集。重いから持ってこなかったけど。

田尻 「こういう店をつくるのはこういう人」という思い込みから外れた、もっと個人的で些細なこと、類型化できないことこそが、ほかにはない魅力になるのかもしれません。

江森 ひとりで飲んでいても、酒場の厨房の中にはパラレルな人生があったり、向かいのおじさんには少なからずドラマがあったり、脚色されることのない「隣の人生」にこそ、旨味があるのかな。そういう意味では「ひとり飲み」って、「口をきかない他人と飲む」ことだと言い換えてもいい。シルエット的に「ひとり」というだけで、頭の中は「もうひとり」や「ふたり」の相手で忙しかったりしますしね。……あ、そろそろ時間ですね。田尻さん、最後にもう1冊いきましょうか。

雨宮まみ『まじめに生きるって損ですか?』(ポット出版)

田尻 じゃあ、ここ10分の話の流れを受けて、雨宮まみさんの『まじめに生きるって損ですか?』にしてみます。恋愛や容姿の悩みから、借金苦まで、さまざまなタイプの「愚痴」に、著者の雨宮さんがスナックのママ的に飲み物を出しながら答えてくれる本です。数多ある「お悩み本」との違いは、決してその人が陥っている「愚痴らずにはいられない現状」を否定しないこと。その人が感じている苦しさを丁寧な手つきでほどいてみせながら、「大変だったね」と言ってくれる優しさに溢れていて、「今すぐこの店で飲ませてくれ!」という気持ちになります。ものすごく当たり前のことですけど、自分と立場の違う人や、苦手だなと感じる人にも、そうなる理由や生き辛さがある。そういう事実に鈍感になっていることに気づいて、「明日からはもう少し優しい人間になれるかもしれない!」と素直に思えてくるんです。とくに酔った頭だと(笑)。この本は「ひとり酒」でも「ひとりじゃない」と感じさせてくれる、友だちと話しているような気持ちになれる1冊ですね。

江森 わ、なんだかすごくきれいに締まった気がします。

パリ 確かに、本の中にはいつでもそれを書いた「人」と「時間」がそのまま閉じ込められていて、ページを開けばいつでも会うことができる……って、すいません、田尻さんに負けまいとして、きれいにまとめようとしすぎました(笑)。

江森 大丈夫です! 全然きれいじゃない。きれいじゃないけど……

田尻 本当に味のある銘店ですよ(笑)。

(撮影協力:中目黒「銀紋」)

SIDE ORDERS :
・手塚治虫『シュマリ』(1990)
・南條竹則『満漢全席―中華料理小説集』(1998)
・色川孝子『宿六・色川武大』(1990)
・小泉武夫『つい披露したくなる酒と肴の話』(1998)
・西川治『マスタードをお取りねがえますか。』(2014)
・ジム・クレイス『食糧棚』(2002)
・森茉莉『貧乏サヴァラン』(1998)
・太田和彦『ニッポン居酒屋放浪記 望郷篇』(2001)
・GAZETTE4『ひとり―ALTOGETHER ALONE』(1999)
・小宮山雄飛/黒木ユタカ『新 酒場入門』(2017)
・堀江敏幸『河岸忘日抄』(2008)
・椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ(上)』(1991)
・高山なおみ『帰ってからお腹がすいてもいいようにと思ったのだ』(2001)
・澤口知之/リリー・フランキー『架空の料理 空想の食卓』(2009)
・パリッコ『酒場人 vol.3』(2017)
・雨宮まみ『まじめに生きるって損ですか?』(2016)

田尻彩子Ayako Tajiri
1976年東京生まれ。編集者。出版社勤務時代は音楽書、デザイン書、料理書などを制作。現在は編集プロダクション「モッシュブックス」にて書籍・雑誌・フリーペーパー・ウェブなど、よろず編集作業を請負中。編集を担当した書籍に『TOKYO図書館紀行』をはじめとした「TOKYO INTELLIGENT TRIP」シリーズ、『東京 無敵の名酒場』『東京 無敵のビールめぐり』(まのとのま著)、『Pitti PEOPLE』(谷本ヨーコ著)など。(写真:細川葉子)

パリッコParicco
1978年7月22日生まれ。東京都練馬区出身。DJ・トラックメイカー/漫画家・イラストレーター/酒場ライター。ポータルサイト「ピコピコカルチャージャパン」の連載「大衆酒場ベスト1000」を始め、さまざまなメディアで居酒屋、酒に関する原稿を執筆中。「酒場」と「人」にスポットを当てた酒カルチャー雑誌『酒場人』の監修も務める。www.lbt-web.com/paricco

江森丈晃Takeaki Emori
1972年東京生まれ。グラフィック・デザイナー/フォトグラファー/ライター/エディター(順不同・日替わり)。出版社数社での見習い時代を経て、98年、デザイン事務所=tone twilightをスタート。CDジャケットのデザインや音楽書籍の装丁/編集を中心に手がけ現在に至る。近年の仕事は、こだま『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)の装丁、江森丈晃『死んだらJ-POPが困る人、CDジャケットデザイナー 木村 豊』(エムディエヌコーポレーション)の制作。好物は飲料水。

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