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ヒトトヒトサラ

あの店のヒトサラ。
ヒトサラをつくったヒト。
ヒトを支えるヒトビト。
食にまつわるドラマを伝える、味の楽園探訪紀。

ヒトトヒトサラ49 / TEXT+PHOTO:嗜好品LAB ILLUST:山口洋佑 2017.3.31 大田区蒲田「スズコウ」鈴木登志正さんの「いわし料理」

蒲田の路地に「スズコウ」あり。長年の雨風と太陽が染み込んだ赤提灯に、この繁華街においてもひときわ目を惹く「鳥いわし」の文字。そこには東京オリンピックの時代から庶民派洋食グリルのシェフとして腕を鳴らした鈴木登志正さんが一念発起し、和食へと転向。おもに鳥料理を提供しながら、当時はまだまだ下魚であったイワシの可能性にも着目し、その味を広めてきたというプライドやステイトメントが込められている。
登志正さんは御歳75歳。記憶の紡糸を手繰り寄せるような、ゆっくりと氷を溶かすような取材になるかと思いきや、その穏やかな笑顔から放たれるのは、驚くほどの神気や活力。仕事への矜持がヒトをつくり、そんなヒトこそが、光る仕事をする。こうして「ひかりもの」たちの酒宴は始まりました。

駅前ロータリーの「中央通り」を進むと……
「鳥いわし」の文字が。店舗全体が漁船のようにも見え、飲兵衛には抗えない引力を感じさせる。

「鳥いわし」の文字が。店舗全体が漁船のようにも見え、飲兵衛には抗えない引力を感じさせる。

鈴木登志正さん 登志正さんは獅子舞の名手でもある。「この写真は大田区のコンクールに出品されて、なんでも最優秀賞を獲ったというから驚きました。わたしの遺影はこれにしようと思ってるんですよ(笑)」 現在の「グリル スズコウ」の様子。名物はブ厚い1枚肉を焼いた豚の生姜焼き。手練の常連客は「スズコウ」へと出前を取ることもあるのだとか。 カニの看板は割烹時代の名残り。

 この店の始まりはわたしが兄弟たちとやっていた洋食屋に遡ります。兄は上野の精養軒、わたしと弟は横浜の精養軒で働いていて、3人ともコックあがりという兄弟なんです。
 わたしたちは昭和39年に、このすぐ近くに「グリル スズコウ」という店をオープンさせまして、しばらくはいっしょに働いていたんですけど、44年にこの場所を借りられることが決まって、わたしが切り盛りすることになったんです。ただ、通りを挟んで洋食屋が2軒あるというのもなんですし、だったらわたしは和食のほうで頑張っていこうと。
 開店当初は苦労しましたね。わざわざ板前さんを雇って、和食ならではの技術を引き継ぐところから始まりましたし、今は大衆居酒屋ですけど、当時はカニなんかも出すような、わりと高級な割烹料理屋でしたからね。
 その頃はなかなかお客さんが入りませんでしたね。常連さんからは「もっと量を少なく、値段は下げて」なんて意見が出るんですけど、なかなか踏ん切りがつかない。でも、そのときに、グリル時代に出していたカレーのことを思い出すんです。わたしたちが精養軒での修行時代に覚えたカレーというのは、ちょっと甘めで、ルーも薄めだったんですけど、それをそのまま出したのでは、蒲田のお客さんには通用しなかったんですね。もっと辛口で、小麦粉も増やしたルーがライスにドロッと乗っているようなものでないと駄目だった。やっぱり料理というのは、その土地に合わせた味と値段にしないといけなかったわけです。
 そこからはだんだんと客足も増えていって、今のような居酒屋に近づいていきました。

 羽田空港を近隣とし、京浜東北線、東急池上線、多摩川線の交錯する蒲田という街は、業の深い街。ハシゴ酒を日課とする呑ん兵衛にとってみればこれ以上ないほどに落ち着く土地なのだが、ここは個人経営の安宿なども立ち並ぶ城南地区最大の風俗地区であり、パチンコ店の激戦区でもある。つまりは一筋縄ではいかないということ。

 この街でやっていくのは大変です。大昔のこの界隈は「家族通り」といって、一家で買い物をして、ゆっくりラーメンなんかを食べて帰るという雰囲気でしたけど、夜はやっぱりキャバレーやクラブのネオンが光って、仕事終わりのホステスさんがドレスのままテーブルを押さえにきたり。

 うちで学生時代から働いてくれたアルバイトの子がいまして──わたしはその子が学校を卒業して田舎に帰るというときには、これまで一生懸命頑張ってくれたぶん、最後まで厳しく教育して送り出してやろうと考えて、高砂部屋の朝稽古に連れていったりもしたんですが──その子が大きくなって、ここに家族を連れてきてくれたことがあるんです。そしたらその子の奥さんが、「あなたってこんなピンクな街で働いていたのね!」なんてビックリしていましたから(笑)。

スズコウを訪れたならまずはこれ! の「いわし刺身」
レモンを絞り、爽やかな酸味とともにいただく「いわし辛し酢みそ」。それでも主役のイワシはトロトロと甘く、舌に乗せれば溶けてしまう。

 そろそろ料理の話をお訊きしよう。さきほどからテーブルの中央で眩い光を放ち、四方からの箸につつかれていた「いわし刺身」、その味があまりにも清楚で、鮮烈で、そのたびに取材班から感嘆の声が上がるものだから、どこか登志正さんのお話に集中できないでいるのだ。
 しかしそれほどまでにスズコウのイワシは旨いということ。桜色の身そのままの、官能的な真味である。


 イワシを美味しく食べるには、とにかく鮮度にこだわることでしょうね。うちのイワシは日帰り船の漁師が船の上で氷漬けにしたものを、信頼のおける仲卸さんから仕入れたもので、いつもお客さんの注文が入ってから内臓を取って、1枚1枚と切り分けているんです。そうしないと本当の美味しさは味わえません。うちのお客さんはそれをわかってくれていますんで、混んでいれば「飲みながら待つからゆっくりやって」と言ってくれます。

 わたしがイワシをやり始めた頃は、今みたいに流通が発達していませんでしたし、イワシといえば干物や煮物ばかりで、寿司屋も握っていませんでした。今もたまに店を手伝ってくれている息子が、まだ小学校の年長生だった頃、同級生に「刺身が美味しい」と話すと、「あんな臭いもの、生で食べてるの?」なんて言われたみたいで、それは悔しかったでしょうね。
 この前もアメリカで仕事をしている男性がいったん帰国して、会社の人とここにきたんです。どうやら食べる前は「蒲田でイワシ?」なんて険しい顔をしていたみたいなんですが、結果は大満足で、「50年も食べていなかったのが悔しい!」と、おかわりまでしてくれました。

単品でも注文可能な「竜田揚げ・ゴマ揚げ・香り揚げ」をひと皿で味わえる「いわし揚げ盛り」。出汁に醤油とお酒を加えたものにイワシを漬け込み揚げたものが竜田揚げ、そこに白ごまを絡めたものがゴマ揚げだ。
「香り揚げ」には梅とシソが巻き込まれ、この手間に三拝九拝。暖簾をくぐった瞬間に感じた香ばしさの正体がここに。
「若鳥もも唐揚げ」は生姜醤油のシンプルな味つけ。サラダいらずの大盛り野菜もうれしい。
ザクザクと力強い衣に旨味のジュースが閉じ込められたもも肉。食感の対比が気持ちいい。
「焼き鳥」は、正肉、ねぎま、砂肝、レバーの4種盛り。自家製のタレは甘辛なのに後味スッキリ。スズコウは焼き鳥の老舗でもあるのだ。

手をかければかけるだけ美味しくなってくれる。イワシという魚は本当に飽きませんね

 冒頭にも書いた通り、「スズコウ」には、鳥料理をメインに据えた和食割烹からイワシ料理の名店へと発展してきたという歴史がある。そもそも登志正さんがこの小さな魚に店の将来を託したきっかけというのはどこにあるのだろうか。

スズコウの御献立表。上段には鳥料理、下段にはイワシ料理が並ぶ。

 わたしの故郷である愛知の港町で、父親が魚市場を経営していたんです。その父はわたしが4歳の頃、33歳でサイパンで戦死していますから、たまにわたしの夢に出てくるぐらいで、いっしょに遊んでもらった記憶というのはほとんどないんですが、なんだか不思議な偶然を感じますね。
 それでもわたしが小学校に上がった頃には、市場の周りに集まる漁師さんたちが可愛がってくれまして、ポンポンと煙を出しながら進む玉つき漁船(焼玉船)に乗せてもらっては、師崎(もろざき)のほうなんかに行ってましたから、魚の美味しさというのはいつも身近にあったということだと思います。
 あと、正直言いまして、わたしがこの店を始めた頃のイワシというのは本当に安かったんですよ。発泡スチロールひと箱で500円ぐらいのものでしたし、農家の肥料として使われることもあったぐらいです。今はキロ単位だと鯛と変わらないぐらい高いときもあります。鯛や平目は定置網で漁ができますけど、イワシの場合はそうはいきません。海が荒れているときは漁に出れませんし、海流が離れてしまうと、漁師も無理にガソリンを使いませんので、どうしても手に入らないときはアジやサンマで代用させてもらってます。
 はい、もちろん今日はたっぷりありますよ(笑)。北海道からいいのが届いたばかりです。

熱燗とのマッチングに思わず仰け反る「いわしみそたたき」
「こんなかたちに整えて出しているのは、やっぱり獲れたての鮮度を想像してほしいからです。これをおかわりされるお客さんも多くて、ふたつ目は富士山のかたちにすることもあります。やっぱり世界遺産ですから(笑)」と登志正さん。

 登志正さんの笑顔とともに到着した「いわしみそたたき」の、涙の出るような旨さ。2本の包丁を使い、皿の上をピチピチと泳ぐように盛りつけられたこの逸品は、「皿に残った味噌までを舐めたくなるほどに旨い」という語源を持つ漁師料理「なめろう」の進化系であり、「やっぱりこれにはごはん!」「ごはんがあるなら煮付けも欲しい!」と、テーブルはいつまでも賑やかなままで。

これまたリピート必至の「いわしの煮付け」。全体にしっかりと染み込んだ味。ホクホクの身はもちろん、ワタの旨さも鮮度の証。
ひとりであればこれだけでも、酒から〆までを夢中で食べ進めてしまうはず。こういったメニューにおける安堵感は老舗居酒屋ならではのもの。
「みそたたき」がたっぷりと乗った「いわし茶漬け」のファンも多い。最初にすべてをかき混ぜてしまうのも、大きめの海苔で包むようにして食べるのもいい。
登志正さんの奥さまがつくったお手製の五輪ブローチ。お顔の撮影はNGであったが、実は「蒲田のあやや(松浦亜弥)」と愛される名物女将である。

 イワシというのは本当に飽きないです。手をかければかけるだけ美味しくなってくれます。うちは100グラムから130グラムの太ったものまでが詰まった5キロの箱を、毎日ひと箱は使うんですけど、この時期のものはさっぱりとしていて、夏場はさらに脂が乗ってきます。年間を通してゆっくりと味が変わっていくんです。
 うちの女房も、いつもイワシを食べているせいか、肌ツヤがいいんです。とても同い年には見えません。わたしがちょっと疲れた顔をしているせいなのか、お客さんの中には、帰り際に「お父さんにもよろしくね」なんて勘違いする人もいるんですよ。わたしはわたしで「うちの長女をよろしくね」なんて話してますが(笑)。

イワシの効能が綴られた「いわしの詩」。もちろん登志正さんの作である。
これまでの骨や頭は「骨せんべい」に。(注:混雑時はオーダーできない場合もあります)

 気づけば開店の時刻を迎え、今日も「鳥いわし」の赤提灯に、意気揚々と明かりを灯す登志正さん。いやはやお若いのは奥さまだけではありません。

 それもやっぱりイワシのお陰ですかね(笑)。今やイワシは健康食品として広く知られていますし、わたしはきのうも獅子舞を踊ってきました。保護司(非行や犯罪に走ってしまった青少年の更生を目的とする非常勤国家公務員)の仕事というのも、もう30年も続けています。その頃に世話をした子が、結婚式に出てくれなんて頼んでくるもんですから、「保護司じゃなく、スズコウの親父としてなら出るよ」と話したり。
 こうしてお話しながら振り返ってみると、料理の道へ進もうと決めたときのことを思い出します。親父を早くに亡くした母親は、わたしたちを食べさせるために煎餅屋を始めるなどして忙しかったので、わたしたち兄弟は小さな頃から包丁を握って、台所の手伝いをしていたんです。だからわたしも中学生の頃には、食べ物を扱う職につくんだと決心していました。それは、いくら医学が発達しても、人間は薬だけでは生きていけない。ものを食べる楽しみとか、喜び、その栄養がなくては生きていけないと信じたからなんです。
 そんなわたしが、こうして、いちばんの健康食品であるイワシを売っている。これもまた、面白い偶然であり、運命であったと思うんですよ。

スズコウ 東京都大田区蒲田5-18-14
電話:03-3738-4458
営業時間:17:00~24:00
定休日:日曜日

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