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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ19 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 2015.08.04 横浜市中区相生町「カクテルバー・ネマニャ」北條智之さんの「マルガリータ・ラグリマス」

「フレア・バーテンディング」の立役者にして「ミクソロジー・カクテル」の篤学者=北條智之さんの半生は、カクテルの進化や発展とともにあった。
 ボトルやシェイカーを宙に放ち、ときには炎をも操る型破りなパフォーマンスで名を馳せ、現在は横浜・関内「カクテルバー・ネマニャ」のオーナーとして、あらゆるフルーツやハーブをオリジナル・フュージョン。これまでにない味覚や食感を追求し続けている。
 そんな北條さんにヒトトヒトサラがオーダーしたのは、「食べるカクテル」のフルコース。僕らがジョッキをガブ飲みし、シャツにワインの染みを増やしている間、カクテルの世界はここまでの進化を遂げていた。 

モーターに泡立つカツオ節!?「ミクソロジー・カクテルは数字の世界なんです」

 ミクソロジー・カクテルの発祥は90年代のロンドン。語源は「Mix~(混ぜる)」と「~logy(学問/科学)」をあわせた造語ですね。定義としては、人工的な香料などが添加されていない天然素材、つまりはフレッシュ・フルーツやハーブでつくるカクテルということになると思うんですが、その技法についてはまだ発展途上の段階というか、世界同時進行で進化し続けているものだと思います。たとえば2007年にアメリカで開催された世界大会に自分がエントリーした際は、ふんだんに香料が入ったフレーヴァード・ウォッカをテーマにされてしまって(笑)、僕らがイメージしていた「身体によいお酒」とはかなりかけ離れたもので競うことになりました。国や大会によって、ミクソロジーの概念に差があったんですね。ただ、それでも「従来のカクテルに新風を吹き込んでやろう」という熱のようなものはすごく伝わってきましたし、そういう意味では彼らは僕らの先をいっていたと思います。
 自分はクラッシック・スタイルのバーテンダーから始まって、フレア・バーテンダー、ミクソロジストと経歴を積んできたわけですけど、そんな自分から見ても、この世界は本当に奥が深いと思います。まだまだ専門店は少ないですが、メーカー主催の大会も増えてますし、セミナーの講師に招いていただく機会も増えていますね。東京や福岡といった日本の主要都市はもちろん、このあいだは台湾にも行ってきました。

北條智之さん。

 北條さんのスケジュールは多忙を極める。全日本フレア・バーテンダーズ協会会長、アジア・バーテンダーズ協会相談役、ワールド・フレア協会認定公式審査員という輝かしい勲章を維持しながら、世界各地のBARカウンターを見つめてきた。そしてもちろんネマニャのカウンターを司る責任者でもあり、その手元に目をやれば、見覚えのあるようなないような紫色のプラスチック・ボックス。そこから流れる場違いなモーター音。そろそろ本日の1杯目、「ブラッディ・ボニート」が完成しつつあるようだ。

 トマトを使ったカクテルといえば「ブラッディー・メアリー」がありますよね。あれはウォッカをベースにタバスコやウスターソースを加えることで塩気を調整したものですが、自分のオリジナル「ブラッディ・ボニート」のベースとなるのは「カツオ節インフュージョン・ウォッカ」です。荒く削ったカツオ節を粉末にして、それを常温よりも少し高め、30度ぐらいのウォッカに3時間ほど浸したものを使うんです。色もちょうどお出汁をとったような黄金色になりますね。そこにホール・トマト、レモン・ジュース、リーペリン・ブランドのウスターソース、タバスコなどを使って味を整えるわけですが、最後に鰹出汁のアイレ(泡)を高く盛り込むのもポイントです。アイレは熱帯魚の飼育などにも使われるエアーポンプを使ってつくります。初めて見るお客さまはみなさん驚かれますね。カウンターが理科室のようになってしまうので、「この人なにやってんの?」と不思議がられてしまいます(笑)。

「Katsuobushi Vodka」とラベリングされたカツオ節インフュージョン・ウォッカ(写真左上)。「インフュージョン(漬け込み)という技法は自分の得意とするところで、これまでに30種類ぐらいのフレイヴァーを試しました。現在もカルダモンを漬けたジンやさまざまな紅茶やスパイスをブレンドしてチャイふうに仕上げたウォッカなど10種類ぐらいは常備しています。温度管理に注意すれば胡椒や紅茶のものは1ヶ月ほど持ちますが、生花を漬け込んだものなどはすぐに風味が崩れてしまいますね」
ブラッディ・ボニート。

 まずはアイレをひと口含んでみると、日本人であれば昔からよく知る味が、しかしこれまでにない口どけで広がる。真紅の液体はビシソワーズのような印象。たくさんの味覚を想起させながらも、どれかひとつに偏ることのない「ネマニャの味」として、ゆっくりと喉を流れる。まさにオーダー通りのフード感。北條さんの天才的なバランス感覚が感じられる刺激的なスターターだ。

 次は「喉で味わうクッキー」です。「スモークド・チョコレート・アレキサンダー」を試してみてください。これはコニャックをベースに、チョコレート・シロップ、カルーア、クリーム──ここまでは従来のアレキサンダーに似ていますが──そこに、スモークガンを使って瞬間的に燻した桜チップの香りをつけたものです。シェイカーの中で煙と馴染ませながら、30秒ほど待ってグラスに注ぐのがいいようで、もしこれが40秒になると、タンニンの渋みが前に出すぎてしまうんです。しっかりと薫香をつけたほうがいいのか、それともあっさりとした状態がいいのか。あくまで味わうのはお客さまなので、まずは試験的にお出しすることで、じっくりと味を決めていきました。

スモークド・チョコレート・アレキサンダー。

 映画『酒とバラの日々』にてリー・レミック演じるカーステン・アーセンを虜にしてしまった魅惑の1杯を、雄々しくスモーク。ただでさえ複雑なスウィートvsビターの均衡に、ナツメグのすりおろしが加えられ、やはりこちらもフード感が絶妙。キンと冷やされたシャンパン・グラスも、甘みをすっきりとまとめることに貢献。そのすべてにミクロな計算式が感じられる。

 ミクソロジー・カクテルは数字の世界なんです。さきほどのカツオ節のようなインフュージョンは10分置いただけで味が変わってしまいますし、素材を飽和状態にまで漬け込むことで旨味を引き出すことを成功したからといって、それをカクテルに使えるかというのはまた別の問題。最終的に希釈することも考えなくてはいけませんから、薄すぎても味がわからくなってしまいますし、レシピを書き留める手帳はすぐに真っ黒になってしまいますね。
 とくに新しいメニューに取り組む場合は徹夜になります。フレッシュは季節ごとに旬のものを用意していますし、それをディハイドレーター(食品乾燥機)にかけることで自家製のドライフルーツもつくっていますし、それをまたカクテルへと還元することもあります。素材の組み合わせは無限になりますから、途中で方向性を見失わないよう、まずは自分の頭の中に理想の味というものをしっかりと描いて、少しずつでもそこに近づけていくんですね。

ブッダ・ブロンド。ミステリアスなプレゼンテーションを裏切ることのない、エキゾチックかつ上品な甘み。奥は季節の生チョコレート。

 北條さんの手は動き続ける。3杯目のプレゼンテーションには、店内の片隅に鎮座していたガラス製の仏陀さまが降臨。スモークを使ったミクソロジーのバリエーションとして、「ブッダ・ブロンド」が運ばれた。
 ベイリーズ・アイリッシュ・クリーム、コブミカンの葉によるクンババ・インフュージョン・ラム、グラン・マニエなどをシェイクした乳白色の液体が、仏陀の頭蓋にてスモークされるさまは、神秘的かつユーモラス。そもそもこれはBARツール? いったいどこで入手したものなのだろうか。


 これはバリ島に旅行したときに見つけたものです。もちろんBARツールとしてつくられたものではありませんね(笑)。ミクソロジーのプレゼンテーションにはこういった小道具も大切なんです。……とはいえこういうものは狙って探しにいくというよりも、散歩中に見かけたものを取り入れることが多いですね。あくまでカクテルありきのものなので、あまり衝動買いはしません。いったんお店に戻って、ボトルを眺めながら構想を練って、お互いが結びついたときに改めて買いに戻るということが多いです。

 こういったオブジェや小道具は昔から好きですね。もともと僕は美術に興味があって、学生時代には學展(万国學生藝術展覧祭)のデザイン部門でグランプリをとったこともあるんです。それがこの店に活かされているのかどうかはわかりませんが(笑)、ブランコに揺られている男女のシルエットを時計の絵の集合で表現したり、一見すると大きな鯛の絵ですが、近づいてみるとウロコの1枚1枚が小さな鯛になっていたりする、ちょっとコンセプチャルな絵を書いていた時期もあります。そのまま美術を学ぶという話もあったんですけど、僕はどうしてもバーテンダーになりたくて、親の反対を押し切るかたちでこの道に飛び込んだんです。

社員食堂の片隅でBARごっこ。バイト代のほとんどはその維持費に消えました(笑)

 初めてお酒に興味を持ったのは、スーパーマーケットでのアルバイト時代です。偶然お酒売り場の担当になってしまったんですけど、お客さまに「これどうやって飲むの?」と尋ねられたときに答えられないのが悔しくて、カクテルの本を買って勉強し始めたら、一気にハマってしまったんです。
 当時は社員食堂の片隅でBARごっこをしたりもしてました(笑)。仕事あがりの社員さんたちに、「今日はなんにしましょう」と声をかけて、僕のカクテルを飲んでもらうんです。もちろんお金は取らないので、その店は大繁盛しました(笑)。バイト代のほとんどはそのBARの維持費(笑)になっていたぐらいで、すぐにカクテルおたくになりましたね。本に載ってるレシピはすべて暗記しましたし、友だちと飲みにいくときも、まずはBAR。僕は思い切り背伸びして、彼らの好みに合わせたカクテルをオーダーするんです。お店にとっては相当に生意気な客ですよね(笑)。怖いもの知らずの時代でした。
 そんなことをしていたら、バイト仲間のお父さんが、四谷三丁目で「バー・ピガール」というBARをやっているということがわかって、しかもそのBARというのが、自分の買った『カクテル・ブック』(1988年 西東社刊)に掲載されていた「日本のBAR100選」の店だと知るんです。「えーっ!」とすごく驚いて、そこで働かせてもらうことになるんですけど、もうひとつ驚いたのが、その本の著者である上田和男さんという有名なバーテンダーと、ピガールのマスターが、同じ東京會舘(大正11年創業の宴会場/レストラン&BAR。クッキング・スクールも運営する飲食サービス業の総本山)の出身だったということで、これはもう、絶対に東京會舘にいくしかないと決意して、94年になんとか潜り込むことに成功するんです。ピガールのマスターも「小さなお店じゃ凝り固まるからいってきなさい」と応援してくれましたね。
 東京會舘での経験は身になりました。もちろんBAR勤務の経験があるといっても、いきなりシェイカーを振らせてくれるような場所ではないですし、親方がカクテルを担当し、その下のアシスタントがボトルを管理するという縦社会なんですが、シフトの流れしだいでは自分にもチャンスが巡ってくるんです。カクテルに対しての興味が強すぎる自分を不憫に思ったのか(笑)、親方は僕をなるべくカウンターに入れるように手配してくれました。本当にありがたかったです。

アルギン酸ナトリウム+乳酸カルシウム。「食べるカクテル」の最高傑作、マルガリータ・ラグリマス

 そろそろ次のカクテルをつくりましょう。3杯目は「マルガリータ・ラグリマス」です。これもリピートしてくださるお客さまが多いですね。行程はちょっと複雑です。まず、テキーラ、コアントロー、ライム・ジュースなどに、アルギン酸ナトリウムという食品添加物を加えることで、ゲル状のマルガリータをつくるんです。それをシリコンのトレーに流して冷凍しておいたものを、今度は乳酸カルシウムの溶液に30秒浸すと、マルガリータの表面だけが膜状になります。さらにそれをミネラルウォーターに浸して解凍することで、舌で潰して飲むことができるカクテルになるんですね。

 表面にまぶしたのは乾燥食用花の粉末とフィンガー・ライムの果肉です。フィンガー・ライムは「キャビア・ライム」とも呼ばれるオーストラリア産の果物で、これもプチンと弾ける食感が特徴です。さきほどのブラッディ・ボニートに続いて、今度は塩味のアイレを添えています。

マルガリータ・ラグリマス。

 これぞ「食べるカクテル」の最高傑作。羽二重団子を思わせる表皮の滑らかさを口中に転がしながら押し潰すと、とろりとした甘みと爽やかさがあふれる。テキーラの友である塩やライムも姿を変え随伴。古来の伝統と近代の科学が実を結んだ驚きの「ヒトサラ」だ。
 それにしてもすべてが予想外。至近距離+解説つきにも関わらず、まったく手順は読めず、カメラマンは苦笑しながら北條さんの指先を追い続けている。


 確かに従来のカクテルの手順とは違いますよね(笑)。自分も最初は失敗の連続でした。ミクソロジーをやっている人はごく少数でしたし、手探りの中で「こういうことか」と体感するしかなかったですからね。なおかつ自分は英語も得意じゃないので、それらしい資料を翻訳サイトにかけてみるんですけど、ほとんど役に立たない。検索エンジンだって、「アルギン酸ナトリウム」と調べられてカクテルのことが知りたいなんて思いませんよね(笑)。
 ただ、僕はもともとネットなんてなかった世代ですから、自分の足を使って事実を解明していくという作業は嫌いじゃないんです。
 たとえば「シンガポール・スリング」にまつわるこんな話があります。このカクテルは1915年にラッフルズ・ホテルで考案されたものだということは文献に残っていたので、僕は発祥地のものを飲んでみたくてわざわざ旅行したんですけど、いざラッフルズ・ホテルのカウンターに座ってみると、日本語の文献とはまったく違うものが出てくるんですね。シンガポール・スリングとは別に「ラッフルズ・スリング」というカクテルも飲めるはずが、「ラッフルズで出すスリングがシンガポール・スリングだからお前がさっき飲んだのがそうだ」なんて言われて、ガッカリして帰ってきたことがありました。
 でも、僕の場合、それが本場のカクテルへの興味に繋がることになるんです。それ以来、年に2回は連休を取らせてもらって、ロンドンのサヴォイ・ホテルまで「アラスカ」を飲みにいったり、ヴェニスのハリーズ・バーに「ベリーニ」を飲みにいったり、僕がそれまでに学んできた「教科書」のルーツを辿って、日本に伝わっていることが本当なのかを確かめにいくということを繰り返すようになりました。(カクテルの)考案者のほとんどはもう亡くなっていたんですけど、息子さんにはお会いできたり、かなりマニアックなことをしていましたね。
 もちろん今ならネットで検索できることですけど、当時は自分の足で調べるしかなかったし、それが楽しかったんです。
 それは、初めてのBARに入る緊張にも似ていましたね。重い扉を開けて、ようやくどういう店かを知る。勇気を出して踏み出したところにある空間の楽しさというのが、自分にとっては心地よかったんです。

「ミクソロジーなんて一過性のものだよ」そんな意見が出るときこそ、ブームが根づく兆候です

 次はさらに工程が複雑な、ディアブロ・ミンツ・ブックをお出しします。これもスフェリフィケーション(成形)カクテルのひとつで、さきほどお出ししたマルガリータ・ラグリマスと同じく、人工イクラをつくる技法を応用したものです。グリーン・ミント・リキュールとシロップ、アルギン酸ナトリウムをブレンドした液体を、ピペットを使ってひと粒ずつ乳酸カルシウム溶液に落としていって、1分を目安に引き上げて、すぐに水洗いします。この工程はカルシウムが浸透しすぎることで膜が厚くなるのを防ぐためです。

「そもそもアルギン酸ナトリウムとアルコールというのは相性がよくないんです。基本的に度数が20パーセント以下ぐらいのものでないと反応してくれない。まれに30度以上でも成功するものがあるので、お酒の成分によるんでしょうけど、そのあたりのことは製造元に問い合わせても企業秘密。教えてくださらないんですよ」

 試験管に注いだのはホワイト・ミント・リキュールとスイート&サワー・ミックスのシェイクで、そこにこの粒を加えて栓をします。それを本のかたちの木箱に並べて、その中にスピリタス・ウォッカで希釈したミントのエッセンシャル・オイルとグリセリンを電子タバコで気化させたスモークを閉じ込めて、ようやく完成です。

ディアブロ・ミンツ・ブック。「このカクテルには少しお時間をいただきます。ミクソロジー・カクテルは洗い物との戦いでもありますね(笑)」

 今日は小鳥を仕込みましたが(笑)あらかじめお渡しいただければここにお手紙を入れたりもできますので、お誕生日や記念日のプレゼンテーション・カクテルとしてもオーダーしていただけます。

 表紙を開いたときのサプライズと、いったいこのまま口に入れてもいいものかと惑わせる、異形のルックス。アリスの身体を小さくしたのは小瓶に詰められた褐色の液体だが、ここではミントの煙に包まれた、緑の宝石が輝く。しかしその味に浮ついたものはない。コルクを取り、そのまま一気に飲み干すと、清澄な甘さの中に、夏を洗い流すかのような爽快感。思わずリピートしたくなる美味しさだ。

 ルックスやテクスチャーのおもしろさにこだわるというのは諸刃の剣でもありますね。そこにしっかりとした味がついてこないことには、ただの「邪道」で終わってしまうんです。ミクソロジストの人口は増えてきていると思いますが、味の部分をあまり追求せずにやっている方も多いようで、そういうお酒に当たったお客さまは、途端に興味を失ってしまうんですね。最終的には1杯のカクテルとしての味や商品価値をいかに高められるか。そこにこだわらないと生き残れない世界だと思います。
 どこかで味のともなわないミクソロジーを飲んでしまったお客さまの意見は厳しいですね。「ミクソロジーなんて一過性のものだよ北條さん」って。ただ、自分としては、そういう反対意見が出るときこそ、ブームが根づく兆候だと考えています。これはフレアの世界でも実感したことです。僕がボトルを投げ始めてしばらくは、さんざん同じことを言われましたから。

「俺たちもバーテンダーだぞ! 悔しくないのか!」フレアへの想いが自分をミクソロジーに向かわせた

 フレアの道へ入ったきっかけは、人と違うことをやりたかったからですね。もともと自分は反骨精神を糧に生きているところがあるというか、あまのじゃくな人間なんです。たとえばカクテル・コンペティション。僕は94年に初めて出場したんですけど、基本の型に沿うことに抵抗があって、人よりも飛び抜けたことを発表したい、一発逆転を狙いたいという気持ちで、最初から実験的なことばかりやっていました。ガラスのビール・グラスとふつうのティン・シェイカーを組み合わせてシェイクしてみたり、特注20万円のジャンボ・シェイカーを振ってみたり……要は目立ちたがり屋なんです(笑)。
 ミクソロジーはもちろん、フレアにも師匠はいませんから、当時はボロボロでしたね。とりあえず投げて、取る。それがカッコよければ技なんじゃないかっていうレベルで、ボトルの遠心力やお酒の量が掴めずにカウンターを汚してしまったり、トム・クルーズがバーテンダー役をやっていた映画『カクテル』の真似事だと非難されたりもしました。ただ、僕らの技術が向上するにつれ、認めてくださる方も増えていって、98年には小さな大会で優勝するまでになりました。そのときのカクテルが、グラスを積み上げたタワーに火のついたラムを流し入れる「ライディーン」。今から160年以上も前にアメリカのジェリー・トーマスというバーテンダーが考案した伝説のカクテル「ブルー・ブレーザー」を自分なりにアレンジしたもので、これは僕が去年まで勤めていた「カフェ・バー・マルソウ」というお店の名物にもなりました。当時は景気がドン底で、焼き鳥を焼いたりおでんを出したりと苦心していて、なにか話題になることをやらないと潰れてしまうという状況の中、思い切って火を使ってみたんです。人の店だしまぁいいかって(笑)。でも、結果的にこれが大当たりしまして、今でもマルソウの看板カクテルになっているんですね。

 北條さんのフレアへの想いは誰よりも強い。自らの技術を磨きながら、日本に文化を根づかせるべく奔走。当時はひと握りしか存在しなかったフレア・バーテンダーの噂を聞きつければ、その店に駆けつけ同志を集めていったのだという。

自家製リエット。脂の多い肩肉とロースをミックスし煮込むことで、脂が溶け液体状に。それを冷やして混ぜ込むことで、滑らかな食感となる。写真奥はラムレーズン・ダイキリ。ラムの甘みに焦がしバターを加えた1杯。氷の台座にはミントとシナモンが置かれ、グラスを持ち上げるたびに、目の前の空気が色づく。

「実は自分もフレアやってるんですけど……」と、ひとりひとりにお話していきましたね。最初は草の根的な活動でしたけど、2000年に「日本フレア・バーテンダーズ・ネットワーク」を立ち上げてからは加速度的に人脈が繋がって、その3年後には、600人近くのフレア・バーテンダーが集まっていました。
 僕が初めてフレアの世界大会に出たのも2000年のことです。そこで世界基準のルールを体感したこともあって、日本でも大会を開くようになったんです。ただ、僕の団体は会費を集めていなかったので、経理的には赤字だったんですね。そんなとき、ミネラル・ウォーターの「エビアン」のCM撮影(さまざまな手がエビアン・ボトルを投げ合う映像で構成されていた)に協力することになるんですけど、そこで出会った人が、ジャグリング、いわゆる大道芸のツールを輸入販売している「ナランハ」という会社の方だったんです。ちょうど僕と同い年の人だったこともあって、しばらく話をしていたら、その会社でジャグリングの教則DVDをつくってることがわかって、僕はそのフレア版をつくらせてもらうことで、大会運営のお金を工面することを思いつくんですね。最初は「売れませんよ」と言われましたが、なんとか熱意を伝えてリリースしてみると、これが年間1000枚以上も売れて、第8巻まで続くことになるんです。ナランハさんも「うちの会社でもBARツールを輸入します」と言ってくださって、ツールの供給も完璧(笑)。ここでようやく大きな大会を運営できるようになったんですね。

 自腹を切っての大会運営に、技術の伝承。労を惜しまず後進たちの道を切り拓いてきた北條さん。だからこそ聞いてみたい。そんな北條さんがフレアの世界からミクソロジーへと転向することに対し、裏切られたと感じた後進はいなかったのだろうか。

 いないと思います。みんなわかってくれていると思います。なぜなら自分がミクソロジーに取り組んだのも、フレア・バーテンダーの名誉を守りたいというプライドがあったからなんですね。フレアに対する偏見というのは、いまだに感じますし、大会の派手なパフォーマンスしか見ていない人は、「大雑把でゆるそうなカクテルをつくってる奴ら」と感じていると思います。確かに大会の場合はショーの要素が強いので、パフォーマンス重視になるんですけど、そのイメージから、いまだに見世物的な扱いでイベントに呼ばれるフレア・バーテンダーも多いんです。「お酒はこっちできちんとしたものを出すから、君らは投げてなさい」って。僕はそんな場面を目撃するたびに、「俺たちもバーテンダーだぞ! 悔しくないのか!」って思うんです。だからこそ自分は、この店でミクソロジーも極めるんです。「フレア・バーテンダーにミクソロジーなんて領域のものがつくれるわけがない」という先入観に挑戦するんです。
 確かにフレアは誤解されやすいと思います。「ボトルを投げることで味にどんな影響があるの?」と言われれば、ないと思います。ただ、人間の味覚というのは舌だけで味わうものじゃないですよね。フレアを見ることで、いつもより華やいだ気持ちになってもらえれば、それは必ず味に影響すると思うんです。そういう意味ではミクソロジーもフレアといっしょだと思っています。どちらも人を喜ばせることには変わりがないですし、僕はスーパーマーケットの「BARごっこ」の時代から、自分が喜ぶよりも人に喜んでもらうことが好きでしたし、人に喜んでもらうことで、初めて自分も喜べるという人間だったんです。

 ここでインタヴューは終了。18時からの予約客を迎え入れるべく開店の時間となった。エレベーターの前まで見送ってくれた北條さんに、最後の質問。「無人島の1本」と「今後の展望」を訪ねてみたのだが、それらに対する回答は、見事なまでに一枚岩。盤石の信念に満ちたものだった。

 まず無人島の1本。これが期待に添える答えかどうかはわかりませんが、ごくごくノーマルなブレンデッド・ウイスキー「ブラック&ホワイト」ですね。これは他界してしまった僕の師匠、さきほどお話したバー・ピガールの内山浩さんとよく飲んだお酒なんです。結局のところ、お酒というのは、飲む人の想い出の味というのがいちばんだと思います。そういう意味では、僕は自分のカクテル1杯1杯が、お客さまひとりひとりの想い出になればという気持ちでつくってますし、そうあってほしいからこそ、自分なりのプレゼンテーションを加えていきたいと思うんです。
 僕の最終目標は、世界中のバーデンダーが受け継いでくれるようなカクテルを考案することです。「コスモポリタン」や「セックス・オン・ザ・ビーチ」なんてカクテル、ひと昔前はありませんでしたよね。もし自分がこの世にそういうものを残せたら、世界中の人の想い出に刻まれる。そうやって世界中の人が喜んでくれれば、僕は世界でいちばん喜べる。僕はいつも、そんなことばかりを考えているんですよ。

カクテルバー・ネマニャ 神奈川県横浜市中区相生町 1-2-1 パレカンナイ 6階
045-664-7305
営業時間:18:00~26:00(月~金曜日)/
     18:00~23:00(土曜日)
定休日:日曜日/祝日

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