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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

 ヒトトヒトサラ36 / TEXT:小林のびる PHOTO:産屋敷光孝 ILLUST:山口洋佑 2016.06.30 清瀬市松山「レバニラ定食 Kei楽」秋元修さんの「レバニラ炒め定食」

中華料理の世界はスターの宝庫だ。ラーメン業界はいまだ戦国時代。餃子屋チェーンは星の数。焼小籠包店には行列ができ、専門店の具だくさん肉まんは誰もが喜ぶお土産。炒飯、焼売、麻婆豆腐などを挙げればキリがなく、テーブルのメインを張れる人気料理がいくらでもある。
けれど、「レバニラ炒め」はどうだろうか? 「当店はレバニラ炒めの専門店です」などという謳い文句を見たことある人がどのくらいいるだろうか? しかしあるのだ。西東京は清瀬という街に、「レバニラ定食 Kei楽」という、清々しいまでの男気にあふれた看板が。
オープンから7年、その歴史を紐解けば、実に長く深かった、店主・秋元修さんの中華人生。氏はいかにしてこのレバー、そしてこの味に辿り着いたのか。全身に大量のアルコールと鉄分を流し込みながら、訊いてきました。

志だけで突き進んでいた高卒の自分。「親父みたいな街場の中華屋じゃなく、どうせなら超一流の料理人になってやる!」

秋元修さん。「運送業の最後のほうは、パン屋さんの仕事をかけもちしていたこともありました。夜間の仕事を終えたら、そのまま朝からパン屋へ直行。当時はハードな生活を送ってましたね」

 父がずっと飲食関係の仕事をしていたんですが、僕が小学校6年の頃に、埼玉県の朝霞市で、念願だった自分の店を始めたんです。どの街にも1軒はあるような、ごく平凡な中華屋で、店名は「慶楽」。もちろん僕も出前から始まって、いろいろと手伝いをさせられました。
 ところが高校を卒業してから、ちょっと遅めの反抗期っていうんでしょうか、「親父みたいな街場の中華屋じゃなく、どうせなら超一流の料理人になってやる!」と思ってしまったんですね。もちろん親に頼るのも嫌だったから、まずは貯金です。料理の専門学校に通うために、知り合いのつてを頼りにある運送屋さんに就職しました。でも、高卒でいきなり大人の社会に入っても、仕事なんてできないわけですよ。本人は立派な志を持ってるつもりだから、よっぽど生意気だったと思います。でも、当時の上司が「いくら口では偉そうなことを言っても、こんな仕事ひとつできないんじゃ意味ないぞ!」と叱ってくださって、料理とは関係ないところで闘志が燃え上がってしまった(笑)。仕事をひと通りこなせるようになったら、今度は大きな会社の下請けに入って、23区内あちこちで汗を流してね。
 たぶん僕はひとつのことに熱を上げると、それしか見えなくなってしまう性格なんでしょうね。そういえば自分は料理人になりたかったんだ。専門学校に通うはずだったんだ。そんなことを思い出したのはずいぶんと後のことでした。
 転機となったのは、またも実家の「慶楽」です。両親も齢をとってきたし、出前であったり、従業員を雇い続ける余裕もなくなってきたので、規模を縮小せざ るをえなくなった。そこで僕は、家に戻ることを決めたんです。本格的な料理の勉強はそこからスタートしたようなもんですから、ずいぶんな遠回りですよね (笑)。そこからはもう、ずっと中華。両親について勉強しながら、最終的にはお店の調理すべてを任せてもらえるようになったんです。

 仕事とはなにか。そんな命題を抱えながら精神力や基礎体力を蓄えた青春時代を経て、戻るべき場所に戻ってきた秋元さん。昔よりも小さくなりつつあった両親の背中を支えながら、ついに本物の料理人としての人生を歩み出し、ここからが本当の船出。しかしそんな秋元さんを待っていたのは、あまりにも辛い出来事だった。

 当時まだ5ヶ月だった双子の娘を残して、カミさんが突然亡くなってしまったんです。それでもう、自暴自棄というか、仕事をする気力がまったくなくなってしまって、店のことはもちろん、自分自身すらどうコントロールしていいのかわからない。おふくろは子どもたちの世話をするため店に出られなくなってしまったし、僕も以前のようには料理に向き合えない。だけど子どもは育てなきゃいけないから、肉体労働を始めてみるんですけど、そういうときってなにもかもがうまくいかない。ちょっとした誤解から仕事相手の信頼を失ってしまったり、もう八方塞がりですよ。やがては「慶楽」も閉めざるをえなくなってしまいました。
 そんな状況を見かねて、バチンと尻を叩いてくれたのは、僕の友だちたちでした。「今のお前にできることってなんだろうね?」「そういえば昔、シャッター商店街の空き店舗を見て、こういうところで俺が店をやれたらな~、なんて言ってたよな?」「やっぱりそういうのがいいんじゃねぇの?」と背中を押してくれたんです。
 こんな性格ですから、いったん火がつけば燃え上がるのは早いんです。「やるしかない!」と奮起してからは急展開でしたね。店舗探し、お金の算段、大変なことはいろいろありましたけど、なんとか7年前にこの店をオープンさせることができました。僕の趣味はバイクで、北海道から沖縄まで、全国に仲間がいるんですけど、とくに彼らのサポートはありがたかったですね。看板のデザインをやってくれたヤツ、ホームページをつくってくれたヤツ、みんながわーっと手伝ってくれて、本当に人に助けられてどうにかこうにかやってこれています。もちろん「Kei楽」という店名だって、僕を育ててくれた「慶楽」を想ってのことです。そもそも僕のあだ名、中学時代からず~っと「慶楽」なんですよ(笑)。

カウンターのみの店内だが、どこか友人の家に遊びにきているようなアットホーム感。それも秋元さんの人柄と、店の成り立ちゆえだろう。

「いやいや無理でしょう!」友人たちにすら反対された、世界初のレバニラ専門店へ

 店をやろうと決めたときから、ふつうの中華屋ではやっていけないと思っていましたね。ひとりでラーメンも餃子も炒飯もつくってというのは効率的じゃないし、そういうお店はほかにもたくさんある。街に同じような店がひとつ増えたって、埋もれてしまうでしょう? やっぱり街場の中華屋さんっていうのは、昔から地元の常連客を抱えているものですしね。だから僕は「なんでもいいから強いインパクトが欲しい。誰もやっていないものをやろう」と考えたんです。そこで改めて「慶楽」の料理を思い起こしたときに、とくに評判がよかったのが、餃子と炒飯とレバニラ。そういえばレバニラの専門店ってないなと。そのコンセプトを仲間に話したときは「いやいや無理でしょう!」って、本気にしてもらえませんでしたけどね(笑)。それでもオープンまでには時間がないし、「いや、俺は本気だから! もう〈レバニラ定食 Kei楽〉でいくことに決めたんだ!」と大声で宣言しました。いま思えば、それは自分の不安をかき消すような声でもあったと思います。

 確かにレバーは万人に愛される食材ではない。もし自分が秋元さんの友人だったとしたら、同じようにブレーキをかけようとしていたかもしれない。しかし万人に愛されないということは、そのぶんコアな愛好者がいるということ。そんな秋元さんの狙いは見事に的中し、「Kei楽」の噂は瞬く間に広がり、現在のような無敵(というよりも「敵ナシ」)の人気店となったのだ。
 ともなれば、さっそく「レバニラ定食」で白米をかきこみたいところだが、定食屋「Kei楽」は居酒屋「Kei楽」でもある。まずは思い思いの酒をオーダーし、もうひとつの名物である「レバー唐揚げ」からスタートすることにしよう。

左は酒梅乃宿酒造の日本酒ベース・リキュール「あらごしみかん」。もぎたてのミカンをたっぷり口に頬張ったようなフレッシュ感が女性に人気!

 うちの「レバー唐揚げ」は肉を選んでもらえるんですよ。豚、鳥、牛はもちろん、蝦夷鹿とか馬なんかの限定品もあります。今日はどうしましょうね。……えぇっ! 全部ですか(笑)?

 レバーの専門店であれば、いろいろと食べ比べたい、飲み合わせたい、というのが食いしん坊であり酒飲みの性である。ここからしばらくは「茶色い写真」が連続するがお許しいただきたい。

「山形庄内産豚レバー」。初めての人にはまずはこれ。サクリ、ふわりの食感の先に、驚くべき旨味との出会いが!
いわゆる「鳥から」のようにも見え親しみやすい「国産鶏レバー」は、味ももっともクセがなく、あっさりと食べられる。
「国産牛レバー」。気軽に食べることが難しくなってしまった牛レバ刺し、あのネットリとした甘みすら想起させる、絶妙な火加減。
「蝦夷鹿レバー」。雌のレバーのみを使うというこだわりからくる、きめの細かい食感と、気品すら感じる上品な味わいが魅力。
弾力、風味ともに力強い生命の躍動を感じさせる「馬レバー」。レバー好きなら予約してでも食べる価値ありだ。

 カラリと軽やかに揚げられた5種のレバーをひとつずつ口へと運ぶと、ニンニクや香味野菜も薫る絶妙な塩加減が、主役のレバーをしっかりと引き立てていることがわかる。どれもがたまらなくジューシーで、これまでに食べてきたレバーとの明らかな違いを突きつけられる。「どれがナンバーワンか」と訊かれても、「全部!」と叫ぶしかない、まさに至極の5皿である。

見た目はこんなに似ているのに、それぞれの個性は圧倒的!

 開店当初は豚、鶏、牛の3種類しか使っていなかったんですよ。ところがこういう店だから、自然と珍しいレバーも集まってくるようになったんです。北海道で鹿を専門に扱う業者の社長さんがうちのことを知って、わざわざ食べにきてくださって、「うちのレバーでこの唐揚げを出してくれませんか?」みたいにね。
 今日は「ダチョウのレバ刺し」がありますよ。これも埼玉県の美里町にある牧場から取り寄せているものです。もともとは生コンクリートをつくっている建設会社の社長さんが、趣味でダチョウの牧場を経営しているんです。その社長とは運送業時代からの知り合いで、当時はこんなに大きなダチョウの卵をもらって、飾って喜んだりしていたんですけど、「そういえばダチョウのレバーってどうなんだろう?」と気になって連絡してみたら、「卸せるよ」と。これは工場直送の真空パックで、つぎに空気に触れるのはこの店の厨房という完全な無菌状態。徹底的に衛生管理されたものです。とにかく濃厚な味なので、お子さんや体調の悪い人などには出さないようにしてますけどね。

「1のつく日」限定で供される「ダチョウのレバ刺し」。取材班全員がその上品な味わいに衝撃を受け、あん肝のようでもあり……バターのようでもあり……と議論が始まる。その直後、全員が声を揃え「ウニだ!」と解決。陸上を闊歩する巨大な鳥類であるダチョウのレバーに、なぜ海洋生物であるウニとの共通点が生まれるのか。しかし、そんな表現こそがもっともピタリとハマる味なのである。
テレビの下でその存在感を見せつけるダチョウの卵。このレバーがウニに似るならば……と日本酒を合わせてみると、これが夢心地のマリアージュ。とくに金沢の「遊穂」は「もともと脂っこい料理に合うようにつくってある」とのことで、レバ刺しはもちろん「Kei楽」のどの料理にもマッチするそう。
酒飲みのツボを心得た銘酒の数々。欲張りにうれしい「利き酒セット」も。

 この「Kei楽デニッシュ」も人の縁から生まれた商品です。北口に「アンヌアンネ」という美味しいパン屋さんができたので、なんとなく「お店同士でコラボして、新しいパンをつくれたりしたらいいですよね」なんて話をしてみたら、すぐに興味をもってくださって。僕の特技は直感なんですよ。初対面でも「この人とならいっしょに面白いことができる!」ってわかっちゃうんです(笑)。

「アンヌアンネ」にて毎週土曜限定で販売されている「Kei楽デニッシュ」。具材はKei楽のメニュー「国産豚とピーマンとレバーのうま煮」の材料をすべて使ったレバーペースト。さっくりとした食感の生地とねっとりとしたレバーの組み合わせがあとを引く!

 ほかにも人の縁にはたくさん恵まれています。たとえば店内にところせましと鉄道グッズが飾られていることでも有名な床屋、「つばめ」さん。ここは若いご夫婦がやられているんですが、地域を盛り上げるためにいろいろと情報を発信されてるんですね。オープンしてすぐに食べにきてくださって、「これは美味しい!」ということで、カットにきたお客さんたちにうちを紹介してくれるようになって、そのお客さんがまたお客さんを連れてきてくださったり。
 つばめさんはパソコンやスマホのことにも詳しいので、TwitterやFacebookの使い方を教えてもらったりして、自分でも店の情報を発信できるようになりました。「世の中の人ってこうやって情報を得てるんだ!」と驚きましたね。「ネットの口コミサイトで話題になってたよ」とか「あの〈慶楽〉の息子が清瀬で店を始めたらしい!」みたいな情報が出回ることで、昔の常連さんと再会できたり。そういう人たちのリクエストで当時の人気料理を少しずつメニューに加えていってたら、結局昔の中華屋に近づいてきちゃって、もう大変ですよ(笑)。「ネルソンズ」ってトリオ芸人をやっている青山(久志)くんもそのひとりで、「大好物だった〈豚肉と野菜のカキ油炒め〉の名前を偶然検索していて見つけたんです!」なんて言ってました(笑)。

 あと、これまででいちばん驚いたのは、役者の松重豊さんがプライベートでこられたとき! 『孤独のグルメ』のドラマで、清瀬駅前の「みゆき食堂」さんが舞台になったことがあるんですけど、2日間の撮影中、食べるシーンを撮らない日のほうに、ふらりと立ち寄ってくれたんです。どこかでうちの噂を聞いてくれたみたいでね。しかも撮影中だから、ドラマに出てくるあのいでたちそのままなんですよ! 一瞬、「あれ? このドラマの撮影ってアポなしなのかな?」とか思っちゃいました(笑)。食べる姿もあのまんまだから、いや~緊張しましたね! 無言で食べてるけど、頭の中ではどんなことを喋ってるんだろうって(笑)。

「宮崎県産ぷりぷり鶏焼(塩)」。ササミとモモのいいとこ取りのような食感が楽しめる「セセリ」を香ばしく焼き上げたヒトサラ。鶏の食感といえば、やはり「ぷりぷり」が身上。その最上級の悦楽がここに!

小さな常連さんに教わった、味を守るということ

「インターネットって本当にすごいですよね。小さくてもいいから、積極的に情報を発信していけば、いろんな出会いに繋がる。うちみたいな個人店にはなくてはならないものだと思います」と秋元さん。時代遅れもなんのその、お店の運営に骨身を削り、レバー1本に固執し続けてきたからこその言葉である。そんな「レバー馬鹿」こと秋元さんがこれまでの人生を賭け生み出したのが、今回のヒトサラ、「レバニラ炒め定食」だ。勢いよく、そして迷いなく中華鍋を振り始める秋元さんの姿に、否が応にも期待が高まる。

 美味しい「レバニラ」のポイント、これはまず、とことんレバーという素材にこだわることです。うちで推しているのは、さっきの唐揚げでも食べてもらった「山形県庄内産豚レバー」なんですが、庄内の屠畜場というのは、取り扱う豚のエリアが狭くて、頭数も少ないから、とにかく品質が安定しているんです。ほかの屠畜場だと、近隣の数県から豚が入ってきたりするし、とくにレバーというのはあまり産地を限定できない部位なんです。肉なら生産者まで辿っていくことも可能なところ、内臓に関してはいっしょくたに処理されてしまいがちなんですね。そういった事情を理解した上で、いろんな屠畜場を味見して歩いたら、庄内のものがいちばん美味しかったんです。面白いのが、庄内とそのほかいくつかの産地のものを同じように唐揚げにして、知り合いの子どもたちに食べてもらったときのこと。みんながみんな、「庄内のがおいしい!」って言うんですよ。子どもの味覚って正直ですよね(笑)。
 そういうレバーをこちらがきちんと処理してあげれば、豚、牛、鶏、馬、鹿、それぞれの風味は残しつつ、臭みなんかまったく気にならずに食べられるはずなんです。あと、一般的なレバニラというのは、揚げたレバーと野菜を炒めて完成だと思うんですけど、うちはそこにスープを多めに加えてますね。最後にちょっと炊くような感じにすると、余計な脂が落ちて、見た目よりずっとさっぱり食べられるようになるんです。

 でも、それ以外に特別なことはしていません。調理の方法は「慶楽」の時代からまったく変えていないんですよ。当時のレバーはどこの中華屋でも使っている、最初から薄っぺらくカットしてある冷凍のものだったんですけど、それなのに、「ここのレバーは旨いね」「ここのレバーだけは食べられるんだよ」なんてお客さんがいたんです。当時から、どうやって処理しているのかと訊かれたりもしたんだけど、こだわっているのは丁寧な血抜きと自家製の香味醤油ぐらいなんです。……しいて言えば、当時の常連さんに、小さな女の子がいて、その子は「慶楽」でしかレバニラを食べないし、くれば必ずレバニラを頼んでいたんです。だから僕はいつもその子のために、「今日も残さず食べてもらえるかな?」って、なるべく味が変わらないように注意しながらつくっていました。いまでもその気持ちは残っていますし、味を守るっていうのはそういうことだと思うんですよね。

食欲に火がついた取材班はさらにご飯ものを追加。「炒飯」は優しい味つけながら、油や香味醤油の香りが大いなる満足感を与えてくれる。
さらには「カツ丼」も! ただし、ただのカツ丼ではない。こちらも秋元さんの熱意をもって仕入れられることになったという「たちぎも」(豚の脾臓)のカツという変わり種! フワッフワの食感が、甘辛味の卵、衣、そして白米と混然一体に。

 とにかく秋元さんの「レバニラ」は圧倒的だ。厚切りでふわりとしたレバーを包む、香ばしい衣。函館・知内町から取り寄せたエグみの少ないニラを始めとするシャキシャキ野菜たちのアシストも頼もしく、これらを箸で取りまとめ、熱々の加速装置としてガツガツと白米をかき込むことこそが、人類の喜びとさえ思えてくる。あえてここまで我慢していたビールもグビグビ。「いま死んでもいい!」なんて言葉すらが頭をかすめる至福の時間である。

取材班へのサプライズとして登場したのはデザートのケーキ……ではなく、なんと「バースデー炒飯」! 「デコレーションはマッシュポテトです。単純に楽しいでしょ? こういうの」と、最後の最後まで秋元さんのサービス精神が炸裂! ハチきれんばかりの腹十二分目!

 こうして振り返ってみると、僕はひとりきり、ずっと手探りでやってきて、だからこそ、いろんな運命を引き寄せてこれたんだと思うんです。この物件にしてもそうです。世にも珍しいレバニラの専門店ですから、たとえばもっと都心のほうで始めていれば、新進気鋭のニューウェーヴ店として早くから話題になっていたかもしれない。だけど、僕の生活は子どもたちの生活でもあるわけで、保育園の送り迎えなんかを優先するために、この街にやってきた。亡くなったカミさんの職場がこのあたりで、以前から「いい商店街があるんだよ」なんて話を聞いていたので、それ以外の前情報もなく、いきなり不動産屋に飛び込んでみたんです。僕の条件を満たす空き物件はここだけだったので、「じゃあ決めます」とサインをしますよね。そしたらその書類を見た不動産屋の女性が、「地元が朝霞なら、閉めてしまった中華屋さんがあったのに」って。もうわかりますよね? その店というのは「慶楽」のことだったんです(笑)。しかもその人は、僕のよく知ってる友人の奥さんだったんですよ。「え!  あの慶楽さんなの!?」と驚かれてましたね。

 こんなことを話せるようになったのも、この前カミさんの7回忌が終わって、やっと気持ちの整理がついたからかもしれませんね。お店のロゴの横に、「裕」という文字が入ってるでしょ。これはカミさんの名前の一文字なんです。こんなこと言うのは恥ずかしいけど、「i」という字が赤いのは、「愛してるよ~」って意味だったりね(笑)。
 気がつけばこの店も7年目、ふたりの子どもがもう7歳なので、これは間違いない(笑)。だんだんと口も達者になってきましたね。先日、とあるマルシェに出店したんですけど、これまでだったら大喜びでついてきてくれたのに、「今日は家でクッキーを焼く予定があるから遠慮しとく」なんて言われちゃって、意外とショックでした(笑)。「パパ、帰ってきたら食べさせてあげるね」なんて。
 たぶん人って、なにかをやりたいと思って、自分からそこに向かって動いていけば、縁とか、偶然とか、運命的な出来事が向こうからやってきて、助けてもらえるものだと思うんです。たぶん世の中って、そういうふうにできているんじゃないのかな。この店を始めることで前向きになれたからこそ、自分はずっと誰かに見守ってもらえている。そんなことをはっきりと感じられるようになったんですよ。

kei楽 東京都清瀬市松山1-20-3 1F
042-497-9208
営業時間:11:30~14:00/17:30~23:00
(材料がなくなりしだい終了/
ラストオーダーは昼夜ともに閉店の30分前)
定休日:日曜日

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