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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ12 / TEXT:前田慎二 PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 / 2015.1.20 豊島区南大塚「カッチャル バッチャル」田村修司さんの「仔羊のシークカバブ」

 インド料理をつまみに麦焼酎を飲む。カレーに黒糖焼酎をあわせる。そんな味覚の発見とともに、今、東京のインド料理に大きな変化が起きている。これまでのエスニックの枠には収まりきらない、カレーのニューウェーブ進化系。その共通項は、日本人シェフの手により、日本人の舌に心地よいスパイスの妙技が施されているということ。このムーヴメントの台風の目になっているのが、八重洲の名店「ダバ インディア」出身のシェフたち、いわゆる「ダバ系」と呼ばれる新鋭たちだ。中でも今回紹介する「カッチャル バッチャル」の料理は、もはや東京一の呼び声も高い。大塚の雑居ビル、看板すらない急階段が、この店の自信を裏づけているかのようだ。
 スパイスは素材の臭みを消すためのものではなく、素材の持つ本来の旨味を引き出し、味の輪郭を際立たせてくれるもの。そんなことを実感させながら、田村修司シェフの料理は、明日へと向かう。世界でここだけ、日本人によるインド料理のイノベーションは、これまでにない刺激的な酔いをもたらしてくれるのだ。

インドにのめり込めばのめり込むほど、日本のことが好きになった

田村修司さん。

 インド料理の世界に入ったのはタンドール(北インドからアフガニスタンで使用される壷型のオーブン)がきっかけでした。僕が20歳の頃です。当時は油絵の画家をめざして勉強中の身でしたが、どこかで「絵を描くことは楽しいけれど、それで将来食べていけるのかな……」と悶々としていたんですね。そんなときに「新宿ボンベイ」がタンドールの仕事の募集をしていると知って、ひとまず学生アルバイトとして働くことにしたんです。ナンを焼くことに憧れていたというのもありました。実際に焼かせてもらえたのは2ヵ月ぐらい後のことでしたが、これは今から考えると異例の早さですよね(笑)。本当に運がよかったと思います。僕の場合、いくらインド料理が好きでも、スタートが洗い場の仕事だったら続かなかったでしょうしね。そこから2年はタンドール料理の習得に専念できました。

 ナンというのは、ピザと同じく生地を均等にしていく行程が難しい。ただ、それは絵を描く感覚にも似ていて、美しいものが仕上がるたびに、自分なりの満足感を感じることができたんです。そうやって楽しみながら覚えた技術は強いと思いますね。気がついたらタンドール担当の中でいちばん上手くなっていました。そうなると、自分がつくったものをその場で美味しいと言っていただけることに、絵を描くこととはまた違う喜びを感じられるようなってきて。

現在田村さんが厨房で使っているタンドール。「本当はカウンター近くに設置して、お客さんから見えるところで焼きたかったんですが、お店の構造上、それはちょっと難しかったですね」

 新宿ボンベイにてインド料理の基本を身につけた田村さんは、22歳から25歳にかけての2年間、旅に出る。行き先はもちろんインドだ。北インドを中心に、南インドやタイなど東南アジアまでを巡る、放浪の旅。ちょうどその頃、日本の若者の間では、バックパッカーがブームになり、田村さんも沢木耕太郎の『深夜特急』を愛読していたという。

乾きものにも刺激的なスパイス使い。360円という安価もうれしいマサラミックスナッツ。 海老の香味焼き。決め手はタイのXO醤こと「チリインオイル」だとか。クミンやターメリックも効いている。 厨房の壁には、かなりヨレヨレになったポスターが貼られている。「インドを旅して以来、美しいものだけではなく、古びて味の出ているものが好きになりました。お店の内装がすっきりしているので、せめてこの一角だけはインドの雰囲気を出したかったんです」

 新宿ボンベイの先輩たちも長期のインド旅行を経験している人が多くて、彼らが「若いうちに経験しておいたほうがいいよ」とアドバイスしてくれたり、どこの街がよかったとか教えてくれる環境に、自然と感化されたんでしょうね。ただ、僕にとってのインド旅行は料理修行のためではなくて、美しい町で絵を描いたり、写真を撮ったり、現地の文化を肌で感じるのが目的でした。旅が終わったら、ちゃんと就職しようと決めてましたが、どこかで絵描きになる夢も捨て切れてなかったんでしょうね……。
 現地では2週間ごとにいろんな町を転々としていたんですが、長くいたのが、パキスタンとの国境にまたがるタール砂漠近くの町「ジョードプル」。旧市街の家屋の壁が青く塗られているので、「ブルーシティ」と呼ばれている町です。その近くのヒンズー教の聖地、「プシュカル」も印象的な町でした。山もあれば大きな湖もある美しい町です。このふたつの町には何度も訪れていて、合計すれば1年くらいいたかもしれません。
 インドは本当にパワフルな国で、町を歩いていると、日本人というだけで話しかけられるし、どこまでもついてくるしで、もう3~4時間でヘトヘトになるんです。貧富の差の激しさも目の当たりにしましたし、いろんな社会的矛盾を抱えた国だと思いました。インドにのめり込めばのめり込むほど、日本が好きになりましたね。日本人でよかったと実感できたことが、正直な旅の結論です。
 チープな旅行だったので、基本的には宿での自炊。朝、市場でスパイスや食材を買って、自生しているバジルやミントを採ってきては料理をするという生活でした。肉が食べたくなったら安い羊肉を買ってきて、自分で焼いたりもして。ただ、ジョードプルやプシュカルはベジタリアンの町なので、肉が手に入らない。だから1年近くは野菜だけの生活をするはめになって、よくチキンを食べている夢を見ていましたね(笑)。

前代未聞の粗びき加減! 田村流シークカバブ

 そんな「野菜生活」からの反動というわけではないだろうが、田村さんは肉が大好きだという。お店を代表する肉メニューにして今回のヒトサラ、「仔羊のシークカバブ」は、肉料理は噛み心地が重要なのだということを改めて認識させてくれる。口を動かすたびに、スパイスの刺激と肉の旨さが響き渡るのだ。

 肉の美味しさを引き出すための手間は惜しみません。ほかの店では、業者が挽肉にしたラムやマトンを使っていると思いますが、僕はブロックの肉から、スジを取って、包丁で粗みじんにしています。たぶんシークカバブでは前代未聞の粗びき加減でしょうね。そうすることで、口の中で肉が肉らしさを主張するというか、肉ならではの歯ごたえが生まれてくるんです。

仔羊のシークカバブにはミント・チャツネが添えられる。ミントとほうれん草、パクチーでつくる、インド料理を代表するソースだ。

 肉をギリギリまで粗く刻むため、串に巻いてゆくのが難しい。かなりの技術が必要な作業だが、そんな田村さんにも「料理のできない」ブランクの時期があった。それはインドから帰国してすぐ、「株式会社チョティワラ」に就職してからのこと。チョティワラは八重洲の名店「ダバ インディア」を経営し、現在「ダバ系」と呼ばれる独立組を多数輩出している名門だが、そこには日本人泣かせのあるルールがあった。

 自分が最初に配属されたのが、銀座5丁目の「ハリドワル」という店舗(現在は閉店)。そこから系列店の「グルガオン」、そしてダバ インディアと、いろんな店を転々としながら働かせてもらいました。ただ、チョティワラという会社には厳しい決まりがあって、いちばん僕に堪えたのが、「日本人スタッフは料理をつくってはいけない」というルール。料理の腕に関係なく、日本人は接客や店の経営面を担当させられるんです。だからここで働くのは、いずれ独立するか転職するかが前提の人間で、会社もそれを容認している。独立のためにはまずサービスや経営を学べというような会社でした。だから現在「ダバ系」といわれる店のオーナーシェフたちは、もともと料理人だったり、トラックでカレーの移動販売やっていた人たちで、自分の店を持つことを夢見て、この会社に学びにきた人たちが多いんですね。とても厳しい会社で、僕もずいぶん人生観が変わりました。やりたいこととリアルな現実との折りあいをどうつけていくのか、そこが大事なんだと。この3~4年でダバ出身の同僚たちが、これだけ次々と独立開業しているわけですから、本当に不思議な会社ですよね。

 千駄ヶ谷「ディルセ」、御茶ノ水「ディラン」、三軒茶屋「シバカリーワラ」、そして木場の「カマルプール」。いずれもカッチャル バッチャルに劣らない人気店であり、オリジナリティあふれる料理を提供している。

 チョティワラで学んだことはサービスや店舗経営なので、それぞれつくる料理は違っているんですが、なぜかどの店も出しているのが、チーズ・クルチャ。これはダバインディアの看板メニューのひとつなんですけど、これだけはうちも受け継がせてもらってます。

「ダバ系」のファンはとにかく女性が多い。食べると熱いチーズが口の中にとろけ出すチーズ・クルチャは特に人気のメニューだ。

生姜に醤油、イカのワタ。インドにルーツのないインド料理

 カッチャル バッチルのオープンは2010年の12月。田村さん35歳のときだ。一筋縄ではいかない修行期間があったとはいえ、開店当時から、この店の「スパイスで焼酎を飲ませる」という提案は斬新だった。そもそもこのアイデアはどこから生まれたものなのだろうか。

スパイスとの相乗効果から選ばれた銘酒たち。麦は「吾空」、芋は「山ねこ」、黒糖は「一番橋」、泡盛は「カリー春雨」と、価格と質のバランスで考え抜かれたセレクトだ。 ビールを「じゃばら酒」で割った「じゃばらびーる」も人気。じゃばらは和歌山県の北山村だけに自生していた幻の柑橘類。酸味が強く、ほろりと苦味があってビールの味が締まる。

 自分の店をオープンさせる少し前あたりから、たくさんお酒を飲むようになったんです。僕は日本酒がまったく駄目で、もっぱら焼酎でした。幻の「青酎」(東京都青ヶ島産の焼酎)から、およそ有名な銘柄はひと通り飲みましたね。単純に、自分の店を持つことが視野に入ってきた時期に焼酎を飲んでいたことが、この店のスタイルを決定づけた気がしますね。マーケティング的に狙ったことではなくて、自分が客だったらこんな店がいいな、こんなツマミを食べたいな、という発想です。オープン当初のメニューは、仔羊のジャーキーなど、酒のアテになるものが中心でしたね。

 そんな「アテ」の完成系ともいえるのが、「イカのスパイス冷菜」。インド料理ならではのスパイスを活かしながら、割烹的な奥ゆきも感じられ、これまでになかった味と香りが楽しめる。

 これはインドにルーツがない完全なオリジナル・メニューです。イカのワタ、にんにく、生姜、醤油、スパイスを使って、それを焦がすぐらいに炒める。僕は焦がす作業が好きで、そうすることで深い香りと味わいが出すことができるんです。日本人は焦がすことに神経質になりすぎていると思いますね。そのへんはインド人シェフのほうがラフで大胆。そこはインド人のよさをうまく取り入れるようにしています。

イカのスパイス冷菜で使われているのは、クミンとマスタードのシード(種)。これを短時間で炒めることでよい香りがつくという。そのあとにターメリック、赤唐辛子のパウダー、ブラックペッパー、クミンとコリアンダーのパウダーが加えられる。春先にはホタルイカを使った季節メニューも。

 僕のスパイスの使い方は、ほかのインド料理店に比べると至ってシンプルかもしれません。それは、シンプルなほうが美味しいと気がついたからというのもありますし、いかにシンプルであろうと、自分なりのインド料理を提供できるとわかったからでもあります。とくに注意しているのが、シナモン、カルダモン、グローヴの3種類。これは味の強い3大スパイスで、店によっては全面に出すぎているなと感じることがあります。マトンなど臭みのある素材を扱う時には効果的なんですけどね。
 そんな「スパイスの引き算」を意識したメニューが、「彩り野菜のグリル」です。オリーヴオイルを使っているし、それ以外はバジルとブラックペッパーだけ。ここまでシンプルに削ぎ落とすと、イタリア料理だと言われても仕方がないですけど、僕にとってはやっぱりインド料理。これだってタンドールで焼いてますしね。

田村さんが使うスパイスの一部。
スパイスのミニマルな使い方を徹底的に極めた、彩り野菜のグリル。

実はこの店、あえてカレーは出さなくてもいいと思っていたんです

 印⇔日の親善大使さながらに、両者の魅力を融合してみせる、カッチャル バッチャルの料理。だからたまらなく飲みたくなる。スパイスが酒を呼ぶ。田村さんの研究と提案は、新しい食の可能性を切り開きつつあるようだ。

焼酎のマンゴーラッシ―割り。このトロピカルな甘みが、スパイスを柔らかく受け止める。甘いけれど、くどさはない。

 これまでインド料理の日本人シェフというと、たとえば麹町の「アジャンタ」出身で活躍している人たちが有名でした。彼らはちょうど僕たちよりひと回り上の世代で、現地のインド料理を忠実に再現することをめざしていたんだと思います。僕らは第2世代で、純粋なインド料理をつくるというよりも、それをいかに日本で進化させるかが重要だと考えています。
 インド人と仕事していると、「このスパイスとこのスパイスを絶対いっしょに使ってはいけない」というような約束事がいかに多いかというのを実感させられるんです。ところが家に帰ってその組み合わせを試してみると、すごく美味しかったりする。そういった約束事は、純粋に味をよくするためというより、民族の文化や宗教に由来することが多いんです。でも、日本人である僕らが、そこに縛られる必要はありませんよね? むしろそこから自由になることで面白いことができると思うし、それをお客さんに受け入れてもらえば、それがこれからの伝統になっていくはずだと思うんです。

 日本でのインド料理は、フレンチやイタリアンに比べて歴史が浅いからこそ、自由度があると思います。「これがインド料理だ」という思い込みや固定観念が薄いぶん、美味しいものは美味しいという反応を返してくれるお客さんも多いんです。
 そんなお客さんの要望には、できる限り応えていきたいと思っています。実はこの店、オープン当初は、あえてカレーは出さなくてもいいと思っていたんですよ(笑)。ところが気まぐれでつくったカレーがいつのまにか評判になって、食べたいというお客さんが増えてしまって……。今は自分のやりたいことと、お客さんの要望との折り合いをどうつけようかと試行錯誤している段階ですね。そんな中、ひとつかたちになったのが、このチキンアッチャーリーカレーです。青唐辛子のピクルスと骨つきチキンを煮込んだものに、玉ねぎとクミンシードとコリアンダーシードを炒めたものを合わせたもので、これも完全なオリジナル。世界でこの店でしか出していないカレーです。僕が仲よくなりたい、つまりお酒の好きなお客さんは、これで締めてくれる確率が高いですね。

 イカのスパイス冷菜しかり、チキンアッチャーリーカレーしかり、「僕の料理は創作料理だと思ってもらっていい」と語る田村さんだが、「もしまたインドに旅する機会があれば、今度は現地の味をとことん研究してみたい」とも。やはりインドへの思いは相当に深いようだ。

 店名の「カッチャル バッチャル」というのは、インド人の同僚がよく使っていた言葉で、ヒンズー語のスラングなんです。辞書にも載っていない言葉です。ランチで残ったいろんな種類のカレーを、ひとつの容器に捨てていたのをそう呼んでいたので、僕は「ごちゃまぜ」という意味だと思っていました。僕がめざしたいのは、まさにいろんなもののごちゃまぜであり、融合であって、それがこれからのインド料理の未来を切り開く要素だと思っているので、うちのような「スパイス居酒屋」にはぴったりの言葉だと思ったんですね。
 ……でも、あとでわかったんですけど、この言葉、「融合」なんてカッコいいものじゃなくて、どうも「汚い」とか「ムチャクチャ」みたいな意味らしいんです(笑)。インドの伝統を新しいかたちで展開しようと頑張ってる自分が、言葉の面で仕返しされたみたいな(笑)。やっぱりインドという国は想像以上に手強いんですよね……(笑)。

カッチャル バッチャル 東京都豊島区南大塚3-2-10 林ビル2F
03-5954-5551
営業時間:18:00~24:00
定休日:日曜日

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