Copyright (C) ASAHI GROUP HOLDINGS, LTD. All rights reserved.

SIDE ORDERS〜サイドオーダーズ

グラスを傾けつつ嗜みたい、酒香るエッセイにして、ヒトとヒトサラ流のカルチャー・ガイド。ミュージシャンや小説家、BARの店主や映画人。街の粋人たちに「読むヒトサラ」をお願いしました。

サイドオーダーズ36 / TEXT:江森丈晃 / 2017.5.31 あと1歩が踏み出せない

 ヒトトヒトサラ編集長兼雑務全般の江森丈晃です。
 えー、これまでご愛読をありがとうございました。
 突然ですが「ヒトトヒトサラ」は今月が最終回です。

 思えばこれまで「アサヒのサイトなのにスーパードライが写っていない!」「やけに日本酒ばかり呑んでいる!」など、企業のサイトとしてはさまざまなおかしなことが続きましたが、それもこれも「期間限定の嗜好品研究」という旗の下。ひょんなきっかけからこのお仕事をいただいてからの丸3年間、とても貴重な体験をさせていただきました。予算を使い切るならここぞとばかりに、盛岡や小樽にも遠征させてもらいました。今後はそれらの成果を書籍化したいという担当者の野望は聞こえているものの、サイトは今月で更新を終わります。
 繰り返しになりますが、これまでご愛読をありがとうございました。

 さて、「最後は自分が書きますよ」とはいったものの、あまり書くことがありません。
 実のところ、自分には酒や嗜好品に対しての特別なこだわりというのがない、というのがその理由です。
 しかしそれは、「年間365日が行きつけの安酒場でいい」というわけではありません。むしろ、それとは正反対の嗜好をベースにお酒を飲み続けているからであり、同時に、人というのは根っからの「気分屋」であるということをわかっているからでもあります。

 僕は「立ち食い蕎麦マニア」であれ「センベロ専門」であれ「モルトの伝道師」であれ、酒飲みというものは、ある「枠」に自分を収めてしまうとどこかで無理が出るということを知っています。
 それは、「わたしの血はワインでできています」「酒なんざぁ酔っぱらえればどれもいっしょよ(という自称無頼派)」「シュークリームの星からきたの」などと、自分のスタイルやキャラクターを成型しつつ維持しようとする人が、おしなべて不幸に映るのといっしょです。
 酒の席の楽しさを知る人であれば、悪友の暴挙を気にしながら場末のスナックでハラハラしたい日もあれば、ゆったりと個室フレンチや京懐石を楽しみたい日もあるというのが至極当然であり、ニュートラル。
 大人には、「日によるから」といういい言葉があるのです。

 またそれは、熟知からくる安住の地(=「すでに知っていること」に対しての貧素なバリエーション)から、1歩でもいいからアウトしていきたいという、ニュー・フロンティアへの憧れのことでもあります。

 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を思い出してみましょう。過去に戻った主人公マーティの気持ちを呼び寄せてみましょう。
 彼が切にジェニファーとの再会を望んでいたとはいえ、デロリアンごと黒焦げになるリスクを背負ってまで、「すでに知っている未来に戻りたい」というのはどうしても解せません。
 それなら未来を知る異人のまま、過去から新しい歴史を切り開いていったほうがいいとは思いませんか? たとえ宇宙をぶっ壊したとしても、ヴァン・ヘイレンの黒幕として暗躍したほうがいいとは思いませんか?(そもそもあの夜、もしデロリアンが大破したら、愛するドクは「戸籍のない若者をモルモットにした重犯罪者」として電気椅子です)
「まだ知らない」という宝石と、「すでに知っている」という黄金を自在に操りながら、「西暦だけは過去の未来」を優雅に漂う。自分には、どう考えてもそのほうが魅力的に思えるのです。

 とはいえあれは映画です。フィクションです。そんなことは叶いません。
 であれば、日々の仕事や雑務から解放された酒の席ぐらいは自由に気ままに、どんな「枠」にも縛られずに動きたい。「行きつけの店」という名のルーティーンや、いつも同じことしか話さない常連たちとのしがらみ、なにより「自分はこうである」という、他人からすれば本当にどうでもいい決め事などは極力排除し、まだ見ぬ世界へと飲み抜けたいと思うのです。

 そんな自分がここに書けるのは、酒宴の流儀や嗜好品への偏愛ではなく、やはり事実や経験のみ。
 今回もひとつ、お酒にまつわるある体験談を綴りたいと思います。

︎* * *

 僕には娘がいます。彼女がまだ、自分の骨盤ほどの背丈だった頃、「ひとまずピアノをやらせたい」という妻に、「音楽に〈ひとまず〉などという言葉はない! つぶしが効くのはドラム! リズム感を鍛えることこそがマルチプレイヤーへの近道!」などと熱弁してみせた自分があっさりと大敗。近所のピアノ教室に通わせることになりました。
 その教室は、あるベッドタウンの駅の外れにあり、当時から在宅勤務であった自分が娘の送り迎えをすることになりました。

(☆)ある日のことです。娘の手を引き教室への坂道を歩いていると、左前方5メートルのあたりに、20センチほどの赤黒い水たまりがあるのを見つけました。僕はそこに近づくにつれ、それが大きな「血だまり」であることを予感。右手で娘の目を覆いつつも、気づけばそれが蒸発するほどに凝視していました。
 顎が鎖骨にめりこむほどに首を曲げながら、なるべくゆっくりと通りすぎることで、予感は確信に変わりました。やはり人間の血液に間違いがありません。なにせ自分の最古の記憶は、マンホールの溝に沿い植物の成長の早回し映像のように広がってゆく自分の鼻血ですから(どこか高いところから落ちた30分後ぐらいに時間差で大量に噴出したものらしい)、色、光沢、粘度のどれをとってみても、あのときの光景がフラッシュバックしてきます。(☆)

 喧嘩? 殺人? だったら7時のニュースに? などと考えていたのは数分でしょうか。元来の飽き性である自分はすぐに興味を失い、平穏な時間が戻ってきました。

 書き忘れましたが、ピアノ教室は月に4回あります。
 その1週間後のことです。娘の手を引き、件の坂道を歩いていると、左前方5メートルのあたりに、20センチほどの赤黒い水たまりがあるのを見つけました。いくら興味を失っていたとはいえ、2度目はワケが違います。娘の目を逸らすため、自分は空の彼方に人差し指を向け、そこにフラミンゴの群れを捏造することで、前回よりもじっくりと血だまりを凝視します。
 しかし何かが違います。色、光沢、粘度のどれをとってみても、鼻血はフラッシュバックしてきません。むしろ思い出すのは、20代の前半によく飲み干し、5回に1回は友人宅の便器を真っ赤に染めていた業務用(確か3000ml)の赤ワインです。ケミカル・ヴァン・ルージュです。
 アスファルトに深く染み込むことで前回よりも黒みを強くしたその赤は、明らかに「これは誰かが飲みすぎたのだな」と納得させる、いくつかの焦点を結んでいました。

 一件落着です。おそらく前回は自分が飲みすぎていたのでしょう。もしくはより重大な精神欠陥の兆候、またはミドルにいたのでしょう。
 心身ともにものすごく健康なのにおかしいなぁ……でも、隣人が発する恐ろしい言葉のランキング第1位は「俺はもう、治ってる」だしなぁ……などと考えながら、やはり興味は持続せず、また平穏な時間が戻ってきました。

 さらにその数週間後のことです。
(ここで前述☆マークの間を再読してください。新しい表現や言い回しを考えるのが面倒なのです)

 !!!!!!!!!!
 3回目(うち血液らしきものは2回目)ともなると、やはり自分の頭が狂っているとしか思えません。多少の時間を犠牲にしてでも警察に届けたほうがいいのではないかという気持ちになってきます。
 しかしピアノ教室の時間は目前に迫っています。仕事も溜まっています。結局のところ、人というのは自分のことだけが大切なのですね。僕は「対岸の火事」という言葉をうまく使えた試しがありません。しばらくすると、また平穏な時間が戻ってきました。

 さて、そこから数ヶ月経ったある日のことです。いよいよこの事件は最悪の結末を迎えます。
 自宅を出て、駅を過ぎ、件の坂道へと折れた瞬間、自分の首筋に大きな電流が走りました。

 老人がうつ伏せに倒れています!
 口からは大量の血が流れています!
 右手には赤ワインのボトルが握られています!

 ここ数ヶ月の巨大な疑問が瞬時に氷解したというアハ体験はあるものの、「ほう」などと膝を打っている余裕はありません。僕はすぐに老人の斜め向かいにあった区民センターの自動ドアを抜け、「人が倒れています!」と報告しました。娘には「人が寝ていたねー」と嘘をつきました。

 しかしセンターの係員は、あまり驚く様子を見せません。完全に肩透かしです。
 すでに誰かが通報していたのか、まもなく救急車が到着しましたが、タンカを組み立てる救護班の対応にも、覇気や危機感がありません。気持ちは初の「張り込み」にアンパンと牛乳を購入しようとパン屋に走ったものの、ブリオッシュと「ほっとレモン」しかなかったときの新米刑事のようです。

 僕は勝手に「聞き込み」を開始することにしました。
 センターの係員や、そこに集まった野次馬のおばちゃんの話を要約すると、以下のようになります。

・近くに大きな病院があり、そこに長期入院しているおじいさんがいる。
・そもそも入院したのは酒のせい。身体がいろいろと末期なのだがワインだけはやめようとしない(吐瀉物に未消化の固形物が混ざっていなかったのもそのためでしょう)
・必ずこの場所まできては倒れる。
・そのたびに救急車がくるので、みんな呆れている。(←逝くなら早く逝けばいいという表情)

 聞き込みを終えれば、次の推理の時間です。30代男性特有の、ロマン過多な憶測です。
 まずは以下の図を見てください。


 老人が倒れているのはA地点です。センターの自動ドアはガラス製で、受付のカウンターには、初老とはいえ美しい女性が働いていました(自分と話したのもこの人)。センターのカウンターから位置関係を測ってみると、ギリギリのところで血だまりは見えません。ということは、もし老人がA地点から1歩でも前へ踏み出していれば、自動ドア越しに老人と女性の視線は重なっていたことがわかります。
 そうなのです。おそらく老人はこの女性に恋をしていたのではないでしょうか。

 老人は、なんらかの理由でふられた、もしくは破局してしまったこの女性のことが忘れられず、死ぬ前にもう1度その笑顔が見たいと願いつつ、電話をかける勇気はない。距離は近いのに病院の壁は厚く、再会に焦がれる気持ちをワインで慰めているうちに、いつしかアルコールの力が身体を軽くし、熱くし、「これから会いにいけばいいではないか」「こんな姿を見せてはなるものか」「いやいやギリいけるっしょ!」と、脆弱なハートを奮い立たせます。
 ボトルを紙袋に隠し、病院の非常階段を降り、ゲートを抜け、ようやくセンターの前までくる老人。
 しかしあと1歩、あと1歩が踏み出せない。
 すでに「立ち飲み」できるほどの体力はないため、いつもその場で倒れてしまう。
 口から出るのは血液もしくはワインの2択。どちらにせよ、とても苦しく、薄れゆく意識の中心で、「できればあの人に見つけてもらいたいな」と祈る。強く祈る。

 事実、A地点には陽当たりのいいベンチがあるわけでもなく、そうとでも考えないと、わざわざそこにマーキングする理由がないのです。
 また、自分が複数回の「◯◯だまり」に立ち会った理由というのも、おそらく娘のピアノ教室とその女性の勤務日程が重なっていたからであり、老人の行動になんらかの目的や規則性がない限りは、こうした天文学的確率の偶然は考えられないのです。

 これはもう7年ほど前のことなので、すでに老人は亡くなっていることでしょう。
 棺桶や仏壇にワインが供えられたかどうかは遺族のみぞ知るですが、僕はさまざまな本や映画から、人は天国では自由だと聞いています。どんな「枠」にも縛られずに、身軽であると聞いています。
 老人の魂は空へと登り、旅客機の尻を眺め、成層圏を抜け、そこから地球という惑星を見下ろしたとき、ゆるやかに湾曲する惑星のカーブには、若かりし頃から幾度となく眼前に近づけてきたワイングラスの透明なカーブが、確かに重なっていたはずなのです。
 僕にはそのカーブに沿って、1歩でも2歩でも前に進む、アステアのように軽やかな老人のステップが浮かぶのです。

︎* * *

 えー、最終回の原稿が、妄想混じりのこんな駄文で終わってしまっていいのでしょうか。
 いいのです。
 僕やサイトのスタッフが伝えたいことはただひとつ、たった今、貴方や貴女がスクロールしているこのページの最下部にも明記されている、ただひとつのことなのですから。

「ほどよく、楽しく、いいお酒」

 それではまたどこかで。

江森丈晃Takeaki Emori
1972年東京生まれ。グラフィック・デザイナー/フォトグラファー/ライター/エディター(順不同・日替わり)。出版社数社での見習い時代を経て、98年、デザイン事務所=tone twilightをスタート。CDジャケットのデザインや音楽書籍の装丁/編集を中心に手がけ現在に至る。近年の仕事は、こだま『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)の装丁、江森丈晃『死んだらJ-POPが困る人、CDジャケットデザイナー 木村 豊』(エムディエヌコーポレーション)の制作。好物は飲料水。

前の記事
「甘さ」と「苦さ」の言語ゲーム
嗜好品と対話力で、
「いいね」の予定調和を破れるか?